2012年にリリースされた”Star of Jupiter”は間違いなくカート・ローゼンウィンケルの代表作の1つに数えられるであろう超名盤だと思いますが、このアルバム制作についてのGuitar Playerでのインタビューで、カートが非常に興味深いことを語っていました(複雑な文なのでほんの少しだけ意訳)。
– このアルバム(Star of Jupiter)のプレスリリースの中で、あなたは「宇宙が話しかけてくるものに直観を用いて耳を傾けること」について語っています。このことについて、あなたの音楽、ギタープレイ、クリエイティビティに関する考え方と絡めてより詳しく説明してもらえますか。
カート: 僕の経験では、音楽における最も強力な瞬間は何かをやっている時よりも、ただ聴いている時にやって来るものだった。他のミュージシャンや、自分の内面空間にあるもの、僕と「宇宙」との関係であると想像している何かを聴いている時かな。その「宇宙」とは、相互に関係付けられているリアリティ全体に対する、メタファー(暗喩)のような名前なんだけどね。僕は曲を書く時、自分がそれを書いているようには感じない、僕はその曲を発見しているかのように感じるんだ。そして即興演奏中、自分が生み出しているもののボルトやナットをうまく操れるようには感じるけれど、音楽にとって本当に大事な材料は一種の瞑想状態、つまり宇宙に耳を傾けることによってもたらされるんだ。勿論、人間的な感情や、自分の人生を通じた個人的な表現といったものはある、でも僕の体験におけるより大きいパワーは、スピリチュアルな、あるいは宇宙的な(普遍的な)領野との直観的な関係性から生まれてくるもので、その宇宙的な領域の中で僕はほとんど完全な自己滅却、あるいは溶解 (almost total obliteration or dissolution) を経験することができるんだ。それは自己表現と呼ばれるものとはかなり違う種類の経験で、僕が音楽を演奏するためのモチベーションになっている。僕は音楽で自己表現することにあまり興味がない(笑)。僕は宇宙の波の中に溶解し、消滅してしまいたいんだ。
よく音楽は、そしてジャズは、自分の個人的な感情を表現するものだ、表現できるものだ、という言葉を耳にします。そういう音楽も、それはそれでありだと思うのですが、私自身はずっと「音楽を通じて自己表現をする」という言い方にビミョ〜な違和感を持ち続けてきました。何か曲を弾く時でも、自分をどう表現するかという発想はなく、とにかくその曲の良さを引き出したい、と考えることが多いです。
カートの音楽がずっと好きだったのは、カートの音楽によって好きだったわけですが、上の言葉を読んであらためてカートの音楽に惚れ込んだ理由の一つがわかったような気がしました。自己表現ではなく、聴取と理解、自己滅却による「宇宙」(相互に関連しあっている現実の総体)の発見。そういうところ、すごく共感します。
だいぶ前にカートがTwitterにベルリンの自宅の居間の写真をアップしていたことがあり、テーブルの上にはアルフレッド・ジャリの「ユビュ王」という戯曲本が転がっていたのを覚えています。シュルレアリスムの自動記述的なものとカートの上の言葉には何か関係があるような気がしてきました。日本の禅仏教にも通じるものもありそうです。
とはいえ、カートの言う「ほとんど完全な自己滅却、あるいは溶解」に至るまで、人はどれだけ多くの時間を自我との格闘、自我の打破のために費やさねばならぬことか!そこに至るために、ひたすら「ボルトとナット」を操作する練習が続きます。
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