ひと月ほど前になるのですが、「本当に弾きたいと思うものだけを練習する」という記事を書きました。やや微妙な内容だったせいか、それはわかる、というご意見、いやそれではまずいのではないか、というご意見、両方いただきました。
中でも「食わず嫌いはまずいのではないか。嫌だと思っても取り組んでいるうちにその良さがわかってくるものがある」というご意見は、ごもっともであると思いました。ただその記事で紹介したザック・ワイルドという人について私がいいなと思ったのは、彼は本当にジョー・パスの音楽が、一時的であったとしても、大好きになったのだろう、というところです。
つまり「ジャズ・ギター」を表面的に聴いてみて、これはなんだか俺のやりたい音楽とは違う、俺はロックをやりたいんだからこんなもの練習する必要はない、とザック氏は思ったわけではなくて、ジョー・パスすげぇじゃん、なんだこれは、俺もこんなふうに弾いてみたい…と思い、取り組んでみた上で、でもこれは俺の音楽、俺の生き方とは違うのかもしれないな、と思ったらしいというところ。
推測の域を出ないのですが、ザック・ワイルドという人は単に「食わず嫌い」ではなく、一度は好きになって食べ続けた結果、でも俺が本当に食べ続けたいものは別のものだ、と思ったのではないか、ということです。具体的に「メロディック・マイナーは俺の音楽に合わない」と言っているところを見ると、かなり実際にやってみた人なんじゃないかと。
少し違う喩え話をすると、カリフォルニアに行ってみて、すごくいい場所だな、と思うとする。広大で、スペイシーで、グランド・キャニオンなんか最高だし、サンフランシスコの寂しい海岸もいいし、灼熱のデス・ヴァレーも最高。でもそこに移住して一生住むか? と問われたら、悩む人も多いはず。ザックが言っているのはそういうことに近いのではないか、と思ったのでした。
食ったけど嫌い
でも難しいですよね。例えば、野菜が嫌いな子供は多いと思います。ほうれん草が嫌いだからといってずっとほうれん草を避けて生きていくと、ほうれん草がおいしいと思う機会を逃していく、というのはある。私はいま、ほうれん草大好きですが、小学生の頃はきっと嫌いだったと思います。いつどのように好きになったんだろう。
なにかいい感じのきっかけで導かれたら素晴らしいんだろうと思います。ほうれん草が嫌いで嫌いで仕方がない人に、いいから食え!と無理強いしてもやはりおいしいと思ってもらえる確率は低いのではないか。
ちょっとヘンな話ですが、私は幼稚園か小学校の頃、出された給食で食べられないものがあり、でも完食しないと先生が許してくれず、結局無理やり食べようとして吐いてしまった記憶があります。「ワカメの酢の物」だったかな。最近の学校ではそういうことをすると虐待扱いになるらしく、それはそれでどうなんだとも思うのですが、自分にとってあの「給食は完食すべし」というのは辛い掟でした。
私はジャズ以外にも20世紀以降のクラシック音楽(現代音楽)も好きでよく聴くのですが、現代音楽アレルギーな感じの人々にたくさん出会ってきました。それで、えーなんで、それがダメならこれはどう? と様々な音源を提供したり、一緒に演奏会に行ったりもしたのですが、無調がダメだという人は最後までダメでした。無調、不協和音、ビートのない音楽。意味わかんない。そういうことを言われたことがあります。
感性がそういう状態にある人に、チャールズ・アイヴスの「セントラルパーク・イン・ザ・パークは最高だよ!」などと押し付けるのは、やっぱり暴力に近いのかなと思ったりします。小さい時に給食で嫌いなものを無理矢理食べさせようとした先生のことは、私は今でも大嫌い。あんなもん教育者じゃねー!
音の好みは大人になっても変わりうるのか
ほうれん草とかパクチーとかセリとかみょうがとか生姜とか…年齢とともに味覚が自然に変わって大人がそういうものを好んで食べるようになるのは、私もおじさんになって理解したのですが、音はどうなんだろうか。子供は協和音とペンタトニックとトライアドしか受け付けないが、30歳を超えてきたらクラスター和声が「くーっ、たまらん」と言うようになるのか…
何の話を書いているのかわからなくなってきましたが、これまでに知り合った人で、25歳くらいを過ぎてようやく現代音楽が好きになった、という方にお会いしたことがありません。そして、そういう方に無理矢理聴かせても、好きになってもらえる可能性は低いのかな、とぼんやり思ったりもします。
YouTubeでヴァレーズやアイヴスやブーレーズやケージといった現代音楽へのコメントを見ると、大量のネガティブコメントを目にします。こんなの音楽じゃない、こんなのが好きという奴はスノッブかバカだ、ほうれん草とかパクチーとかみょうがとか食ってる奴は理解できない、みたいな。ヘイトに近い内容も多い。
コンテンポラリー・ジャズにしても、カート・ローゼンウィンケルやブラッド・メルドーどこがいいの、という方はたくさんいます。そういう場合、言葉で何か説明して何らかの相互理解に至る可能性はほとんどないような気がします。
この話、難しいですね。落とし所が全く見えなくなりました。このまま公開します。
そうだ。最後に書いておくと、私は今でも酢の物が基本的に好きではありません。あいつは残念な奴だな、と各所で思われているのかもしれません。これはもう、仕方がない。でも、酢の物が好きな人のことはバカにしたりはしません。