上手に英語を話せる人でも、外国人はアメリカ人の前でネイティブのようなアクセントで話さないほうが良い場合がある、という話を聞いたことがあります。
ビジネス上での話です(日常生活では全く当てはまりません)。例えば「アメリカ人と全く遜色のない英語をアメリカ人のようなアクセントで話す外国人」は、アメリカ人から見ると自動的に、ほんのわずかに、無意識に、「下のポジションに位置付けられる」ことがあるらしい。
つまり人種差別意識であって、ひどい話だと思いますが、「こいつは完璧な英語を俺達のように喋るな。でも所詮アジア人だから。で何の用?」みたいな差別意識がやはり心のダークサイド(笑)にある人が少なくないのだそうです。
で、そういう場で自分を有利に見せるためには、アメリカ人のようなネイティブなアクセントでは喋らず、あえて日本語の訛りを残したほうが「この人は英語をかなり勉強したすごい外国人だ。少し訛りはあるがそれ以外は完璧だ。すごい。尊敬します。契約します。」という感じで相手のマインドが変わるらしい。
私は英語が流暢ではありませんが、この話は肌感覚で理解できます。確かにビジネスの現場ではこういうことがありうると思います。会議などであえて日本語アクセントを少し残して話す、という人も何人か知っています。つまり、上手に喋りすぎないほうがいい。言語に対して距離を置く。それがいいのだ、と。
話は変わってジャズの演奏。この場合、これは全く当てはまらないと思うんですね。むしろ真逆。恥ずかしがらずに、堂々と弾く。
本物のようにカッコつけて弾く。
おっかなびっくりで何となくジャズっぽく弾くのではなく、俺はこれを弾くんだという明瞭なアーティキュレーションとリズムで堂々と弾く。あのタッチ、あのアタック、あのシンコペーション、あのレイドバックで弾く。遠慮しない。
何度となく聴きこんできたあのジャズ・ジャイアンツ達のように弾く。恥ずかしげもなく弾く。グラント・グリーンになりきる。マイルスになりきる。言語の中に入る。歴史の中に入っていく。それが大事。そうに違いない。
ジャズ語を流暢に喋ることによって蔑まれたり、差別されたり、かっこ悪いと思われることはないはず。そして本当は流暢にジャズ語が喋れるのに、そこから熱を取ったような喋り方をしても良いことはない。と思ったのでした。