アメリカにも素晴らしいロックバンド、ロックミュージシャンは星の数ほど存在するのは言うまでもないとして、単純に国土面積が数十分の一足らずのイギリス、ユナイテッド・キングダムは、何故あれほどまでに多くの、そして並外れたロックの才能を輩出し続けることができたのでしょうか。
そういう疑問を覚える人は少なくないらしく、調べているうちに海外掲示板で興味深い様々な仮説を見かけました。この記事ではその中から個人的に面白いと思った6つを抄訳(大体の意訳)でご紹介します。なおそれぞれの意見は、学者や専門家ではなく一般のインタネットユーザーによるものです。
イギリスが多民族国家になったことに理由があるとする説
大英帝国が解体された時、旧植民地の人々には英国のパスポートが与えられた。この結果、多くの移民がジャマイカやアフリカ、インドといった土地からUKの大都市にやってきて、異なる文化やナショナリティの坩堝となった。彼等は自分達の音楽を持ち込んで、それはUKのアーティストたちによって取り入れられた。
ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ディープ・パープル、ピンク・フロイド、ダイアー・ストレイツ、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、クイーンといったバンドの多くにはジャマイカの影響が色濃く残っている。
これはなるほどと膝を打ちました。世界中のあちこちを侵略・植民地化してきただけあって、イギリスは完全に人種のるつぼ。インドの方は多いですよね。UKロックの多国籍的表現は間違いなくここに起因しているはず。
全てはビートルズのおかげであるという説
特定の名前を出すなら、ビートルズということになる。1960年代初頭には、チャック・ベリーやバディ・ホリーに影響を受けたロックンロールをやっているバンドが無数に生まれつつあった。彼等の多くはホームタウンでシングルを出したが、スキルと運、タイミングとサポートが魔法のように結びついて前例のないような結果となったのがビートルズだ。リバプール出身の少年たちが大ブレイクした時、彼等はイギリスの島々における他のバンドのためにも氷を砕いたんだ。人口が少なかったせいもあって、彼等は町の有名人となり、多くのバンドのロール・モデルとなり、クリエティビティとクオリティの高いハードルを設定して、野心的なUKのミュージシャン達に「俺達もやってみようぜ!」という伝統を与えた。(中略)恐らくストーンズを例外として、ビートルズがいなかったら存在しなかったバンドは多いと言っていい。またビートルズがアメリカ上陸を果たした時、「向こう側」のバンドはどれも自動的に注目されることになった。
これもある程度説得力がある説だと思いました。ビートルズは社会的センセーションは言わずもがな、音楽的なクオリティも異常に高かった。あれが基準になってしまったら他のバンドのレベルも当然上がらざるを得なかったでしょう。そして北米のロックファン達が「ビートルズ以外のバンドはどうなんだろう?」と興味津々になったのも間違いないはず。
UKの「アートスクール」が重要な役割を果たしたという説
イギリス音楽のことを調べていると「アートスクール」という単語がよく現れることに気付くだろう。ジョン・レノン、ピート・タウンゼント、シド・バレット、ジミー・ペイジといった人々の伝記には決まって彼等の「アートスクール」時代のことが書かれている。こうした学校での出会いがしばしば過去と現在の多くのUKバンドを生み出してきた。この学校制度のことを僕はよく知らないが、理系やビジネス系とは違う道を歩みたい人達のための選択肢だったようだ。こうしてクリエイティブなマインドと才能を持った子供たち、ブルースやR&Bのシングルを集めて交換していたような音楽オタクたちが隣近所の関係になった。音楽やアートに社会的な価値が置かれていたことを意味する。それはアメリカや他の国では見られない、少なくとも中流、下流〜中流階級ではそうだ。そしてブリティッシュ・ロック・ミュージシャンの第一世代はどうもこうした階級から出現したように思える。
UKにはアメリカと異なる教育システムがある。テストの成績で貿易の仕事や工場で働くには「頭が良すぎる」ものの、大学に行くほど頭が良いわけではない人達は、アートスクールに行く。広告代理店あるいは何らかのクリエイティブな仕事に就くことを目指して。若い芸術家気質の連中が集まって、バンドでもやろうぜ、となるにはこれはすごくいい環境だった。UKの階級意識もすごい。騒々しい音楽をやるのは、単に乱痴気騒ぎをするためではなく、政治的な不満を表明する手段でもある。
これも面白いと思いました。確かにUKロックの人達の伝記を読んでいると「アートスクール時代」の話がよく出てきます。「とりあえず美大」なミュージシャンが本当に多い。そしてUKの階級社会。これはパンクの誕生とも関係があると思いますが、中流階級以下の人々にはものすごいエネルギー、エスタブリッシュメントへの対抗意識があったことは想像に難くありません。
イギリスのラジオが全国ネットだった事実が影響を与えたという説
イギリスには全国ネットのラジオ曲があって、国の誰もが他の地域からの新しい音楽を聴く機会がある、それに対してアメリカのラジオ局は主にローカルで、バンドは自分達の音楽を全国で聴いてもらえず、ローカル局でのみ流された。
ラジオというメディアの様態に大きい理由があったとする説で、かなり面白いです。これは下に続く「地理と関係がある説」とも繋がります。
地理と大きい関係があるとする説
地理的な事情と大いに関係があるように思う。アメリカには遠く離れた場所に多くの町が点在している。北米は巨大な国だが、人口は各地に分散している。それに対して英国はもっとずっと小さい島国で、人と人の距離はそれほど離れていない。北米の小さい町で大勢のミュージシャンがバンドを組んでも、彼等が演奏できる場所や聴衆も限られる。UKは演奏会場やオーディエンス、ミュージシャンの数がずっと豊富なんだ。
ビートルズが活動を開始した頃、彼等はリバプール中の会場でプレイして、同じような趣味の他の連中と仲良くなった。新しいドラマーが要るってなった時、回りのリバプールのバンドからすぐにリンゴを選ぶことができた。当時UKの音楽の都だったロンドンに行きたい時は、バンに乗って高速道路に乗ればすぐだった。彼等がツアーを始めた時、ロード・マネージャーのバンに乗って何の問題もなく国中を移動できたんだ。
北米には、特定の音楽ジャンルで有名となった人口密集度の高いエリアがある。ナッシュビルはカントリーのホームだし、グリニッジビレッジはフォークを生み出し、ベイエリアはサイケデリカを生んだ。ローカル化された音楽の坩堝だ。UKはこういう小さな飛び地の巨大版だったんだ。
イギリスはアメリカに比べて小さかった。密集していた。それ故にミュージシャン同士の距離も近く、それが良いほうに働いたとする説。アメリカは広すぎてケミストリーが発生しづらく、音楽ファンの趣味も都市によって固定していた…のかもしれません。
イギリスのミュージシャンはブルースを研究したからすごいことになった、という説
アメリカのブルースを初めて模倣したのがイギリスの音楽シーンだった。北米でブルースを演奏する白人バンドはとても少なかった、ブラック・アメリカンの音楽とされていたからだ。イギリスのバンドはマディ・ウォーターズやアルバート・キング、ハウリン・ウルフらの音楽に恋をして、その結果ヤードバーズやフリートウッド・マック、クリームのようなスーパーバンドを生み出した。キンクスやピンク・フロイド、トラフィックのようなブルース・イディオムとは関係ないと思われているバンドでさえ、ブルース・プレイヤーに大きい影響を受けていた。
イギリス人はアメリカが生み出してきた素晴らしいブルース・ミュージシャンを真面目に捉えたからだよ。ビートルズ、ストーンズ、クラプトン、ヴァン・モリソンといった偉人たちは、マディ・ウォーターズやアルバート・キング、BBキングといったアメリカのブルース・ジャイアンツを研究することから始めた。…
アメリカのポップスの伝統はそれに比べると、ずっと底が浅い。白人のグループは一つ前のバンドをコピーするのが関の山で、アメリカのルーツ・ミュージックの奥深くまで入っていかなかった。モンキーズやジャーニーはイギリスの最良のバンドと比べられないだろう?
Why does British pop music seem to be so superior to American pop music?
これもものすごく説得力のある説です。ある意味ドロップ・アウトしたイギリスの白人の若者たち、英国特有の階級社会の中で政治的な不満も覚えていたかもしれない白人表現者たちが、北米での抑圧から生まれたブルースという黒人音楽に共感を示したのが面白い。そしてアメリカのバンドの多くがブルースを軽視していたらしい点も面白い。
極論を言うなら、ブリティッシュ・ロックとは普遍化されたブルースだったのかなとも思います。