単身赴任中の私のアパートに、妻が夕食を作りにやってきた。2人で食事中、テレビを付けると衝撃的なニュースが報じられた。
ここでいま入ってきたばかりのニュースです。さきほど……容疑者が、東京都港区東麻布の自宅にてヴィンテージのES-175を所持していた容疑で逮捕されました。ヴィンテージのES-175は年々個体数が激減しており、ヴィンテージのES-335とともにワシントン条約で取引が厳しく規制されています。しかし高い依存性があるだけでなく、自分が上手くなったかのような幻覚作用をもたらすとされ、手を伸ばす人が少なくありません。容疑者宅からは『デラリバ』と呼ばれる特殊な真空管装置も押収されており、警視庁では使用も視野に捜査を進めています。……容疑者は毎週のように渋谷ヒカリエ隣の怪しげな小さいビルを訪問していたことが関係者の証言で明らかになっており…
「いやだ! ヴィンテージES-175だなんて! そんな人だなんて思わなかった」と妻。
「いや、彼は怪しいと思っていたよ」と私。
「前に金のネックレスをして若い時のジョージ・ベンソンみたいな白いスーツを着てた時からおかしいと思っていた」
「まさか、あなたは大丈夫よね」
「まさか、何言ってるんだ」
「このヴィンテージES-175っていうの、一度でも弾くともうやめられないんですってね。それと何、ジャズっていうの、はじめると練習のことしか考えられなくなって、いつ練習しよう、いつ練習しようってそればかり考えるようになるらしいじゃない」
「らしいね、仕事の合間に頻繁に個室やトイレに行って、そこで運指の真似事をするようになるらしいね。会議中に小さい声で、歌うっていうか唸るみたいになって、クビになることもあるんだそうだ。頭の中でいつもメロディが鳴っているらしい」
「怖い。本当に怖い」
「怖いね。家族も、仕事も犠牲にしてしまって、まともな人間ではなくなることもあるみたいだから。練習のためなら何をやってもいい、ってなるらしい」
「まさかあなたはやってないわよね、ジャズギターとかいうの」
「だから、やってるわけないだろ、俺がさ(苦笑)」
妻を駅まで見送った後、私はベッドの下にかがみこみ、手を伸ばし入れる。
そしてひきずり出す。ボロボロに擦り切れたブラウン・ハードケースを。
私はもう何ヶ月も会社に行っていない。