「技に磨きをかける」ことについて、時々異なる意見を耳にすることがあります。まずマイク・モレノの考えをご紹介したいのですが、以前この記事で紹介した教則動画のティーザーで聞けます(1:45〜)。
Jazz is kind of put under this umbrella of like, spontaneity, and being in the moment, and all of that stuff is true, but at the same time, the people who do it on a very high level have spent countless hours perfecting how they play what they play.
ジャズは自然な発露や、瞬間の中に身を置くこと、みたいにまとめられることがあるし、そういうことは全部正しい、でも同時に、そういうことを高いレベルでこなしている人は、自分が弾くものをどう弾くか、その完成度を高めるために数え切れないほどの時間を費やしてきているんだ。
これは言い換えれば、自分が知っているフレーズや音型を、よりスムーズに、より完璧に弾けるように繰り返し練習すべだ、ということだと思います。技に磨きをかけよう、と。
ただ、これとは反対の考え方も見聞きします。だいぶ以前に読んだJazz Life誌で、とある日本のプロ・ミュージシャンの方が、クラシック音楽を練習するようにフレーズの完成度を高めるような練習をしてはいけない、と書かれていました(理由は覚えていません)。印象に残っています。
またマイルス・オカザキも教則動画の中で「同じ練習をやり過ぎると即興演奏が準備されたもの (worked outされた)に聞こえてしまう」からやり過ぎない、と言っていました。
自分でも不思議なのですが、マイク・モレノ側の意見、マイルス・オカザキ寄りの意見、どちらも真実味があるように感じます。ただモレノの言葉には「ジャズは自発性や、瞬間の中に身を置くこと、みたいにまとめられることがあるし、そういうことは全部正しい、でも」という部分があり、マイルス・オカザキ的なスタンスへの理解を含んでいるようにも感じます。
アマチュア・セッションに参加していると、うまいなぁ、と思う人は「グルーヴがあってフレーズも安定している」ことが多いように感じます。こういうプレイヤーの演奏には「ウォー!・イェー!」と私はなります。
「グルーヴはあるけれどフレーズのリズムが不安定になってしまう」や「グルーブはないけれどフレーズに安定感・流暢さがある」場合は、大きい拍手に繋がることはあっても「ウォー・イェー!」までは至らず、「ウォー!ムーン…」だったり「ムーン…イェー!」だったりします(※私感です)。
「技に磨きをかける」練習は、私は必要なことだと思ってやっているのですが、やり方に気をつける必要はありそうです。ひとつはっきり思うのが、自分がよく使うフレーズや、フレーズよりもっとサイズの小さい特定の音型があるとして、その運指が難しくてリズムがよれてしまうような場合、放置しておいて良いことは何もないだろう、ということです。
ジャズはアドリブだ、セッションのシナジーの中で生まれるケミストリーに価値があるのだ、という考え方も多いと思いますが、やはりそのケミストリーの効果を最大化するには、個人練習で自分のナイフを磨いておく必要があるのではないか、と思うのでした(※誰か刺すわけじゃないからナイフ以外の譬えが欲しいw)。