結局のところ、「吉祥寺Anytime」でみんなで楽しく “You Are Under Arrest” を演奏した夜、ぼくはアーチトップギター虐待容疑でジャズ警察に緊急逮捕され、裁判を受けることもなくシナノン医療刑務所にぶちこまれ2年の長きにわたり様々な拷問を受けたのだった。
出所する時、刑務官の男は、もう道を踏み外すな、真っ当にジャズギターの道を歩んでほしい、と言い、カッタウェイのないGibson ES-125をプレゼントしてくれた。ハイ・ポジションはもう弾くな、ディストーションはもうかけるな、という意味が込められていたのかもしれない。
刑務所で受けた様々な拷問の詳細については、思い出したくはない。ぼくは未だにその後遺症から立ち直れていない。ただ、拷問のうち一つは数十人のメンバーから構成される人気女性アイドルグループのヒット曲を世界最高品質のヘッドフォンで何ヶ月も聴き続けるものだったとだけ言っておきたい。
釈放されたぼくは、もうジャズという音楽がどんなものか思い出せなくなっていた。ぼくの音楽脳は、完全に破壊されてしまった。頭の中で延々と鳴り響いているのは、何処かで聞いたことのあるような、ないような、歌の断片に似たような何かだ。ぼくの頭の中では、これが1日中、鳴っている。
ぼくは白い手拭いをくわえて歯を食いしばり、全身から冷たい汗を流しながら、身体からこのメロディの断片のようなものが抜け出てくれるのをじっと待っている。ああもっとこのメロディを思い出したい。握手券の付いたCDを買いたい。あいおんちゅー… あいにーじゅー… 秋葉原。ぼくは秋葉原に行かなくてはならない。
気を確かに持て… Get a grip…
マイルス… マイルスが病床の横に座っている。マイルスがぼくを看病してくれている… やはりマイルスは生きていた…
思い出せ… お前にとって、ジャズとは何だった… 何でもいい… ジャズっぽいとは、お前にとって何だ…
「シ、シンコペーション… ウッ、頭が!」朦朧とする意識の中でぼくは答える。ひどい頭痛がする。人気女性アイドルグループの音楽にない要素を想像すると脳に激痛が走るようだ。
もっと思い出せ… チャーリー・パーカーは、お前にとって何だ… マッコイ・タイナーは… スコフィールドは何だ… 思い出せ…
ク、クロマチック…アプローチ…
四度堆積コード… グハッ!!
コ、コンディミ…
ウウッ!! う、うおおおおおおお!!
ベッドから転がり落ちたぼくをマイルスは引き起こし、両手で激しくビンタを食らわせた。
頑張れ、もう少しだ… さあ、そのES-125を手に取れ… そして弾いてみろ… いいか、どんなものでも、お前の歌にしろ… 握手券の付いたCDを出している人気女性アイドルグループのヒット曲を、お前はジャズにできなくてはならない… バードが当時の流行歌をソロの中にぶちこんだように… 俺がマイケルやシンディー・ローパーを自分の歌としたように…
「うおおおおおお!!」
ぼくの頭は今にも割れそうだった。しかしそれをこらえ、精一杯ギターを弾いた。拷問の苦痛を克服するために。世界の全てをジャズに変えるために ー
もう少しだ、頑張れ… お前がこの苦境を克服したら、磯丸水産でホタテをおごってやる… 弾け、弾き続けるんだ…!