「つらい練習」は続くわけはなく、そのまま続けるのは間違ったことだと思います。そのままつらさに耐え、盲目的に続けても、多分楽器や音楽をやめてしまうことになる。私の真面目な友達の何人かは、そうやって音楽をやめてしまいました。真面目な人ほどそういう傾向があると思います。
ここで誤解のないように書いておきたいのですが、押さえるのがやたら難しいコードの押弦に挑戦したり、動かない指を集中的に鍛えたり、フィンガー・ストレッチがきつかったり、300bpmで遅れずに循環の曲を弾いたりとか、そういうのは「つらい練習」とは呼びません(この記事では)。
「つらい練習」とは、自分がそれをやりたいと思ってはいず、何のためにやっているのかよくわからず、いつ効果が出るのかもわからず、そのために完全に集中することができないような練習のことです。
最近読んだ First, Learn to Practice (Tom Heany) (まず練習することを学ぼう)という本に、「練習は楽しいものでなければならないし、楽しくない練習は楽しいものに変える必要がある」ということが書かれていました。
著者はこれを説明するために、ある少年の例を出しています。その少年は毎日30分、親の命令でピアノの練習をしなければならなかった。彼は30分きっかりで練習をやめ、1秒たりとも余分に練習したりしない。かわりにピアノが終わるとすぐ庭に飛び出しバスケットのフリースローに熱中し、何時間もそれをやり続ける。
その少年にとってピアノの練習とバスケットボールの練習は、どこがどう違うのか。そしてピアノの練習を、バスケットボールの練習のように面白くすることはできないのか、と著者は考えます。
この少年がバスケットボールの練習に夢中になれるのは、次の要素があるからだ、と書かれています。
- 彼はまずバスケットボールに興味を持っている
- 彼はコントロールする立場にある
- 彼はそこにいたいと思っている
- 彼は自分が繰り出す動き(モーション)を楽しんでいる
- シュートが成功したかどうかの結果はリアルタイムに判明する
- 成功するたびにすぐ満足感を味わえる
- 彼はよりよくプレイする自分自身を想像している
これは楽しくないわけはないだろう、と著者は書いています。楽器の練習でも全く同じだと思います。最初の3点については大部分の人が楽器が好きで練習しているでしょうからそれは良いとして、「成功したかどうかがすぐわかる」というフィードバック・システムを持たずに練習している人は多いと思います。
5時間も6時間も練習し続けるためには、そもそも練習の意味がわかっていないと難しい。そしてこの練習は良い、これを続ければもっとうまくなる、という確信・フィードバックをこまめに持てるともっと理想的。
もし「一体何年先のことになるのかわからないけど、この練習は結構辛くて気が遠くなりそうなボリュームだけど、続けなきゃなぁ…」などと思いながらやっているとしたら、それは絶対に続くわけがない。
というのも、「つらい練習・いやな練習」を重ねるということは、自分自身に「つらくていやな体験」を叩き込んでいくことに他ならず、練習すればするだけ練習が嫌いになり、楽器も音楽も嫌いになるでしょう。
ある日、気合で10時間練習したけれど、翌日はどうも1時間も練習する気になれない。そんな場合はこういう悪循環に陥っていたりしないでしょうか。というか、私自身が若い頃はそうだったなあ、と今になって思います。
「つらい練習」は「楽しい練習」に変換すべし。そのためには具体的にどんな工夫が必要か。様々な事が可能だと思いますが、個人的には実践(本番)を想定して反射的に何かを弾いたり、ゲーム的な要素(例えばこの記事で書いた 1曲全部をメロディック・マイナーで弾く練習 等)が最近良いような気がしています。
たとえいまはつらく、意味がわからず、嫌なことであっても、続けるといいことがあるから、何も考えずに続けなさい。汗と涙を流して耐えなさい。あとできっと先生に感謝することになりますよ。
いや、私はそういう根性系の練習は無理です。指が痛いとか疲れるとかそういうのはいくらでも耐えますが、やっぱり楽しいのが良いです。一生続けることなので、楽しくないと続きません。