カート・ローゼンウィンケルは最新作”Caipi”をリリースするにあたって、わりと苦労があったらしい。どんなカテゴリーにも属さない音楽なので、どのレーベルもリリースを渋った。カテゴリー不明な音楽は、ショップのどの棚にも置けない。置けたとしても売れない。すまないね。そこで彼は”Heartcore”というレーベルを設立し、そこから”Caipi”を出した。
カートが感じたであろう「居心地の悪さ」は、わかるような気がします。何故なら、全く次元が違う話で恐縮ですが、私のような一般人でさえ常に「何かであること」を求められるからです。仕事の上でも、生活の上でも。お前は誰だ。職業は何だ。肩書は。何処に住んでいる。年収は。性的指向は。右か左か。仲間なのか、敵なのか。
しかしいちばん厄介、というか聞かれると面倒なのは「お前は何のためにそんなにギターを練習するのか。これからの人生どうしたいんだ。プロを目指しているのか」という感じの質問です。
どうもある種の人々にとって、楽器を1日に何時間も練習する人は、プロを目指していないといけないらしい。私にはプロになる能力がないのはまず前提としてあるとして、プロになろうとしているわけではないと答えると、「そうなんだ。じゃあアマチュアでうまい奴を目指しているのか」と聞かれることも。
アマチュア、という言葉は元々「愛好家」という意味なので、その意味で私はアマチュアなのは間違いないのですが、時々アマチュアを蔑視する表現を見聞きすることがあります。アマだからね、とか、所詮アマ、とか、アマにはわからない、等々。まるで世の中の楽器演奏者はプロかアマのいずれかのカテゴリーに属していることが前提であるかのようです。
人はすべからくプロを目指さねばならぬ。人様からお金をいただけるような演奏をして、音源を発表して、定期的にライブを行い、講師業もやったりして、音楽で生計を立てねばならぬ。アマチュアとは未だそのようになれていない、ある種「劣った・または発展途上の連中」なのだ、という意識が、音楽の世界ではかなり持たれているのではないかという気がします。
私は「プロになる」という目標を持っていないので、こういう文脈の話に巻き込まれたるたびにかなり違和感を覚えます。何故そういう二元論で考えなければならないのか不思議です。
来週はもうちょっとこれを弾けるようになりたい。来月の終わりまでにハーモニック・マイナーの4度積みを正確に使えるようにしたい。来年の今頃はこのコンセプトで自在に弾けているといいな。60歳くらいになったら、亡くなったジム・ホールと自分なりにメロディを交換しあえるレベルのギタリストになっていたい、そのために頑張りたい。そういうぼんやりした希望や目標はあります。
プロになりたいわけではないし、他人より上手くなりたいという発想もない。それは私にとっては価値のあることではありません(プロの方も上手な人も尊敬はしています)。今日は昨日の自分よりも少しだけ良い演奏ができるようになりたいとは思います。比較の対象や基準があるとしたら常に自分自身です。
でもこういう感じの音楽との向き合い方は、もしかするとカテゴリー不明なので扱いにくいと思う人々がいるのかもしれません。こういう考えの奴は、棚に置いて流通させにくい。非常に厄介だ。上下関係の中に組み入れにくい。と思われることも、もしかしたらあるのかもしれません。
音楽を楽しみ、音楽の研究をして、楽器の練習をすることは私の生活の一部で、そこで得られる個人的な知見によって、職業人としての自分、社会における一個人としての自分自身も、少しづつではあるものの、改良できると思っています。
うまく伝わるかどうかわかりませんが、私が何のために音楽をやっているかを言わなければならないとしたら、それは「ライフスタイル」ということになるのだろうと思います。
例えば何かを円滑に遂行するために、対象全体を俯瞰し、細部を観察し、問題を特定してそれを改善する、といった基本的な手順はどんな職業にも共通しているはず。PDCAを回すといった実務的な面においても、利害調整の果てに政治的判断を求められるような時でも、音楽との取り組みの中で得られたインサイトはいつも役に立っています。
音楽と付き合い続けていると、明らかに自分の日々の活動や人生そのものが良い方向に向かっているように感じることが多いです。それは楽しく、喜びでもあります。そのため「そんなに練習して、プロでも目指してるのか」とか「所詮アマ」みたいなことを言われると、やはり当惑することが多いです。何故いつもそうした物差しで測らなければならないのか疑問です。
音楽は楽しいし、与えてくれる。私にとって音楽は武器ではないし、奪うためのものでもありません。コミュニケーションの手段ではあるけれど、相手をやりこめるディベート的なスキルでもありません。自分を立派に見せるツールでもない。自分の能力を証明するための手段でもない。
何故プロかアマでないといけないのか。ライフスタイルとして音楽をやっていたっていいじゃないか。ジョギングする人はみなプロのアスリートを目指しているかというとそうではないし、現代美術家としては一切名前は知られていないけれどコツコツと謎のオブジェを制作している表現者もいる。そういう人、少なくないと思うのですがどうでしょう。
高校生の頃、大学生の頃は、プロの音楽家になりたい、音楽で生活していきたい、と思ったことはあります。でも現在の私と音楽との関係は、その頃よりもずっと良好です。
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