ヤマハという会社があります。上原ひろみやチック・コリアといったピアニストが愛用するグランドピアノ、カルロス・サンタナやジャズギタリストのカート・ローゼンウィンケルもたまに使うSGというエレキギター、世界に冠たる発明品であるエレクトーンなどを製造している会社です。
ドラムやトランペットやサックスといった楽器も製造している総合楽器メーカー。日本人なら小中学校でヤマハのリコーダーに触れたことのない方はいないのではないでしょうか。
このヤマハという会社の特異な点について解説しているYouTubeの動画を少し前に見ました。ここで説明されていることは、なぜか日本のヤマハのホームページやWikipediaの日本語版などだけでは得られない情報が多く、へえそうだったんだ、と少し驚いたのでした。
上の動画と、日本語版及び複数の海外版Wikipediaを読んで私なりに理解した内容を箇条書きでまとめてみます。
- 創業者は山葉寅楠(やまはとらくす)氏、1851年に紀州(現在の和歌山県・三重県南部)に生まれる。元々は「山羽」(やまば)という名字で、後に改名した
- 16歳の頃から剣術修行に出たが、20歳の頃、当時外国の文物に接触できた唯一の土地である長崎に転居し、時計の修理を学んだ(動画によるとその後の時計修理・製作事業は不発だった)
- その後、医療器具の修理をするようになった
- ある時、小学校(現在の浜松市立元城小学校)からアメリカ製のオルガンを修理してくれないかという依頼を受ける(1887年)。この時「自分ならもっと安く作れる」と考え、独力でオルガンを制作しようと決意する
- 最初に制作したオルガンの評判が悪かったので、オルガンを担いで峠越えを含む250kmの距離を歩き、東京芸術大学の先生に診てもらった
- 芸大の先生に「調律が悪い」と言われ、山葉氏は音楽理論全般を1ヶ月にわたって学んだ(※海外のWikipediaによると「調律は悪くないが、コンセプトが悪い」という評価を下されたとの説あり。また上の動画では「4ヶ月にわたり音楽理論と調律を学んだ」としている)
- 1889年に「山葉風琴製造所」を設立
- 翌年の1900年にはアップライトピアノを制作する
- ヤマハの最初のロゴは、音叉をくわえた不死鳥だった
- 後に不死鳥が消え、3つの音叉が組み合わされた現在のロゴになった(音叉がロゴになったのは東京芸大での調律の勉強が起源、との説あり)
- 第二次世界大戦になると、国の要請で楽器製造を停止し、軍需製品を手がけるようになった
- 1945年、モーターサイクル部門を「ヤマハ発動機」として分社化
- カワイ楽器の河合小市(かわいこいち)氏は、11歳の時に「山葉風琴製造所」(後のヤマハ)に丁稚入りし山葉寅楠氏から調律と楽器製造を学んだ
- 現在ヤマハが製造しているものは、分社化したヤマハ発動機による発動機事業以外に(スノーモービル、ボート用エンジン、ジェットスキー、ゴルフカー、トヨタ・レクサス車のエンジンを含む)、AV機器、ネットワーク機器、ゴルフクラブ、リゾート開発、電動自転車、伝統車椅子、産業用ドローン、そしてプールにまで及んでいる
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楽器の世界でヤマハを知らない人はまずいないでしょう。同時にモーターサイクルの世界でヤマハを知らない人もいないでしょう。逆にヤマハがゴルフクラブやプールやVPNルーターも作っている、というのを知らない人も多いでしょう。上の動画では、「楽器とオートバイといった一見関係がない分野で同じように有名な会社を他に知らない」と言っています。
そういう会社は、確かに他にあまり思いつきません。
ちなみに私は現在、ヤマハのギターはメインで使ってはいないのですが、最初に買ったのがヤマハのSGというソリッドタイプのギターでした。そのためちょっと思い入れがあります。一時、SAシリーズというセミアコも持っていて、それは何年かメインで使っていました。色々あって現在のメインではないのですが、SAはすごく良いギターだったと今でも思います。
それで素人なりに考えると、時計のメカニズムとオルガンのそれは遠くないだろうな、と。そして燃焼機関も遠くはないだろう、と。さらにはゴルフクラブも遠くはないだろう、と。要するにヤマハという会社は「動力、信号、エネルギーの伝達」という面でずっと何かを作ってきたという点では一貫しているのかな、などと思ったりしました。皆さんは、どう思われますか。