(前回のあらすじ: 西暦2087年。JAZZRAC・一般社団法人日本ジャズ著作権協会の職員デッカードは、自らの音楽性に目覚めて謀反を起こした音楽演奏ロボット「レプリカント」たちを抹殺する使命を帯びていた。ある日、彼は良心の呵責に駆られながらも人間らしいジャズを演奏する不思議なレプリカントを狙撃しようとしたが、果たせなかった。彼は歌舞伎町の「ラーメン三郎」で、その白髪の若い脱走レプリカント・ギタリストと再会する。)
「食べたら、一緒に何か演奏しないか。君は、楽器は何を弾くんだい?」
少しだけギターを弾いたことがある、とても小さい頃だ、と俺は答えた。
一緒に深海魚ラーメンを食った俺達は、夜風に吹かれながら歌舞伎町のネオン街を歩く。ロイと名乗るその白髪のギタリストは、一緒にギターを弾こう、と言って俺にギターを手渡してきた。フェンダー・テレキャスターだ。ロイは背負っていた小型のギターを胸元に抱えた。
「セッションしよう」
「いや… 俺は何も弾けない。小さい頃、親父が少しだけギターを教えてくれた。でもマイナーペンタしか弾けない。ジャズなんか、とても無理だ」
「…そうかな?」そう言ってロイは何か暗い感じのコードをジャラン、と弾いた。
「これはCm7コードだ。Cマイナーペンタは弾けるかい?」
「それくらいは、弾けるさ。でもそれだけじゃジャズにはならない。お前らがやっているような、カッコいいジャズにはならないことくらい、俺にもわかる。」
試しに俺はCmペンタの手癖フレーズを適当に弾いてみた。身体に何となく染み付いている感じの、Cmペンタのフレーズだ。それは思った通り、退屈なサウンドだった。
「これはジャズじゃない。」ため息をついて俺は言った。
「そうか。ならこのCm7コードの上で、Gマイナーペンタを弾いてみるんだ。」
俺は言われるがままに、たどたどしくGマイナーペンタを弾いた。さっきとは少しだけ違う感じがした。
「君はいま、Cm9を表現したことになるんだよ。少しクールなサウンドだったろ。今度はこのCm7コードの上で、Dmペンタを弾いてみるんだ」
ジャラ〜ン、とロイがかき鳴らしたCm7の上で俺はDmペンタを弾いた。今度はもっと変な、ダークな感じがした。子供の頃、俺の親父がレコードというメディアで聴いていた、ビバップと呼ばれるタイプのジャズでよく耳にする感じの音に思えた。
「君はいま、Cm6を表現したことになる。マイナーペンタを馬鹿にしてはいけないよ」
俺は、なんとなく何が起こっているのかを理解した。この男はマイナーペンタを様々なかたちで応用すれば何でも弾けると言いたいのだろう。
「しかしそれでマイナーコードを味付けできたとしても、曲の全部を弾けるわけじゃないだろう。メジャーコードとか、オルタードとか、ジャズにはいろいろなコードがあるって親父は言っていた。そんな複雑なものを、ペンタ一発で弾けるわけがない」
「そうかな?」ロイはにやにやしながら言い、今度は明るいコードを弾いてみせた。
「これはCΔ7だ。試しにBmペンタを弾いてみないか」
こいつは何をやらせようとしているのだろう。苛々しながらも、俺はロイのCΔ7の上でBmペンタを弾いた。それは、聞き覚えのあるジャズっぽいサウンドに思えた。
「君はいま、テンションを弾いたんだよ。CΔ9, #11, 13というコードさ。リディアンと言ってもいい。そして今度はこのコード、ぼくはG7を弾く、君はBbマイナーペンタを試すといい。それはオルタードのサウンドだ。このコードはDm7(b5)、きみはGmペンタを弾くといい、するとそれはDm11(b13)の5度抜きのサウンドさ」
ロイに誘われるがままにいろいろなマイナーペンタを弾いていくと、俺は奇妙な感覚に包まれていった。どこか懐かしいような、そして同時に、全く経験したことのないような不思議な感覚だった。
「それは、たぶん自由という感覚だろう」とロイが俺の心を見透かしたかのように言った。
自由?
「そう、自由だ。人間はその感覚を自由と呼んでいるらしい。鳥みたいに、何にも縛られずに歌う感覚のことだ。」
「さあ、何か一緒に曲をやろう。マイナーペンタだけで思う存分、歌ってみるといい。鳥みたいに。」
白髪の脱走レプリカント・ロイがラテンのリズムでコードをジャカジャカとかき鳴らしはじめる。Blue Bossaだった。俺は、人間なのか。それともレプリカントなのか。俺にジャズは弾けるのだろうかーー。