むかし、前衛的な作風で知られるフランスのとある小説家が由緒正しい大出版社に自作を持ち込んだところ、「この作品を読む読者層は存在しないから、うちでは出版できない」と断られたそうです。
しかしその小説家は、この作品は既存の読者層に向けて書いたものではない、そうではなく、この作品が新しい読者層をこれから生み出していくのだ。この作品はマーケットに合わせて生まれたのでなく、新たなマーケットを生み出していく作品なのだ、と出版社に訴えました。
その結果、ガリマールという日本で言えば新潮社的な由緒正しい出版社から、アラン・ロブ=グリエという新時代を築く小説家の作品が世に出たと聞いています。
カート・ローゼンウィンケルの”Caipi”を聴くたびに、そのエピソードを思い出します。これはどんなリスナーに受けるだろうか、というマーケティング的な考え方を超えたところで生まれた音楽。
セロニアス・モンクも、エリック・ドルフィーも、オーネット・コールマンも、こういう音楽だったんじゃないかと思います。
こういう音楽は本当に少ない。マーケットやターゲットを読んだ作品ばかりが生み出されていて、本当につまらない。資本主義経済の下では、どうしても受け手を想定して制作しないと制作費を回収できない、みたいなところがあって、人々の予想を超えた作品が出てこない。レーベルや契約のしがらみのないミュージシャンならまだまだ「未知のリスナー」に向けた音楽を生み出せるのではないか。
カートの歌、上手じゃないでしょう。でも、歌の「上手下手」という観念がいかにちっぽけなものかということがわかります。
人を感動させる音楽に必要なものはただ一つ。それは「意志」。間違いない。何故か日本では「ジャズギターの皇帝」などという不思議な肩書で呼ばれるカートは、ここでは裸の王様です。その裸っぷりに全俺が感動するのであります。