今日ソーシャルサイトで音楽の才能は遺伝が9割。スポーツの8割を上回る結果にという記事が回ってきたので読んでみたら、トンデモな内容でした。行動遺伝学・教育心理学者の著書を紹介しているのですが、その研究内容は別として、こんな文章に驚きました。
最も遺伝割合が高いのは音楽。スポーツを上回る様子は圧巻。センスがあるかどうかの世界だ。作曲はできない人には絶対できない。
こういう言い方は何の意味もないと思います。というのも、音楽をやりたい、という欲求が完全に除外されているじゃないですか。作曲できるのは、作曲したいと思って実際に作曲をする人だけ。やりたければ誰にでもできる。結果に優劣もない。
もし作曲能力がある程度遺伝で決定されているのなら(疑問ですが)、そういう遺伝子を持たない人はそもそも作曲したいという欲求は持たないのではないか。
パット・メセニーは、いつもステージに早く現れて練習するクリス・ポッターの勤勉な態度について触れるなか、こんな言葉を口にしています(ソース)。
“There are some musicians who are talented and see themselves as some kind of natural geniuses or something, because of a certain amount of natural ability. But that is often rarely the case over the long term. I would always contend that talent is an element, but over the long run, ultimately a minor part of it all; it is mostly hard work. Chris is a perfect example of that.”
才能があって、自分のことを生まれつきの天才か何かのように考えているミュージシャンもいる。自然とできてしまうことが結構あるから、という理由で。でもそれは長期的にはほとんど意味がないんだ。僕はいつも断固として言う。才能も一要素ではある、けれど長い目で見れば、才能が占める割合なんてほんのわずかなんだ。大部分は努力(hardwork)の産物だよ。クリスはその完璧な例だ。
日本語で「努力」と訳したところは、メセニーは”hardwork”という言葉を使っています。ハードワーク。一生懸命頑張るとか、真面目にやる、勤勉にやる、というニュアンスです。1日に8時間も10時間もずっと練習してきて、今でも6時間とか普通に練習しているというメセニーが言うとすごく説得力があります。
才能がある人はすごいなぁ、自分がダメなのは才能がないからだ、と人が言う時、それはハードワークを継続できない、ハードワークしたくない自分自身から逃れたいのではないか。メセニーにできて自分には何故できないのか。才能が、器が違うのかな。そんなことを考える前に、同じだけ練習してきたのかと自分に問いたい。
ではどうすればハードワークを続けることができるのか。やめずに続けられるのか。良い練習を継続できるのか。それを考える能力も、ある程度才能なのかもしれませんが、その才能は「育てられる」ものだと私は思います。本当にやりたい、音楽が好きだ、と思い続けていれば、その才能は絶対に伸びるのではないでしょうか。
音楽も、音楽をなしていく才能も、最初から与えられているとは思いません。音楽は獲得していくものだと思います。指が速く動くとか、音感がいいとか、そういう優劣は最終的な音楽の良し悪しと全く関係がないし、多くが努力でカバーできるレベル。才能がないとか言っても、何の意味もないと思います。