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練習 (practice) と演奏 (playing) を明確に区別する

よく言われることだと思うのですが、練習 (practice) と演奏 (playing) は明確に区別しておく必要があると思います。

最近、First, Learn to Practice (Tom Heany) (まず練習することを学ぼう)という本を読んだのですが、私がこれまで先生達に教わった練習態度、練習という行為について自分で気付いてきたことがコンパクトにまとまっている良書でした。

この本にも書かれていることですが、練習 (practice) と演奏 (playing) を混同するとなかなか効率が良くありません。さらに言うと、それは危険なことでさえあったりします。部分と全体、と言い換えても良いと思いますが、私自身若かった頃はこれにひっかかってずいぶん時間を無駄にしたように思います。

練習 (practice) とは

練習 (practice) と演奏 (playing) の違いは何かというと、前者は曲やフレーズの一部分を上手に弾くための部分反復です。例えば誰かのソロをコピーしていて、一箇所だけ難しい部分があるとします。他の箇所は大体弾ける。こういう時、その難しいところだけをピンポイントで反復練習します。

この部分練習の時は「身体の理想的な動き」に意識をフォーカスさせます。押弦する指の動き、ピックの弦移動、脱力具合、色々ありますが、とにかく集中するのは「身体の動き」。そして「音楽全体のフロー」については、ひとまず脇にどけておきます。

「音楽全体のフロー」をひとまず脇に置いておく、とは言っても注意しなければいけないのは、どんなフレーズやコードの練習をしていても、それは徹底的に音楽的に弾くべきだ、ということ。何故なら練習の時に弾いているものだけが本番の演奏で出てくるからです(基本的には)。

よくジャム・セッション等で、ソロの最中に「あ、この人のこの手癖のようなスケール上下行はきっと練習がそのまま出てしまったんだ」と思わされることがあります。勿論スケールの単純な上行下行が悪いわけではなく、それが非音楽的・メカニカルなものに聴こえることがあるのです。

部分を徹底的に練習する。リラックスした(脱力した)状態で、身体の理想的な動きを確認しながら、「うまく弾けた!」という体験を積み重ねていく。このプロセスは多くの場合、かなりの低速で行われると思います。音数の最低単位も2音だったりするでしょう。

(勿論、自分が現在弾ける以上の速さで弾く練習というのも絶対に必要ですが、それはあくまで自分が弾いている音が何であるか全て理解している、ゆっくりした速度でなら間違えずに弾ける、という前提の上で行ったほうが良いはず。これがあってはじめて、自分の限界を引き上げる練習に着手できると思います)

演奏 (playing) とは

こういう「練習」に対して、例えば1曲まるごと全体を止まらずに弾くことを「演奏」と呼ぶとします。これは部分を練習する時とはマインドを切り替える必要があります。

どんな風に切り替えるかというと、具体的には、部分を間違えたからといって止まらない(※何処で間違えることが多いかを確認するための場合は別)。また、意識をフォーカスするのは「身体の動き」よりもむしろ「音楽的なロジック」。練習を重ねた「部分」のことは、ことさら意識しない。

これについて、上述の本で著者は「演奏中に練習するのは、クルマを運転中にタイヤを交換しようとするようなものだ (Trying to practice by playing is like trying to change a tire while you’re driving your car)」 と書いています。とてもわかりやすい喩えですね。

いまこのフレーズを弾いている、次はどんな風にメロディーを繋げていきたいか。それを感じながら、最初から最後まで演奏する(1コーラスという単位でも良いと思います)。この「演奏」(playing) も、一日に一度はやったほうが良いと思いますが、注意すべきはこの「全体を通して弾く」ことをやりすぎないこと。

サッカーの試合で90分間走り回れるスタミナを付けるためには、90分間の試合にたくさん出る必要があるのはわかります。それと同時に、シュートを決めるにはシュートの練習を重ねる必要があります。

そして目指しているのが「シュートの精度を上げること」(弱点を補うこと)だとしたら、1度か2度しかシュートのチャンスがない試合に10回出て900分費やすのではなく、90分間シュートの練習をしたほうがはるかに効率が良いのは言うまでもありません。

人はどうしてもある曲、あるメロディーを「最初から最後まで聴きたい・弾きたい」という欲求を持っていて、それは自然なことなのですが、上で紹介した本には次のような興味深い言葉が書かれています。

Practicing requires that we do some things that don’t come naturally, and that we don’t do some things that do come naturally.
練習においては、自然には出てこないものをやる必要があり、自然に出てくるものはやらない必要がある。

曲全体を弾きたい、という欲求は自然なものだと思うのですが、もし曲の特定の部分がよく理解できていない、うまく弾けていない場合、その曲を通して何度も練習することは「うまく弾けなかった体験」を重ねることになり、それは「弾けない自分」を何度も再確認するというマゾヒスティックな行為に近いでしょう。

すると何が起きるかというと、練習しているその曲が嫌いになります。そして楽器を弾く自分自身も嫌いになってしまいます。これは何としても避けたい事態ですよね。

こういう場合、本当はより良い自分を目指して練習をはじめたはずなのに、実際は自分をより悪い状態に導いていることになります。「下手な練習休むに似たり」という言葉や、「練習は平気で裏切る」という言葉がありますが、それは多分、こういう場合のことを言うのでしょう。

止まらずに全体を弾き切る練習も本当に大事なのですが、練習 (practice) と演奏 (playing) を明確に区別し、全体を見据えた上で、いまこの部分を自分は強化しているのだ、という明確な意識を持って練習に臨みたいと思います(と、自分に言い聞かせるつもりで書いています)。


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