以前から「指板を見る・見ない」あるいは「目を開いている・閉じている」というテーマがぼんやりと気になっていました。
ギタリストはどんな時に指板を見るのか。あるいは見ないのか。そうするのは何故か。見ることによるメリットとデメリット(それがあるのなら)は何か。見ないことによるそれは何か。等々です。考察に入る前に、有名なジャズ・ギタリストの演奏中の姿をちょっと見てみたいと思います。
パット・メセニー。顔の角度はネックのほうに深く落ちていることが多いですが、基本的に目を閉じています。ソロの時に目を開いているのを見たことがありません。時々指板をチラ見している風でもなし。目を閉じて音に耳を済ませているかのよう。若い頃からずっとこのスタイル。ソロ時は完全閉眼型。
ジョージ・ベンソン。メセニー同様、ソロの時は頭の角度がネックのほうに落ちていることが多いです。ただし時々チラチラと半目で指(板)を見ていることが多いように思います。その状態で目をぎゅっと閉じることもあり、その際はメセニーに似ています。
ジョン・スコフィールド。この人は指板を見ない代表的なギタリストという感じがします。チラ見さえするのを見た記憶がありません。完全に座頭市状態です。どちらかというと見ることを拒否しているようにも感じます(私感です)。かなり意識的に目を閉じている印象。
パット・マルティーノ。この人は多分珍しいほうで、目を開いている時間のほうが多い印象があります。開いた目を指板に向けている。ただしガン見というほどでもない感じです。演奏中に客席を見ることも少なくないと思います(ああ見えて意外にエンターテイナーなマインドがあるのかも)。
ウェス・モンゴメリー。見ているような見ていないような、なんとも微妙な感じです。恐らくジョージ・ベンソンに近いスタイルでしょうか。ただ指板が視界に入っていても、それは「見えて」いるだけで「見て」いるのではないような印象です。高速オクターブ奏法時に目を閉じているのかどうか気になります。
ジョー・パス。この人もまず指板を見ないですね(余談ですが表情をもう少し険しくし、身体の揺れが大きくなると意外とパット・メセニーに近い雰囲気のように思えます)。
カート・ローゼンウィンケル。基本的に目を閉じているものの、彼は瞬きの回数が異様なほど多い。推測ですが、ベンソンのように時々チラチラと指板を意識的に視界に入れているのではないかという気がします。どちらかというと「見ている」ほうかもしれません。
ジョン・アバークロンビー。この人は指板を見ません。共演者のことはよく見ます。この人はそもそも考え方が目を使って指板を見ることを拒否しているようなところがあり、指のセンサーだけで指板を見るという座頭市的な思想を持っていると思います(彼がよく推奨する1本弦奏法・2本弦奏法はこれと関係が深いと思います)。ジョンスコにやや近いですね。
長くなるので実例はこの程度にしておきますが、改めて次のように思いました。
- 基本的にどのギタリストも、指板を見ていなくとも頭がネック側に落ちている(顎を上げていない)
- 基本的にどのギタリストも、指板が見えていても「凝視している」という感じではない。ぼんやり見ている感じ
さて、指板を見ることによるメリット・デメリットは何でしょうか。私個人の場合なのですが、ポジション移動が大きかったりする時にチラッとでも見えるとやっぱり安定して着地しやすい気はします。例えばフレット3つ分、短3度移動する時などチラッとでも見えていると安心します。
それ以外の場合、本番中だったら指板を見ないことがほとんどです。大きいポジション移動がなければ各指のセンサー機能に任せて音を辿っていけます。練習中は別で、押弦の状態をチェックしたり、運指の確認のためにあえてずっと見て弾くこともあります。
ただ本番中はやはり見ないですね。あくまで私個人の場合なのですが、「何かを確認する」ために視覚情報を使うとそれだけで判断スピードが遅れる感じがして、結果良いことがあまりない印象があります。特別難しい何かに挑戦して、それをあえて本番演奏の中に組み入れるような場合、見ることもあると思うのですが、多分そのレベルだと余裕のある演奏はできていない。
恐らく理想としては、完全に目を閉じて弾ききれるまでに指板という大陸に精通し、運転できることなのでしょう。上で例を挙げたギタリストで指板を見る傾向がある人も、恐らく何かを「確認」するために指板を見ている人は一人もいなくて、指移動のための補助的な情報として、あるいは他の理由でぼんやり見ているのだと思います。
そういえばジャズ系(?)のギタリストではベン・モンダーが指板をかなりガン見している印象がありますが、彼の場合は特殊な運指を使う凝ったボイシングを多用しているせいもあるのでしょうか。彼は「何かを確認するために目を使っている」唯一例外的なケースという感じがします。
この話題を少し拡張すると、ギターの指板を見る見ないという問題以前に、そもそも演奏中に目を開いているのが良いのか、閉じているのが良いのかというテーマがあると思います。
勿論共演者がいる場合アイコンタクトを行うことはよくあるのですが、そういう意識的な視覚の使い方は別として、基本的にどちらか良いのか。
ジョン・アバークロンビーは目を閉じて弾くのが好きなのだそうです。その理由は、一つには音がよく聴こえるから、もう一つは、客席でウトウトしている人の姿が見えたりするとショックなので見ないようにしているとのこと。いずれも「より集中する」ためという理由ですね。
ミック・グッドリックは”The Advancing Guitarist”(日本語版)という本の中でとても面白いことを書いています。
– Don’t be afraid to look at the musicians that you are playing with. Don’t be afraid to look at the people you’re playing to. And even if you are afraid, look anyhow. You’ll learn much.
共演している演奏者を見ることを恐れるな。観客を見ることを恐れるな。もし怖いとしても、とにかく見ろ。多くを学べるだろう。
– Sometimes if you close your eyes while you’re playing, you can hear better. Sometimes if you look around while you’re playing, you can gather energy (or exchange it).
時には目を閉じているとより良く聴こえることがある。時には周囲を眺めると、エネルギーを得られる(または交換できる)ことがある。
観客が多い時などは緊張しますが、ふと目を開いて聴いてくれている人々の姿をぼんやりと視界に入れると、ふっと緊張が溶けてより高い集中状態に入れるようなことは確かにあるように感じます。共演者を見る時もそうです。そういう時、頭のなかで何が起きているのか興味深いですね。
ところでリスナー側は目を閉じている演奏者、ギターなら指板ばかりを見ている演奏者にはあまり良い印象を持っていないことが多いようです。何人かの人の話を総合すると、指板をガン見して弾いている人は自信がなさそうに見え、客席を全く見ないプレイヤーには「たまにこっちも見てよ!」と思うのだそうです。
指板を見る、見ない、回りを見る、見ない、というこのテーマ、なかなかシンプルな結論には至らないような気がしました。もしかすると「見ることなく見る」といった感じの、禅仏教的な(?)精神状態の話に行き着くのでしょうか。いつかまた別の機会に再考察してみたいと思います。