ジュリアン・ラージがPitchforkでの2014年のインタビューで、師の1人であるミック・グッドリックの指導について次のように語っています。元気の出る前向きな内容だったので、抄訳で紹介します。
僕はバークリー音楽大学でミック・グッドリックと学んだ。2年半のあいだ彼が先生だった。教わったことの大部分はギターのことではなく、児童心理学だった。人はどんなふうに学習するのか、その過程をさかのぼって、内なるクリエイティブな火花を見えなくしているかもしれない思考上のパターンに対処するという内容だった。
あと彼はギター・プレイヤーですみません、みたいな態度は決して取らなかった。この楽器は謝罪するようなものじゃないし、ピアノだったら良かったのに、と思うようなものではないんだ。ジャズミュージシャンとして、こう思うことがよくある。「88鍵ないなんて、サックスのリリシズムがないなんて、残念だ」。彼は、ギターを弾いていることをとても誇りに思わないといけない、と言ったものさ。
誰でも演奏できる楽器としてのギターと、クラシックやジャズといったより高度な理解を要する領域とのあいだには、奇妙な壁がある。後者だと、音楽を本当に演奏できるようになるには、XとYとZを知らないといけない、となる。このXとYとZはポリフォニックな内容に関連していることが多い、同時に2声を弾くこととかね。これは「あれができるようにならないと」と思ったりしなければ大体簡単なことなんだ。初期のクラシックの作曲家はギターのそういうところを知っていた。彼等は、ハーモニクスがあるじゃないか、ベンディングがあるじゃないか、って言うと思う。ギターを本当に客観的に眺めていた人々には、現代のギター教育学に存在するようなカースト・システムは見えていなかった。でも今では、これだけたくさんのレベルをくぐらないといけない、となっている。息が詰まりそうだよ。いったいどの段階になったら箍(たが)を外す(=dismantle, 解体する)許可が得られるんだろう? ミックは、箍を外す許可は(もう)あるじゃないか、といつも言っていたよ。
ピアノやサックスに比べてギターが劣っているなどと思う必要はないし、あれとこれを習得しない限り音楽は演奏できないのだ、などと思う必要もない。そして、それらは心の持ちようであり、ジュリアンはミック・グッドリックからそういう心理的なブロックを外すことを学んだようです。いい話ですね。
ところで同じインタビューの中で、ジュリアンは父親からの指導についてもこんなことを語っています。
ギターを買ってもらった時、父は非常に面白い決断をしたんだ。僕にまず即興演奏をさせたがったんだ。というのも、もし曲を覚えようとしたら、間違って演奏する可能性があるし、すると挫けちゃうんじゃないかって心配したんだ。
ジャズギターの練習を続けていると習得範囲の膨大さや、薄々気付きはじめる習得に必要な年月を少しづつ重圧に思う時が誰にも来ると思うのですが、そういう時は自分が既に自由であることを再確認したほうが良いのでしょう。
その方法は? ペンタ一発で弾きまくったり、ディストーションを踏んで思いっきりチョーキングしたり、何も考えずにとにかく弾きまくったり。ひとさまざま。何かそういう手段を持っていたいですね。