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正しいのか、間違っているのかの判断を他人に委ねない – Ben Monder

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ムック Jazz guitar book vol.7 にて、ベン・モンダーがインタビューで次のようなことを言っていました(インタビューは石沢功治氏)。素晴らしい言葉なので紹介します。

(最後に日本のギター・プレイヤーにメッセージをお願いします。)

まず自分の才能を信じること。そして、自分がやっていることが正しいのか、間違っているのかの判断を他人に委ねない。それに、アーティストとして自分が共感したものに対しては、自立した意見なり評価を持つべきだね。あとは一生懸命音楽をプレイするだけだよ。

これを読んで、だいぶ前に教わっていた先生のことを思い出しました。ある時その先生は私に、そのボイシングはイマイチだ、この箇所では弾かないほうがいい、と言ったのでした。私が弾いたコードは、確かにあまり多くは使われない組み合わせのテンションが含まれている変わったボイシングのものでした。

私はそのサウンドが好きだったので、これは何か間違った感じのものなのでしょうか、と聞こうとしたのですが、それは何か無意味な質問であるように感じたのでやめて、その後その先生の前ではそういう感じのコードを弾かないことにしました。こういうことは他にもたまにありました(他の先生とでも)。

私が弾いたそのコードは、先生にとって快いものではないらしいのはわかったし、その人が不快に思っていることをあえてやってみせるのは自分の価値観を押し付けることだ、と思ったからです。ちなみに私はその先生を尊敬していましたし、学びたいことがたくさんあったのでこの出来事は些細な問題でした。

ベン・モンダーが言う「正しいのか、間違っているのか」はアカデミックな文脈における正否・真偽では勿論なく(ある理論体系の中でその音が許容されるかどうかではなく)、価値観・アティテュードの話だと思います。

ジャズという音楽はコミュニティの中で行われ、コミュニティでは異なる価値観をベースとしたコミュニケーションが発生します。ある音に対して “Yeah!” が出ることもあれば、「お前、ダサい音は出すな」(マイルス風に)ということもあるでしょう。

そのあたり、最後は自分を信じるしかない。正しいと思ってやってみた結果に対して、他人の反応が悪かったら、それはうまく伝わらなかったということなので、伝わるように工夫・努力するという方向はある。でも、「私がやっているこれって正しいでしょうか」と他人に意見や判断を求める。それはない。

反対に、「他人にはわからなくてもいい。俺だけがわかればいい。俺にとってこれは正しいのだから。」これもない。

そのまま表に出すかどうかは別として、自分が確信を抱いている何かは、きっちり心の中に持っておく。その上で、他人との距離感を測りつつ、一緒に何かを作り上げていく。

正しい・間違っているという枠組みの中でやっていくだけなら、それは難しいことでもないでしょう。例えばメジャーキーのiiim7コードでは普通ナチュラル9thは弾かない、という理論に依拠していくだけなら、別に難しくもない。よく理論は難しい、という人がいるけれど、この意味で理論ほど簡単で楽なものもない。

でも最終的に自分が演奏するものは、全て自分の名において行う必要があると思います。誰かがこれは間違っていないと言ったから、本に書かれていたから、ではなく、自分ではそれは正しいと思ったから、弾く。

すると音楽を演奏することは、ものすごく責任が重く、恐ろしいことのようにも思えてきますが、それについてはMick Goodrickがこんなことも言っていたのを思い出しました。

Are you totally responsible for what you play ? Of course not.

自分がプレイするものについて、あなたは全責任を負っているのか? 勿論そんなことはない。

– Mick Goodrick : Advancing Guitarist: Applying Guitar Concepts and Techniques

これは色々な意味に取れると思うのですが、例えば人生においては、あるいは社会においては、大人の人間は自分の言動に責任を持つことを求められていて、共有されている規範から大きく逸脱した言動については説明責任を負ったり、時には罰せられることもある。

でも音楽で何か「間違った」音・「ゆるく共有されている規範から大きく外れた」音を弾いたからといって、罰せられるわけではない。そういう意味で、責任を持つ必要はない。正しいと信じたら、やってみればいいのです、受け入れられるかどうは別として。という意味の言葉ではないか、と私は解釈しています。


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