このブログをはじめた理由はいくつかあるのですが、うちひとつはパット・メセニーが若い頃に「自分観察ノート」なるものを付けていた、と何かで読んだことがきっかけだったように記憶しています。
検索しても詳細は不明なのですが、想像するに彼は、今日の自分の演奏はこうだった、練習はこうだった、これが弾けた、これが苦手だった、等の自己観察を日々記録していたのではないか。だとしたら、それは上達するためにかなり有効な方法ではないかと思ったのでした。
このブログには、私は今日こんな練習をしたという記録や、こんなものを弾いてみたという録音は全くないのですが、これまで書いてきたものを振り返ると、おバカ記事を含めて、書いた当時自分は何に興味関心を示していたのか、どんな練習をしていたのか、何に感動していたのか、かなり生々しく思い出すことができます。
そして当時弾けていなかったもので、今日では弾けるようになったものがあることを知り、少し嬉しくなります。反対に、今でもモノになっていない領域もたくさんあり、そろそろあれをまたやるか、と奮い立ったりもします。ブログは私にとってまずは自分自身が上達するための手段であり、練習のサイクルのひとつになっています。
先日、頭の中で鳴るその歌はリアルか ー 答えは口笛が知っているという記事を書きました。頭の中でメロディが鳴っていると自分では信じていても、実はきちんと鳴っていないことがあるのではないか、という内容でした。
バーニー・ケッセルは、いきなりギターを手に取る前に、まず口笛で頭の中のメロディを外に出してみてはどうか、と言います。Externalize、外側に出す、外在化する、ということですが、ブログを書くこともまた、メロディではないけれど、自分の頭の中にある思考や、何かについての理解を外在化する行為です。
最初から全て理解しているつもりで書きはじめても、書き進めるうちに「これ結構曖昧に理解していたな…」と気付かされることは多いです。外在化の過程を通じてはじめて演奏や理論について自分の考えを明確にできたり、「他人が同意するかどうかは別として、自分はこう思う」というアティテュードを持てるようになったと思います。
自分自身の中から悪い意味での曖昧さを減らしていくこと(「良い曖昧さ」もあると思いますがそれはまた別の話)、演奏について、音楽について自分自身の考え方を持つことは、結果の善し悪しは別として「自信を持って堂々と演奏する」ことに繋がるのではないかと思っています。
それが目的なら、別にブログじゃなくてもノートに私的な日記を書いてればいいんじゃないの、という意見もありそうです。それでも良いと思うのですが、やはり誰かに読まれていると思うと、いい加減なことは書けないので、その時々で可能な限り真面目に考えて正確に外在化する努力をします。その結果、自分の理解も深まります。
自分と音楽のこと、ギターの練習のことなどをブログで綴るという行為は、上達するための一手段だと思います。ただ、それは必ずしもブログという形式を取る必要はないのでしょう。TwitterやFacebookといったプラットフォームも、思考の外在化の舞台として似たような機能を果たすと思います。というか現在はブログよりもそちらが主流。
オンラインの様々なコミュニティに参加するのも良いと思います。例えばいま日本には、Facebook上に過去最大規模と思われるジャズギターのコミュニティもあります(ジャズギター研究会 Public Group | Facebook)。こうした共同体に参加することは、思考の外在化を通じて参加者同士がお互いを高め合う行為だと思います。
自分を観察する、思考を外在化する、しかも他人との関わりにおいてそれを行うことができるのなら、メディアは何でも良いのでしょう。自分にとって親和性の高いメディアを選ぶと良いのではないでしょうか。どのメディアが最良かという話では多分なく、同じ人でも時期によって違ったりするかもしれません。
少し話が逸れますが、セッションに参加する、他人と一緒に演奏するという行為は、自分の中にある音楽を、かなり本気で外側に表出しようとする、外在化しようとする行為です。他人と一緒だと、やはり頑張って外に出そうとしますよね。他人と演奏することは、そういう意味でも大事なのだと思います。