例えば「今日は8時間練習した」と言っても、その8時間をブレイクダウンすると様々な行為が含まれていることに気付かされます。
「練習」の構成要素
最近このブログでよく言及している First, Learn to Practice (Tom Heany) (まず練習することを学ぼう)という面白い本にも似たようなことが書かれていたのですが、私達は「練習」中に様々なことをしています。例えば:
- パフォーマンス(本番を想定した演奏)の練習をしている
- 楽譜を書いている(作曲・採譜・アイデアやフレーズのメモ)
- 新しい何かを学んでいる
- コンピングのアレンジをしている
- 何となく「爪弾いて」いる
- 探検している(新しい運指パターンやハーモニーを探したり)
- 何か苦手な部分の練習をしている
これらはいずれも良いプレイヤー・ミュージシャンになるために欠かせない内容だと思います。が、「いまやっているそれは何の練習なのか」を常に明確にしておくことは大事だと思います。例えば8時間練習した、という人で「何か苦手な部分の練習」をしていた時間は実際に何時間だったのか。
8時間ギターを持っていたら、何かこう、俺は今日ものすごく頑張った、みたいな気持ちになってしまうかもしれないのですが、ちょっと気をつけたいと思いました。上述の様々な行為はどれも大切な要素だと思いますが、8時間中6時間「爪弾いて」いるだけだったら、それは良い練習とは言えないでしょう。
ギターの美しい音に陶酔することが目的であれば(それ自体は全く悪いことではないはず。多くの人が最初はそれが目的で楽器を手にするでしょうから)、ずっと爪弾いているだけでも良いのかもしれませんが、もっと上手くなりたいのなら他の練習をしなければならないと思います。
チャーリー・パーカーが1日10時間練習したという話は有名ですが、その内訳がどんなものだったのかとても興味があります。もし実際に楽器を鳴らしている時間がほぼ10時間だったら信じられないような集中力です。しかし実際は他のことも色々やっていたのだと思います。
私自身は最近、「何か探検」して、「そこで学んだ新しい何か」を弾いてみて、それが「弾くのが難しいもの」ならその場でしばらく反復練習する、ということを繰り返しています。その反復練習もタイマーで管理し、同じことを2分以上やらないといったややマニアックなことをやっているのですが、結構捗っています。
飲酒について
ところでお酒を飲んだ状態での練習をどう考えるべきでしょうか。意見の分かれるところだと思いますが、私の場合はアルコールが入った状態ではテクニック関連の練習はもう無理(押弦・運指・リズムの正確性等)。だから練習は飲む前。でもまだ練習をしていないのに飲んじゃった、という場合があります。
その場合は、上で述べた「探検」に該当する行為をします。ここでこう弾いたとする… 次は何を弾きたい? それは何処で弾ける? 何処で弾きたい? あ、そっちのポジションはこれ弾きづらい… 等々、こういう「考える」行為はお酒を飲んでいても「やっていい」ことだと思っています。
今日はきっちり練習してないのに飲んじゃったよ、練習したいけど飲み会が… という場合でも絶望する必要はありません(笑)ハーモニーの研究なども良いかもしれないですね。とにかくその際は、「いま自分がやっているのは技術の練習ではない」ということを自覚することが大事だと思います。
やっぱり効率的な練習は大事
時々「練習に効率を求めるなど、けしからん!」という感じの意見を見聞きすることがあります。何か「最近の若い者は、時間をかけずに手っ取り早く結果だけ求めようとする。そうじゃない。ぶっ倒れるまでがむしゃらにやれ。」という感じの意見です。そういう考えでうまく行く人もいるのかもしれません。
しかし例えば1日10時間集中力を持続させられる人はどれだけいるのでしょうか。そして本当は集中していないのに10時間楽器と過ごすことは大事なのでしょうか。
個人的にはそういう10時間よりも、本当に集中した3時間のほうがはるかに効果があると思います。効率的な練習は、それによって「楽ができる」からではなく、「短時間ならより集中できる」という理由で大事なのだと思います。
ある難しいフレーズを10回弾く練習をしたとします。もしそのうち5回がノーミスで、残りの5回でミスをしたら、それは全く練習をしなかったことと同じなのだ、とあるピアニストの方が言っていたのを思い出しました。