パット・メセニーが アメリカの “Vintage Guitar Magazine” のウェブサイトにて、これまでに所有・使用してきた様々なギター、及び音楽観について語っている長文インタビュー記事を見つけました。既に各所で話題になっているのでご存知の方も多いと思うのですが、個人的に面白いと思った部分をいくつか紹介します。
- ギタリストであることに誇りを持っているし、ギターという楽器についてもよく知っているけれど、ギターは常に自分のアイデアを外化するための道具であり、「翻訳装置」 (a translation device to get ideas out) だった
- チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンといった人々の言語に取り組みたかったら、人生のうち何年かは完全にその中にどっぷり浸かる必要がある。だから自分はジミ・ヘンドリックスの音楽やギターの基礎的なことをたくさん見逃してしまったかもしれない。「ソニー・ロリンズは1959年頃どんな演奏だったろう?」みたいなことに夢中になっていたから
- 11歳の時、父親の許しを得て自分のお小遣いで購入したGibson ES-140が人生初のギター。自分へのクリスマス・プレゼントだった。カー・ディーラーの父親が交渉して75ドルのところを60ドルにまけてもらった
- ちょうどその頃、兄がマイルス・デイヴィスの “Four And More” を家に持ち込んだ。野球のバットで頭を殴られるくらいの衝撃を受けた
- Ozarkという航空会社の飛行機に乗って家族で祖父に会いに行く時、預け入れたES-140はケースの中で粉々になった。父親が「あれは100ドルしたんだ」と文句を言ったら100ドル補償してもらったので、そのお金でFender Mustangを買った。でもそのムスタングは全然自分には合わなかった
- やっぱり自分はES-140みたいなギターが合っていると思って色々探していたらES-175を発見した。120ドルのところを父が100ドルにまけさせた
- その時、同時に’58 Fender Precisionを75ドルで買わないかと言われたので父と自分は60ドルでそれを買った
- その’58 Fender Precisionはやがてジャコ・パストリアスの愛機となり、次にマーク・イーガンの手に渡り、その次はスティーブ・ロドビーのものになったが、最終的にはアルゼンチンで盗まれてしまった
- 近所に住む友達のお父さんがエレキギターを持っており、”Jazz Guitar Method By Ronny Lee, Vol. 1″ (Mel Bay出版)という本をくれた。ジャズのコードを教えてほしいと言うと彼は、「F」を知っているだろう、そこから人差し指を浮かせるとFMaj7になるんだ、と言った。そのコードは「ジャズ」だと思った
- 13歳の時に「本当に良いギターはピックアップが2つあるものだ」と思い込み、ES-175を工作の授業に持ち込んで、もともとワンハムだったのに穴をもう一つ開けてギブソンのピックアップを装着した。でも全然良い音ではなかったので、以来、黒いガムテープで穴を塞ぐことになった
- そんなふうにいじりまくったES-175のブリッジやネックを毎日調整するのに疲れていた頃、アイバニーズとの出会いがあった。そのES-175は一度もメンテナンスに出したことはなかったし、リフレットしたこともなかった
- アイバニーズのギターはパイステのシンバルのように、個性がない。楽器屋にふらっと入って手に取ったアイバニーズのギターで僕はすぐにライブをやることができる。アイバニーズのそのニュートラルなところ・無個性さが好きだ。入力したものをそのまま出力してくれる。ドキュメンタリーのようだ
- 高校生の時、ES-150を持っている友達がいた。素晴らしいギターだったが、B弦がうるさすぎるのと、ビビりとハムノイズで困った
- ナッシュビルでギグをやっている時、有名なGruhn’sというギターショップで試奏したES-150が素晴らしかったので、紆余曲折あった末にそれを買った
- チャーリー・クリスチャンが使っていたES-250(Lynn Wheelwright所有)を弾いてみたら最高だった。ES-150とはかなり違うギターで、L-5に近い単板削り出しギターだった。一日中弾いていられるくらい良いギターだった
- 5年前に生産されたばかりだけれど毎日18時間演奏されてきたギターは、1932年に製造されたけれど1度も弾かれなかったギターにはないものを持っている。ギターはどれだけ弾かれてきたかが大事だ
- 自分はいま中年男性がハマる「ギター収集病」に罹っており、チャーリー・クリスチャンに関係するものに夢中だ
- チャーリー・クリスチャンがレス・ポールにプレゼントしたES-250をオークションで手に入れた
- オランダのダニエル・スレイマンのギターを使うようになったのは、彼がチャーリー・クリスチャン・ピックアップを制作しているだけでなく、チャーリー・クリスチャン的なギターを再創造しようとしているからだ
- ダニエル・スレイマンにはES-150とES-250の中間的なギターでポールピースが調整可能なものが制作できないかを相談した。またハイポジションも弾きたいからカッタウェイも追加してもらうことになった
- 近所に住んでいた、自分にジャズのコードを教えてくれたおじさんが亡くなったとの連絡があり、そのおじさんの’56 Gretsch Chet Atkins 6120を購入することになった。それは自分が最初に目にしたエレクトリック・ギターだった
- 1968年にアッティラ・ゾラーにギターを教えてもらうことになった。彼は自分をニューヨークのいろいろな場所に連れて行ってくれた。ゾラーは自分がはじめて会うプロのジャズギタリストだった。一緒にジム・ホールやロン・カーター、ビル・エヴァンス、フレディ・ハバードを観に行った
- ゾラーの愛機Höfner/Zoller AZ Standardはいま自分が持っている
- ウェス・モンゴメリーが愛用していたギターを、いろいろあってジョージ・ベンソンから売ってもらった。それはMovin’ Wesに写っている1961 Gibson L-5 CES(2ピックアップ)である。ベンソンは最初のCTIのアルバム数枚でそのギターを使用した
- Ibanez PM-100等のダブルカッタウェイモデルもあったが、最近はシングルカッタウェイをよく使うようになっている
- アルバム “Secret Story” は半分の曲でES-175を、半分の曲でアイバニーズのプロトタイプ・シングルカッタウェイギターを使っている。どの曲をどのギターで演奏したか、正確に当てられる人はほとんどいない
- ジミー・ダキストの弟子でカナダのラリヴィー・ギターで働いたこともあるリンダ・マンザーとの出会いは1982年。彼女が楽屋に持ってきたギターを弾いて感動した。その時弾いた “Linda 6″ はそれまで弾いたどのギターとも違っていた
- 自分がギターに求めているのは、ロー・ポジションからハイ・ポジションまで、「全体が一つ」のものとして繋がりが良いということだ。リンダ・マンザーのギターにはそういうバランスの良さがあった
- チャーリー・ヘイデンとの “Beyond The Missouri Sky” は “Linda 6″ を多用した。そのアルバムはマンザー・ギターのデモ・アルバムであると言っても過言ではない
- 旧ソ連をツアーしている時、キエフ(現在のウクライナの首都)でジャム・セッションへの誘いを受けた。乗り気ではなかったが、KGBのメンバー的な人物に「参加しなければならない」と言われたので、やむなく参加して、素性のよくわからないポーランド製のギターとアンプで5000人の聴衆を前に演奏した。本当は自分自身の楽器を使いたかった。その演奏はソビエト中でラジオ放送されたが、ホテルでそれを聞いているといつもの自分の音がした。まるでいつもの自分の機材を使っているかのような演奏だった。それは大きい発見だった
- 機材は重要だ。しかし本当は機材は重要ではないとも言える。ジェフ・ベックに僕の機材を渡しても、彼はジェフ・ベックのようなサウンドで弾くだろう。そしてその逆もあるだろう
- ある水準に達したプレイヤーは、どんな機材を使っても自分の音が自分に「付いてくる」 (“you carry it with you”)
- ピアノやサックスはいつも全方向から音が聞こえてくるような気がするのに、ギターだけは一箇所から聞こえてくるような感じで嫌だった。そこで3台のアンプとディレイを使うことにしたら、全てが変わった
- それは「コーラス」とは違う。ステレオ環境では実現できない音であり、3台のアンプが必要だ
- 僕はスーツを着るような感じで、両親に向けて音楽を演奏したことはない。友達に向けて演奏してきた
- 恐らくこれまでの人生で聴いた最高のギタリストはパスカレ・グラッソ(Pasquale Grasso)だ。彼は驚くほど音楽的で難しいことをやっている
- 僕が最近よく耳にするタイプのギタリストは「ちょっとメセニー・ちょっとスコフィールド・ちょっとフリゼル」な感じだ。でも彼らはメセニーもスコフィールドもフリゼルも聴いていない、いつも聴いているのはグラント・グリーンだと言い張る。「本当?」と思うことがあるよ(笑)
- パスカレ・グラッソには全くそんなところがない。彼はバド・パウエルをギターでやろうとしているが、そうしたことは前例がないから本当にエキサイティングだ
- 僕は常に新人に対して開かれた人間でいたい。自分にできることがあるなら貢献したい。何故なら14・15歳の無名の僕を、アッティラ・ゾラーやゲイリー・バートン、スティーブ・スワロー、ボブ・モーゼス、ミック・グッドリックたちが助けてくれたからだ。ジャズはそんなふうにした進化してきた。どんな楽器のプレイヤーでも才能がある人間に出会ったら、一緒に遊びに行こう、って言う
- これまで演奏してきた人たちとはこれからも演奏できるし、したい。パット・メセニー・グループは消滅したわけではない。パット・メセニー・グループは最初からずっと存在し続けてきた。僕は現在の自分の興味感心・本能に従って、次に何をすべきかを決めているだけだ
- 過去のヒット・ナンバーを過去のセッティングで再び演奏することは、興味がないから避けてきた。しかしそうしたくないから、ではない
- 今までやってきたことは最高に楽しかったし、いつでももう一度やれる。いつでも最高だった。だから「俺はなんであんなことをしていたんだろう?あんなことはもうやらないよ!」などと思ったりはしない
これほどまでに「楽器としてのギター」について語るパット・メセニーはなかなか珍しいです。メセニーが機材・ハードウェアに対して大きいこだわりを持っているのは周知の事実ですが、同時にどんな機材でも自分の音になるんだという(一見すると機材へのこだわりを否定するかのような)意見、そして現在はコレクター的な傾向が出ているという発言など、大変興味深い内容です。そしてあのES-175に施された「蛮行」のエピソードも面白かったです。
このインタビュー自体は初出が2016年2月の “Vintage Guitar Magazine” という雑誌らしく、つい数日前に同誌のウェブサイトに内容がそのまま転載されたということのようです。とはいえかなり最近のメセニーの楽器感・音楽感がわかる内容になっています。特にチャーリー・クリスチャンについては並々ならぬ感心があるようです。恐らくジャズ・ギターのルーツを辿りまくって行った結果、クリスチャンに至ったところなのでしょうか。大変興味深いですね。温故知新といったところでしょうか。
そして若いミュージシャンを育てたいという彼のゴッド・ファーザーぶりにも感動します。エスペランサ・スポルディングもメセニーの援助がなければ発掘されていなかったかもしれないのは有名な話です。スーパープレイヤーでありながらジャズというジャンルに対してこれだけの責任感と使命感を持っているメセニー。ミュージシャンというより、まず人として尊敬せざるをえません。
リットーミュージック
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