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リックとスタイルを巡る雑感

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「リック」とはそもそも何でしょうか。良いものでしょうか。悪いものでしょうか。使っていいのでしょうか。使わないほうがいいのでしょうか。

言葉の定義を見ると、英語版Wikipediaでは、リックは「短い音の連続から成る『ストックされたパターンまたはフレーズ』であり、ソロやメロディーライン、伴奏において使用される」と説明されています。

一方フレーズは「作曲や演奏活動において、連続する旋律的なノートをグループ化する概念のこと」と説明されています。どちらも簡潔でわかりやすい定義だなと思いました。

リックと呼ばれるものは多くの場合長いものではないし、時にはある種のフレーズもリックと呼ばれると思います。また、蓄積されたパターンであってもサイズが大きい場合(例えば1小節1コードのii-Vフレーズ等)リックよりフレーズと呼ばれることが多いと思います。

言語学的な文脈におけるフレーズが「文」だとしたら、リックは単語や熟語、大きくても句、ぐらいのイメージでしょうか。

ジャム・セッションでスタンダードが演奏される時、そのソングは多くの場合様々なメロディから構成されていて、それらのメロディは種々のフレーズやパターンから構成されている。それらのフレーズやパターンは、リックと呼ばれることもある。フレーズがリックを部品として内包していることもある。

そんなところでしょうか。説明しようとすると難しいですね。さてそのリックについて、Ran Blakeというピアニストが “Primacy of The Ear” という著書(かなり面白いのでいずれ紹介したいと思います)で次のようなことを書いていました。

もしあなたの音楽がリックを含んでいる場合、それらのリックはあなた自身がデザインしたものであるべきだ。ヒッチコックは数多くの映画で、いくつかの非常に似通った要素を取り上げるのが常だった。警察、パラノイア、電話ボックス、罪のなすりつけ、冤罪による投獄、狂気、やや不適切な場面におけるユーモア、電車が通過する時に悲鳴が聞こえるといったモンタージュ。

これはスタイルに関する考察の中で出てきた文章ですが、おもしろいですよね。彼は勿論、ヒッチコックのこれらの「リック」が良いとか悪いとか言っているのでありません。リックはスタイルの確立と深い関係があるとは言っています。

ほぼゼロからデザインする、他人のリックを自分なりにモディファイして自分自身の基礎的な語彙にする。どちらもでも良いと思いますが、他人のリックをそのままコピー・ペーストするような気軽さで、「ポンポンと配置」するのは違うだろう、ということだと思います。

ほとんど原型を変えられないような、強烈な特徴を持った伝統的なリック、短いリックというのもあります。チャーリー・クリスチャンのあれ。パーカーのあれ。ロリンズのあれ。ゴードンの、モンクの、ジム・ホールのあれ。

それらのリックを弾くのは、果たして悪いことなのでしょうか。勿論そんなことは全くないと思います。リックそれ自体の良し悪しというものもないでしょう。

ジョン・スコフィールドは「音楽というのは、最終的には自然なものでなくてはならないんだ」と言っていました。それを弾くのが自分自身にとって自然なことなら、その時そのリックを弾きたいように弾けば良いのでしょう。それが聞こえて、迷いがなかったのなら。

また、時にはリックが求められる局面もあるでしょう。あえてリックを弾くことによって得られる効果もあると思います。

ジョン・アバークロンビーは最近の教則ビデオで「ここでこのリック、あそこであのリックを弾こう、というふうには考えない。でもこれらのリックは(弾いてみせる)もう自分の一部になっているから、時々自然に出てくる。それと自分の歌をブレンドさせるんだ」と語っていました。

リックは時にクリエイティビティを爆発させるためのジャンプ台になってくれることもあります。いつもと同じリックをいつもと違うコードの上で弾いてみたら、Yeah! ということもよくあるはず。

ある特定のリックが良いとか、悪いとかもないでしょうし、リックを使うことが必ずしも悪いことでもないはず。ただ、「あまり良くないリックの使い方」はあるのかもしれません。

さっきテレビで、隣の国が「全核施設を稼働した」と発表したというニュースをやっていました。その国は経済状態が悪くなったり、国内の引き締めが必要だったり、周辺国の注意を惹きたい時、それ前も聞いたぞ、という数々の「名リック」を発します。

新型衛星の開発が最終段階にある…
百戦百勝の鋼鉄の将軍様が…
即時に無慈悲な攻撃で断固…

等々。これ、人によっては「よっ、待ってました!!」ということもあるでしょう。ちなみにややサイズが大きめのリック群ですよね。私はこのニュースを見て、反射的に

Yeah

と呟いてしまいました(※棒読みで)。

でも、これは良い音楽になっているのか。例えば “So what” のようなモードの曲で、16小節にもわたるDm7上でずっとこういうリックを繰り出して、良い音楽になるのか。Ebm7になったら、半音上で「全核施設を…」とやるのか。

そんなことをしたら「だから何?」と共演者に呆れられたりしないでしょうか。というか自分で自分に呆れないか。そもそもそれはやっていて楽しいのか。

勿論このお隣の国が持つ「リック集」はなかなかに強力で、もう確固としたスタイルを築いているとは思うのですが、それも現在の将軍様の祖父か父が開発したものではなかったか。現将軍様はそろそろ独自開発のリック、ひいてはより創造的なフレーズで新しい外交を… 

と、ちょっと転調しすぎてしまいました。結論をあらためて書くと、自分自身から生まれたリックが最良のリック、それを弾いて悪いことが何かあるだろうか(いやない)ということだと思います。

と同時に、蓄積されたリックは私達から自由と創造的なマインドを奪ってしまうこともある、ということでしょう。前述のジョン・スコフィールドは、ある種のリックから卒業したくなるとそれをヘッド(テーマ)とするソングを作曲したそうです。パット・メセニーにもそういう曲があると思います。

リックによって自由になることもできるし、自由を奪われることもある。自分自身から生まれたリックが増えることで自分のスタイルが確立していくと同時に、スタイルの檻に閉じ込められることもある。そういうことでしょうか。ちょっと一筋縄では行かない内容ですね。


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