My Music MasterclassからPeter Bernsteinのレッスン動画が出ました。その中で彼は面白いことを言っていました。曰く、「弾いたことがないものは聴こえるわけがないだろう」。おおっ!!
一般にギタリストの癖とされるものに、指板上の視覚的なシェイプに頼ってしまい、メロディを弾くというよりもそれらのシェイプを手癖的になぞってしまう、というものがあると思います。そこで視覚的な情報に頼らず、頭の中でメロディを鳴らし、それを聴き取り、ギターで再現しよう、という練習が試みられたりもします。
しかしこの「視覚的シェイプ」が悪の権化、全ての不幸の根源かというと、そうでもないんですね。むしろ指板上のシェイプをよく見て、そこからメロディを発想してみよう、ということが語られていました。それは「自分が聴こえないものを弾くことだ」という主旨のことも言っていて、面白いなと思いました。
– I’m trying to use the visual aspect to help me find the lines.
僕はライン(メロディ)を見つけやすくするために視覚的な要素を使っています。
– Everyone is always saying “Play what you hear, I play what I hear”, it’s kind of a ridiculous statement because, if you haven’t played it yet, how do you hear it? How do you know what it is? So to me it’s about consciously trying to hear what I play… let me hear what it sounds like if I go like this.
みんな「聴こえるものを弾け、俺は聴こえるものを弾いている」って言うんだけど、ちょっとバカげた言葉だと思う、というのはだ、もしそれを弾いたことがないなら、どうやって聴くっていうんだ? それがどんな結果になるかなんてわからないだろう? だから僕は常に、自分が弾くものを注意して聴くようにしているんだ、試しに、もしこっちの方向に行ったらどんなサウンドになるかな…
指板上の視覚的なシェイプに頼って、安心してそこで何かを弾くことと、指板上の視覚的なシェイプを創造的な発想のジャンプ台にすることは、別のことだ、ということだと思います。おもしろいなあと思いました。
頭の中できちんと鳴らす、そしてそれを弾く練習もとても大事だと思うのですが、指板を眺めてみて、おっそこにそんな音があったか、そこにジャンプしてみるとどんな感じだろう、うおっ何だこのインターバル、俺の頭の中からこんなもん自然に出てこねーこれ神!! みたいなことをやりましょう、という感じでした。
「聴こえないもの」や「自分の中にないメロディ」に接する練習は、他人の演奏を聴くことがまずそれだと思いますが、それ以外にもこういう方法があるのだなと思いました。で、やっぱりボイス・リーディングがきれいなコードを弾く練習をたくさんするのは本当に大事なんだなとあらためて思いました。
たとえば2-5-1進行のコードは誰でも自分なりのボイシングをいくつか持っていると思います。そのコードとは無関係にリニアなメロディを発想するのではなく、その手のかたちの中にどんなメロディが存在しうるか考えてみよう、試してみようという感じ。例として彼は “Invitation” をDmで弾くのですが、冒頭3小節のメロディはDm69のボイシングそのものだよ、と説明。なるほどなぁ、と思いました。
また、スケール内の一つ一つの音について、その音を中心とした小さいメロディを何か作れるか(”make a statement”)という話も面白かったです(”Invitation” の冒頭3小節は、2つの音に関する2つのステートメントでできている、という具合)。
未知の自分、未知のメロディと出会うために、指板を、シェイプをじっくり観察する、実験を重ねる。そういう練習、とても楽しそうです。