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意味性の希薄な、強度と密度のみで成立している音楽

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むかしある西欧人に、君は日本語の「センス」という言葉の意味を説明できるか、と問われました。あいつはセンスがない。あの人はセンスがいい。センスわる。このセンス最高。

どうも「センス」と呼ばれるものは、あったり、なかったり、あったとしても良かったり悪かったりするもののようだ。でも何だろう。「センス」って何だろう。

私が答えられないのを見て、その人はこう続けました。「ひとつの言葉にはいつでも複数の意味がある。センス、という言葉もそうだ。そこには、目的、意味、方向性、感覚、感触、官能といった、様々な意味が同時に込められているんだ…」

sense, sens, sensation, sensitivity, sensibility, sensuality, nonsense, senseless…

ハイスイノナサの音楽を聴いていると、変わり者だったその恩人を思い出します。彼等の音楽は、喜怒哀楽といった感情を伝えることが第一義では多分ないし、展開にも必然性が感じられない。目的地がプリセットされているように感じない、という点で、たとえばジャズ・スタンダードのような伝統的調性音楽とは何か違う。そして、それが気持ちいい。

何か様々なものが「剥ぎ取られている」と感じます。剥ぎ取られているものは、目的だったり、意味だったり、方向だったりするのかもしれない(※聴く側の感覚です。それにしてもパンク・ロックについて書いているかのようだ…)。で、こういう音楽が時々無性に聴きたくなるのですが、音楽技法的にはどのような要素が隠れているのだろう。

  • 異なる複数のパルスの併存(リズムというより、パルス。脈動)
  • 音響へのレスペクト(メロディ以前に特定の音響への偏愛が優先されている感じ)
  • 電子機器の積極的な導入(漢はアンプにシールド直結、みたいな価値観とは対極)
  • ミニマリズム
  • 沈黙とノイズの積極的な活用(ジョン・ケージを思い出すような)
  • 特定の方向を志向していないエネルギー、力の放散(調性音楽におけるドミナント・モーションのような力学とは異なる力の原理)

他にも色々ありますが、私がハイスイノナサに感じるのは主にこういうところ。どれもアマチュアギタリストとしてジャム・セッションで楽しんでいる種類の音楽とは全く違うので、それだけ心が惹かれるのかもしれません。

何というか、雨みたいに垂直に上から降ってくる音楽という感じがします。横方向の時間はあるけれど。かといって無時間の、リズムやパルスのない音楽とも違う。これが面白い。

ジャズ・オリエンテッドなミュージシャンたちも、「センス」から自由な音楽を志向したくなることがあるのでしょうか、rabbitooの音楽にもそういうところを感じます。

最近のジャズ系ギタリストで言うとヤコブ・ブローとマシュー・スティーヴンス。この2人は「ポスト・ジャズ」とも言える音楽に足を踏み入れているような気がします。勿論、ベン・モンダーもジュリアン・ラージもポスト・ジャズなのだろうけど、ブローとスティーヴンスは上で紹介したハイスイノナサを代表とする日本のポストロック的に近い何かを感じたりします。

むかしYMOという最高のテクノバンドがありました。私は彼等の音源が大好きでしたが、生身の彼等が「ライブ演奏」するYMOの曲は、個人的にはつまらないものに感じて失望したのを覚えています。YMOにはもっと無機質で非人間的なグルーヴを求めていたのだと思います。

しかし、上で触れたハイスイノナサ、rabbitoo、マシュー・スティーヴンスの音楽の不思議なところは、ヒューマンな要素というか、人間臭さがかなり残っている点、というか、それが積極的に導入されている感じがするところです。それでいて、いい。最高。

何か、自由になろうとしているのでしょう。自由を求めている人々の表現は、いつも最高。そして逆説的に官能性を感じたりするのが面白い。


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