「コンテンポラリー・ジャズ(・ギター)」とは一体どのような要素で構成されているのでしょうか。
「あの人のプレイはコンテンポラリーだ」とか、「コンテンポラリー系のジャズギターが好きです」といった風に、普段何気なく「コンテンポラリー」という言葉が使われていると思うのですが、果たしてその正体は? 実像に迫るべく、少し考えてみたいと思います。
ハーモニー
まずハーモニーの面を考えてみます。コンテンポラリー・ハーモニーについては、ミック・グッドリックが “The Advancing Guitarist”(日本語版)で以下の例を挙げています。
- 4度和声に関係するもの全て
- トライアド・オーバー・ベースノート(スラッシュコード)
- シンメトリカル・ディミニッシュト・スケールに由来する様々な構造
- 半音を内包する様々な構造(時にこれらの構造はフレットでの押弦と開放弦をミックスしたボイシングを含む)
- b9インターバルを内包する構造
確かにコンテンポラリー系のジャズ・ギタリストはこれらの要素を多用する傾向があると思います。私の考えでは、これには大きく2つの理由があると思います。
まずは機能和声(functional harmony)からの緩やかな離脱が志向されているということ。調性音楽に依拠しつつも、調性感の希薄な、浮遊感のある4度堆積が活用される。シンメトリック系スケールから派生するトライアドの多用も「調性の揺らぎ」を(結果的には)志向している。
同時にこれは「新しい響き」それ自体の探求でもあるように感じます。半音やb9インターバルを内包するクラスター・ボイシングは、非・機能和声的な文脈で使用されているものもあるけれど、純粋に「そのサウンドが理論を越えてインタレスティングだから」使われているということが多いのではないかと思います。
これを書いていて、私はジム・ホールのことを思い出します。最初のコンテンポラリー・ジャズギタリスト、それはやはりジム・ホールだったのだろう、と。
リズム
コンテンポラリーなリズムの探求については、馬場孝喜さんが jazz guitar book vol.23 (2009) で次の4つの特徴を挙げられています。
- リズム・ディベロップメント(音価の変更・開始位置の変更)
- リズミック・ディスプレイスメント
- 奇数割りフレーズ
- 変拍子の多用
最初のリズム・ディベロップメントはモチーフ・ディベロップメントの一部として説明されています。やはり私はジム・ホールのプレイをすぐに思い出してしまいます。リズミック・ディスプレイスメントとは、フレーズのオリジナルのリズム形を保持したまま開始点を変更して配置(演奏)することです。
ところでこの本で馬場さんが書かれていることはとても面白くて、ある意味「バップの特徴」を外していけばコンテンポラリーな雰囲気になるという考え方です(ということはバップを一度きちんと通過していることが大事…なの「かも」しれませんね)。
これらのリズム上の工夫は、多くの場合強拍にコードトーンを持ってくるバップ的なフレージングを「脱臼」させることになります。バリー・ハリスさんに聞かれてしまったら正座させられて3時間説教されそうなフレージングになります。
またバップ的なクロマチシズムをよく理解していなければ、気付かないうちにバップ的なフレージングをしてしまうこともあるでしょう。やはりバップはきちんと通っておいたほうが良いと思います。最終的にマイク・モレノやベン・モンダーのような、バップフレーズを全く弾かないプレイヤーを志向するとしても。
スケール
スケール面ではどうか。これも馬場さんが前述のムック本で次の点を挙げられていました。
- メロディック・マイナーとその転回形がより積極的に活用されている
- 中でもリディアン・オーグメント・スケールが多用される傾向にある
- シンメトリック・オーグメントの頻出
これらの特徴は、もしかすると一時的な流行なのかもしれませんが、確かにここ15年くらいのコンテンポラリー・ジャズシーンの大きいカラーだと感じます。これも少し大きい視点から見るなら、やはり「機能和声から少し遠ざかること」という共通点があるような気がします。
何十年も前にマッコイ・タイナーやマイルス・デイヴィスがモード・ジャズで意図した方向を少し違う角度から追っているような気もします。機能和声の強い解決感を嫌ったという意味ではモーダル・ジャズも同じような動きだったと思います(モードの上でバップフレーズを弾くプレイヤーが沢山出てきたけれど)。
他にスケールとしては、シンメトリック・オーグメント以外のシンメトリカル・スケールの探求、そして「インターバリック・ストラクチャーを基礎とした独自スケール」の使用があると思います。
「インターバリック・ストラクチャーを基礎とした独自スケール」とは、正式な呼称が別にあるのかもしれませんが、例えばベン・モンダーが実践しているようなものです。自分自身で特定のインターバルに基づいた規則性のあるスケールを生成し、その各モードを曲のメロディやソロで使用する。
あとはニア・フェルダーのようなクロマチシズムの探求でしょうか。しかしフェルダーは、彼のクロマチシズムには法則性がないと語っています(バップで使われるようなエンクロジャーやダブル・クロマティック・アプローチのような便利な概念はない)。整合性のある理論では説明できない弾き方をしているらしい。
フィンガリング
奏法的な面で、やはり馬場さんが「ホリゾンタルなフィンガリング」をコンテンポラリー系プレイヤーの特徴として挙げられています。バーティカル・ポジションは便利ですが、コードに対してフレーズを弾く、というアプローチになりがちで、そこから自由になるために横移動が理想的ということでしょう。
これはオズ・ノイやニア・フェルダーも教則動画でよく強調するところです。ジム・ホールやミック・グッドリック(「ユニター」理論)、ジョン・アバークロンビーがよく言う「1〜2本の弦だけで弾く練習をしなさい」にも関係すると思います(バップ的なリックを弾けなくなるという意味で)。
音響の追求
音響の追求、というとわかりにくいかもしれませんが、これは「音程」や「リズム」等の、五線譜上で記号化しやすい要素以外のものを追求することです。具体的には、エフェクターを多用したり、ノイズを導入したり。
この方面で思い出すのはジム・ホール、ビル・フリゼール、ベン・モンダー等々。思えばメセニーのディレイ、ジョンスコのディストーションもこの次元で観察できる現象だったのかもしれません。
カート・ローゼンウィンケルがボイスのオーバーレイを導入したのもこの次元で捉えられるような気がします(カートのボイスはジョージ・ベンソンのようなスキャットとも、キース・ジャレットのようなうめき声 (groan) とも性質を異にしているます。例えば「ギターのサステインが足りなかったから声で補おうと思った」や「声で9thを重ねたいと思った」という発想)。
「アンプ直結のクリーントーン・ジャズギター」である必要は、必ずしもないだろう、というところから来ているのかもしれません。また、これは古くは「店のピアノの壊れたキーを意図的にたくさん弾いた」セロニアス・モンクや動物の鳴き声のようなエリック・ドルフィーのサックスまで遡れるのかもしれません。
形式
ジャズ・スタンダードの場合、昔も今もクラシック音楽におけるソナタ形式の「提示部・展開部・再現部」に近い構成で演奏されるのが常だと思います。コンテンポラリー系プレイヤーはこの形式にこだわらずに演奏することがありますね。いきなりアドリブ(展開部)からはじめ最後に主題の提示がある等。
コンテンポラリー系プレイヤーによるオリジナル曲はもはやこういうソナタ形式ではなくなっていたりすることもあるようです(が、この場合はもはやジャズという言葉で認識されないことも多い)。
結局のところ
他にも単純に8分音符をハネすぎないといった細かいもの等、「コンテンポラリー」の特徴は他にも色々あるかもしれません。恐らく大きな、本当に大きな視点から見ると、とにかく色々な縛りから自由になることを目指してこうなっているのだろうと思います。キーワード、それは「自由」。
結果的にぱっと聴いた感じ複雑な音楽になることもあり、「コンテンポラリー系のジャズは、あまり好きではない」という感想を持つ人もいるようです。これはまあ、仕方のないことですね。自分自身の感覚が何をどこまで許容できるか、それは本当に百人十色。皆が同じものを好きになる必要もないと思います。
そしてこの記事を書いていてあらためて思いました。ジム・ホールって本当に、本当にすごい人だったんだな、と。この記事を書こうと思ったのも、最近ずっとジム・ホールばかり聴いていたからかもしれません。今日は “Jim Hall In Berlin” と “Where would I be?” を聴いて涙が出そうなほど感動したのでした。