その夏、ぼくにとって全てがうまく行っていなかった。そして事態を打開しようと頑張れば頑張るほど、全てが空回りした。ぼくにできることといえば、もはや一つしか残されていなかった。酒を飲むことだ。
酒場を探しているぼくの目に、ある不思議な文字列が飛び込んだ。通りがかった居酒屋の入口の前に置かれていた木札だ。ぼくはじっとその文字列を眺めた。春夏冬中。しゅんかとうちゅう。意味がわからない。はじめて見る表現だった。
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まさか、お前はあの意味がわからないとでも、言うのか…?
気がつくと、隣にマイルスがいた。ぼくがスランプに陥っている時、進むべき方向を見失っている時、隣にふっと現れる心のマイルスだ。
わからない、とぼくは正直に答えた。春夏冬中。意味がわからない。知っている人間にしかわからない符牒、暗号なのだろう。暗号なんか、糞食らえだ。
ほう。お前は日本人で、日本語でブログなんか書いているというのに、この表現がわからないとはな… 不思議なものだ… だが悪いが、俺には、この意味がわかる…
いいか。そこに既にあるものは、プレイするな。そこに存在しないものを、プレイしろ…
Don’t play what’s there, play what’s not there.
日本にはむかし、タケミツという作曲家がいたのを、お前は知っているか… その男は、こう言った…
「音、沈黙と測りあえるほどに」と…
お前は、何を弾くか、どう弾くか、そればかりを考えている…
だが、そうじゃない…
何の音を、どう弾くか、そればかりが大切なわけじゃない…
いいか、何かを弾くということは、その何かを弾くことにはとどまらない… お前はその時、「弾かれなかったもの」を、同時に表出しているんだ… わかるか…
12個ある音のうち、ただ1つの音をお前が弾くとき、お前は残りの11個の音を弾いていない… それが何を意味するか、わかるか…
一つの椅子に座れるのは、一人だけだ… それが何を意味するか、お前には、わかるか…
そこに既にあるものは、プレイするな。そこに存在しないものを、プレイしろ…
わかんねえよ! ぼくは思わず怒鳴ってしまった。朝から晩まで会社で興味のない仕事をこなしてすごし、家に帰ってからはフラフラになりながら4時間練習する。でもまったくギターはうまくならない。そんな日々の連続から生まれたストレスを、ぼくはマイルスにぶつけてしまっていた。ぼくは、事もあろうにマイルスに八つ当たりしてしまったのだ。
…
いつかわかる…
そう言って、マイルスは姿を消した。
そして、ぼくがマイルスを見たのは、その日が最後だった。
その日以降、マイルスは姿を消した。
どんなにぼくが悩んでいても、わからないことがあっても、相談したくても、マイルスはもう、姿を現さなかった。ぼくはマイルスにもう一度会いたかった。もう一度マイルスに会うために、いきなりステーキの店の前にも行った。磯丸水産にも足を運んだ。
しかしマイルスは、ぼくの心のマイルス・デイヴィスは、姿を現さなかった。
マイルスは、消えてしまった。
今日は2016年11月18日の金曜日だ。最後に心のマイルスと言葉を交わしたのは、夏だった。あの日以来、ずっと寒い。今日も冬のような寒さだ。というか、もう冬だ。今年は、まるで秋という季節が存在しなかったかのようだ。
今年は、まるで秋がなかったかのようだ。今年は、秋がなかった…
…
ぼくはようやく、理解した。
そこに既にあるものは、プレイするな。そこに存在しないものを、プレイしろ。
Don’t play what’s there, play what’s not there.
音は、音それ自体のためだけにあるのではない。音は、沈黙に拮抗するものとして存在してはじめて価値を持つのだ。存在は、存在することによって、不在を表出しなければならないのだ。
春夏冬中。
今年は、秋がなかった。そして、あの酒場は開いていたのだ。マイルスの心が、いつもぼくに対して開かれていたように。
マイルスは、この世界から姿を消してしまった。マイルスは、ジャズの世界から、姿を消してしまった。いや – 正確には、マイルスは1991年9月28日に、今から25年も前に、既にこの世を去っていたのだ。
ぼくはいま部屋にいて、練習しようとストラップを首にかけたギターをラックに戻し、耳を澄ませる。そして、マイルスの不在が奏でる音楽が、どんなサウンドなのか、あらためて聴き取ろうとする。
Don’t play what’s there, play what’s not there.
マイルス、少し時間がかかったけれど、ぼくはそのメッセージを受け取り、理解した。
ぼくはもう、あなたの意見を求めたりはしないだろう。
代わりに、あなたのいない世界に、耳を澄まし続けるだろう。
妄想マイルス語録:完