私達を魅了し、忘我させ、熱中させる音楽。
手に汗を握る。思わず首と腰が動き出す。
美しく、崇高な音楽。
無防備に身を任せていると、その音楽も時に野蛮な、破壊的な、無慈悲な、制御不能な、核燃料さながらの臨界状態に達してしまうことがある。
その音楽のためなら全てを捧げてもいい、と思う。その音楽のためなら死んでいいとさえ思う。その音楽のためなら全てが正当化されると思える。その音楽以外に大切なものはこの世に他に何一つない、と思い込むことも珍しくない。
音楽には、人をそういう方向に駆動する恐ろしい力がある。
しかし音楽にはもう一つの、別の次元がある。制御不能である猛獣音楽と、仲良くする努力をする。それは自分自身の熱狂を制御することだったり、何かを遠くまで見渡すことだったりする。
すると音楽は別の姿を見せる。ことがある。もしかしたら、音楽のこの「別の姿」、「別の次元」は、楽器を演奏しない人には現れないのかもしれない。
怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。
Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein. – Friedrich Nietzsche
でも音楽は、何かの拍子で私達を裏切っても、私達たちをどん底に叩き落とすことがあっても、再来する私達を拒むことがない。決してない。音楽は、どこまでも寛容だ。というか、無関心だ。
いつ戻ってきてもいい。いつでも扉を叩いていい。扉は開くだろう。
その後にどんな音楽が鳴るかは、きみ次第。そんな感じで、猛獣音楽はいつも無関心に、そこに、手元に存在している。