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韻を踏むのはもう古いらしい

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最近のフリースタイルダンジョンでは、下のような感じのやり取りが目立つようになってきた気がします。

「おいコラ韻を踏んでみろ、韻踏まねーのはラップじゃねーんだよ」
「韻なんか踏まねーよ、ヒップホップってのは自由になることなんだ」
「踏めねーんだろお子ちゃまよ」
「説教してんじゃねーよオッサン」

みたいな応酬です。これ面白いテーマだなぁと思います。過去記事でも書いたと思うのですが、ライム(韻を踏むこと)はジャズの即興演奏で言えばモチーフの展開に似ているところがあると思います。同じリズム型を反復したり、近いインターバルを使ってある表現を繰り返す。すると表現に一貫性や強い説得力、破壊力や美しさが生まれる。

韻を踏むという行為は「反復」の一様態で、「反復」は多くの場合、気持ち良い表現になる(場合によっては退屈にもなるけれど)。繰り返す、というのはカッコいい。気持ちいい。「反復」はちょっとまじめに考えたい表現手段。

フリースタイルのラップでも言葉を使ってそういうことをやるわけで、T-PABLOWなんかは最高にカッコいいライムをやるので私はファン。ある意味、正統派の王道のスタイル。ギタリストで言うとジム・ホールやギラッド・ヘクセルマンに通じるものがあります(私感です)。反対に漢 a.k.a GAMIというラッパーは、カッコ良く韻を踏むことを意識的に拒否している感じがあり、ライムに頼らない独特の推進力を武器にフローを維持していく人で、T-PABLOWとはまた違った魅力と実力を持った人だと感じます。

ジャズ・スタンダードをベースにアドリブする場合など、どうやっても「その曲」をやっているわけで、「主題と変奏」という図式から逃れる必要はないと思うのですが、以前ベン・モンダーが「バースの掛け合いではあえて相手に反応しないようにすることがある」という興味深いことを言っていました。バンドとしての統一感が出すぎてしまうから、という理由だったかな。これは「あえて韻を踏まない」ことと少し似ているような気がします。

洗練されすぎると、完成度が高くなりすぎると表現は退屈になる、ということも言えるでしょうか。

主題があり、変奏する。あるアイデアを少しづつ発展させていく。それはとても面白いことだし、訓練は必要だけれどやり甲斐もある。同時に「俺は韻なんか踏まねーよ」という考え、表現に連続性ではなく切断をあえてもたらすような方向性も面白いとあらためて思いました。フリージャズもそんな感じで発生したんじゃないのかな。

ライムがあってもなくても、説得力のある表現となるためには相当の実力が必要だと思います。韻を踏んでいれば必ずカッコ良くなるわけではないし、踏まなければ誰でも漢 a.k.a GAMIになれるかというとそんなこともない。どちらも訓練と実力が必要なのでしょう。どちらの場合でも、感動や退屈が待っている。どちらでも自由を獲得できるし、不自由になることもある。

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