話題に上る機会は少ないのですが、スタンリー・ジョーダンというギタリストがいます(先月、2017年1月に来日していました)。両手タッピングでまるでピアノを弾くようにギターの指板を叩き、むかし時の人になったことを覚えている方も多いのではないでしょうか。
Photo by chascar / CC BY-SA 2.0
エディ・ヴァン・ヘイレンやイングヴェイ・マルムスティーンのような両手タッピングでジャズを弾くので、当時は「あんなピロピロはジャズじゃない」などと揶揄する人も多かったように思います。でも、私は結構好きで何枚かCDを持っていました。”Magic Touch” の”Eleanor Rigby” とか、Led Zeppelinのカバーとか、奏法の特殊性を越えたところでこの人のメロディセンス、歌い方が好きだった記憶があります。
言ってみれば「ギターとピアノの垣根を越えた」スタンリー・ジョーダンですが、近年は「男と女という性の垣根」も越えた感じになっているようです。外面的にはストレートの長髪になり、女性的な服を着ることも多いらしい。下は2013年のスタンリー。
この彼の変貌ぶりに対して、YouTubeなどではスタンリーに対して侮辱的なコメントを目にします。かつてスタンリーのメロディに耳を傾けない人々が、彼の奏法だけを好奇の目で見てバカにしたように、最近はスタンリーの外見上の変化が好奇の目に晒されているようです。
しかしJazzTimesの Stanley Jordan: “My Spirit Transcends Gender” (「私の魂はジェンダーを超える」) というインタビューを読んで、スタンリー・ジョーダンという人が表現者として驚くほど一貫性を持っている人であることを知り、私はこの人がさらに好きになりました。
スタンリーは2010年頃、お店で女性ものの花柄ブロケードのミニドレスがすごくいいなと思って、彼女のために買うんだと店員に嘘をついて自分のために買った。そしてホテルに持ち帰り、鏡の前で着てみた。その時の女性的な外見、自分の身体の女性的な要素に衝撃を受けた。そして自分の身体の男性的な部分と女性的な部分が調和的に融合していることに気付いた。
本来私は女性だったのだ、とか、そういう話とは少し違うらしい。自分をトランスジェンダーと思うか、と聞かれたスタンリーは、わからない、正直なところ、自分は「スタンリー」というラベルがいちばん良いということ以外わからない、と答えています。スタンリー・ジョーダンは自分の内面に正直な人なのだと思います。
ギターをタッピングしたかったのも、とてもそうしたい、そうするのが自然だという自分があったんじゃないのかな。女性的な服を着るようになったのも、ドレス・ショップの前で美しい服を見て感動し、あれを着てみたいと思ったから。ギターかピアノか、男なのか女なのか、という区別は、スタンリーにとっては恐らく表層的で単純すぎて面倒臭いものなのでしょう。大切なのはメロディ、大切なのはスタンリーという自分。そういう生き方なんだろうなと思いました。
外見上の変化が彼の演奏に影響を及ぼしたかと聞かれて、スタンリーは同インタビューの中で次のように答えています。
自分の音楽における表現性はより深くなったように感じているし、心がよりオープンになったせいでアイデアがより自然に流れるようになっている。本物 (authentic) であるためには、私は自分のアイデンティティを構成する要素の全域を表現する必要がある。でもそれは、この外見しかないとか外見Aから外見Bに変わったとかいう次元の話ではない。もっと、フロー(流れ)に自由に身を任せるということ。朝、目を覚まして「今日は赤いストライプのタイにしようか、それともブルーとグリーンのタイにしようか?」と考える人みたいに。みんなと同じようなことだよ、ただもう少しバリエーションがあるということさ。私は自分がより居心地良くなるためには、一般的な基準よりも多くのバリエーションが必要だということに気付いたんだ。
そしてジャズにおける男性性と女性性についても興味深い発言が。
ジャズの世界には2つの基準がある。ジャズ・ワールドは非常に男性的だ。リーダーが多くの場合、男性だからというだけでなく、男性的なエネルギーがとても高く評価されるんだ。それは私がジャム・セッションに飽きてしまった理由の一つ。だってジャム・セッションはテストストロン過多だからね。何もかもがエゴであり、ソングへの尊敬もなく、メロディのコンセプトもない、ニュアンスもない。彼らはテーマを演奏すると、「OK、テーマは終わった。あとはぶっ放そう!」となる。古いジャズメン (the older cats) はそんな感じではなかった。彼らは音楽と、ある種の関係を持っていた。そしてその関係は、女性的なクオリティの一つだったと思うんだ。それは失われてしまっているんじゃないかと私は思う。
男性的なエネルギーはパワフルで強制的な力がある。でも私は、ジャズはそれを克服する必要があると思う。楽器を振り回して技巧を見せびらかすようなことがたくさんある。女性的なエネルギーは、もっと音楽との関係に関わるもの、音楽がどのように人を導いてくれるかに関わるものだ。それはシンプルで美しい。それは人を裏切らない。それは複雑なものにもなりうるけど、そうなったとしてもアイデアが流れる(フローする)からであって、自分のすごさを証明しようとするからじゃない。自分の本当のバランスを見つけることで、私は自分の音楽を深めることができている。どちらのエネルギーも良いものだ。ミュージシャンはそれら2つのエネルギーのあいだの適切なバランスを見出すために、自由であるべきなんだ。
スタンリー・ジョーダンのこの言葉を読んで、人は彼のギターを「ピロピロ」などとバカにできるでしょうか。最近の彼の女性的な容貌を揶揄することができるでしょうか。後ろ指を指すことができるでしょうか。YouTubeのコメント欄に悪口を投稿することができるでしょうか。できるわけないよね。と私は思うのであります。
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