NEA(全米芸術基金)の2018年ジャズマスター賞を受賞したパット・メセニー。そのメセニーの受賞演説は、本当に考え抜かれた、立派な立派な内容で、私は言葉を失いました。何かもう、語られている内容が、私のような小市民には想像も付かなかったようなことなのです。しかし同時に、こうも思ったのです。私が小市民に過ぎないのは、こういうことを真剣に考えていないからなのだ、と。
上の約6分間にわたる演説(4:28〜)から、私の胸に特に響いた部分を抜粋して、自分なりの日本語に翻訳してみました(なお文字起こしはこのサイトで見られます)。この素晴らしいミュージシャン、この素晴らしい人が何を語っているのか、私はやはり理解してみたい。自分の言葉で。
(5:58〜)音楽家として、私達は、(社会の)頂点にいる多くの人々が想像しているよりも大きい価値を持つ 貨幣 を用いて、やり取りしています。このコミュニティー(=ジャズ)が提供してきた真の意味(価値)が感じ取れるようになるまで、時に何年も、いや何十年もかかることがあります。
(6:16〜)(…)政治家たちは、現れては消えます(※聴衆、笑う)。偉大な音楽には、本当に長い、長い、長いあいだ持続する術が、影響力を維持する術が備わっています(聴衆、拍手)。長期的な政治的影響力というものを探し求めている人なら誰しも、このことに注目する必要があるでしょう。
(7:51〜)(…)数多くの政治的な浮き沈みの時代をくぐり抜けてきて、自分が好きな音楽のことを振り返ってみて思うのは、この時代、あの時代は何政権だっけ、と思い出すのが困難であることということです。(聴衆、笑い)音楽が、そして芸術一般が持つ 揺るぎない貨幣 は、そうしたもの全てのはるか彼方に向かう術を持っているのです。
現在進行中の作品が、特定の時代や場所における緊張状態を通じて形づくられているとしても、最良の音楽は、それが生み出される直接のきっかけとなった諸状況をはるかに超えた、ある種の「時を超えた実体」を提供してくれるような生き方、在り方を提案してくれるのです。
(9:16〜)(…)締めくくりに、私が何年にもわたって、可能な限り頻繁に、様々なミュージシャンたちに伝えようとしている、ある考えがあります。それは、この音楽から大きい恩恵を受ける大部分の人々は、まだこの惑星には存在していないだろう、ということです。
私達の音楽の最大のオーディエンス、私達が全身全霊で頑張っているものから最も多くを受け取る人々は、恐らくまだ生まれてさえいないのだ、ということです。
…私達は永遠のような何かに向かってスウィングしているのです。
この演説を聞いて、パット・メセニーが「貨幣」という経済学上の概念を用いて自らの活動を説明していることにまず驚きました。そして、一般的には「刹那的であり、何か儚いもの」というイメージを持たれているかもしれないジャズという音楽を、彼は「永遠のような何か」(something eternal)との関係において実践している、と語っているところです。
そして、彼は珍しく政治についても語ってます(間違いなくトランプ政権を揶揄している)。メセニーが政治について語っているのを、私ははじめて聞きました。
パット・メセニーは若い頃からこういう考えの持ち主だったのか。それとも壮年に至ってそういう境地に至ったのか。私にはわかりません。米国におけるキリスト教的な思想の影響も、あるような気はします。でもいずれにしても、私は思ったのでした。
小さいことを言っていたら、パット・メセニーのようなすごい音楽には至れないんだ。小せぇこと、せこいことはやるんじゃねぇ。永遠に向かってプレイしろ! と。
この意識は、表現のクオリティを確実に分けると思います。その表現は、未だ存在しない受け手に向けられたものか。千円札とか一万円札のような、現在通用している貨幣よりも大きい価値を持ちうるか。そんなことどうでもいい? いやいやいや。「そんなこと」が、もしかすると多くの表現、その深さ、広さ、リーチの範囲を決定しているんじゃないか。私はそんなふうに、思いました。
あなたは、どう思われましたか。