クリント・イーストウッド監督の最新作『15時17分、パリ行き』を観ました。アムステルダムを出発したパリ行きの高速列車「タリス」の中で数年前に発生したISIS信奉者によるテロの話です。その事件のことは覚えていたのですが、どうも映画の題材にはならなそうな気がしていました。しかし私はイーストウッド監督の大ファンなので、きっと何かあるだろうと思って観に行ったところ、やはり「何か」がありました。
批評家の受けはあまり良くない映画らしいです。その理由も観た後にすぐ理解できました。最近ヒットした「シェイプ・オブ・ウォーター」や「スリー・ビルボード」が面白かった、と思う人の中で、この映画も面白かったと思う人はたぶん少ないかもしれません。役者はなんとなくパッとしない感じだし、そもそも電車内でのテロを食い止めるという「小さい物語」は、あまり面白い感じもしない。
全編が電車内の物語なのかな、と思っていたら、かなりの部分が主人公たちの生い立ちや軍隊生活、西ヨーロッパ観光旅行の描写に充てられていて、観ていて「なるほどこういう組み立てなら映画として成立するな、観ていられるね」と思いました。西欧を旅行したことのある人にとっては懐かしい思い出が蘇るような映画でしょう。
で、面白く最後まで観ていたのですが、最後、当時のフランス大統領オランド氏と主人公たちが一緒に映っています。あれ、合成かな、と不思議な気持ちに。それは合成が少し混じっている映像なのかもしれないのですが、エンドロールを観ていると、主人公たちを演じている俳優の名前がないのです。ここで私は背筋がぞわぞわとし、「ま、まさか…」と衝撃を受けました。
その「まさか」でした。
主人公の3人を演じていたのは、実際にそのタリスに乗っていてテロリストと戦った人達だったのです。これは家に帰ってから「まさか…」と思いつつ調べてはじめて知りました。
クリント・イーストウッド監督は最近、「アメリカン・スナイパー」でもそうでしたが、フィクションと実話の境界がよくわからない感じの映画を撮っていて、この映画もそういうタッチがありました。
この映画、「普通の映画的感動」を求めて観に行く人は、もしかしたらガッカリするところもあるのかもしれません。でも私は、すごくヘンな映画だ、すごくヘンなものを観た、という感じで感動しました。
これはですね、乱暴な喩え方で通じるかどうかわかりませんが、楽器を持ってジャズのジャム・セッションに行くじゃないですか。その時、どんな気持ちで演奏するのか。なんとなく自分は誰かの役を演じる俳優のように演奏するのか。それとも歴史に名前が残るかもしれない責任のある重要な人物かもしれない自分として演奏するのか。
そこには大きい違いがあるとは思いませんか。そういうことです。