むかし、ジャム・セッションであることに気付きました。当たり前の内容なのかもしれませんが、結構印象に残っているエピソードなので思い出しながら書いてみたいと思います。
そのジャム・セッションで、まだギターをはじめたばかりでセッション初参加という若者(見た感じまだ10代)が、「枯葉」をコールしました。彼はブルーノート・ペンタトニック・スケールだけで最初のコーラスを終えました。
聴いている私達は、多分誰もが「まだはじめたばかりだから、マイナーペンタしか知らないのだろう」と思ったかもしれません(後述するようにそれは決して馬鹿にするようなことではありません)。
彼は2コーラス目に突入しました。彼はそのコーラスも、マイナーペンタトニックにブルーノートを経過音的に付加したブルーノート・ペンタトニック・スケール(略称ブルース・スケール)だけで弾き切りました。
そして彼は3コーラス目に突入しました。ブルース・スケールだけを武器に。その時、私はこう思ったのでした。「色々なスケールというのは、カラーパレットのようなものなんだ。この人は単色で、モノトーンで弾いているんだ。」と。
その若者は、例えていうなら黒い墨だけを使って書道的な表現をしていたと言えるでしょうか。勿論、単純な黒一色ではなく、グレーから黒までの濃淡はあるにしても。そして誤解のないようにここで書いておきたいのですが、すごく歌っている良い演奏で、私は感動しました(色が多ければ良いというものでもない)。
彼がブルース・スケールだけで弾き通したことで、その時私の頭の中でドリアンやリディアンやオルタードやホールトーンがヘンな具合に、強烈に鳴りはじめたのでした。そして改めて「様々なスケールやテンションを扱えるというのは、様々な色彩を扱えることなんだ」と思い至ったのでした。
この「パレット」というのは何もスケールやテンション(カラートーン)に限らず、ボイシングや自分が扱えるリズミック・モチーフ、ネック側で弾くかブリッジ側で弾くかという音色のレベルにまで拡大できる概念だと思います。
自分はどんな色を知っているか、どんな色が好きなのか、どんな色を持っているだろうか。
単色で弾く、というのも、意識的な選択として面白いと思います。例えばブルースをあえてミクソリディアンだけで、あるいはアイオニアンだけで、あるいはドリアンだけで弾く、という練習はとても面白いと思います(そして、その後に色を混ぜることを楽しみます!)。
時々、「枯葉」をブルース・スケールだけで弾き切ったあの若者のことを思い出します。もし彼が、あそこに2度を、6度を、長3度を、#11を混ぜたら、どういう演奏になっていただろう、と。