ギターは小さいオーケストラだ、と言った人がいました。ギターがコード楽器であることを忘れてはならない、と言う人もいました。そしてギターは電気の力を借りると、ホーン奏者に匹敵するような長玉のシングルラインを奏でるフロント楽器にもなりました。
それに比べると、ギターの打楽器的な性質はまだ十分に注目されていないのではないかという気がします。
フレッド・フリスがドラムのスティックで弦を鳴らすのは、もしかすると「ギターの打楽器性の追求」の極北なのかもしれないのですが、遡るとこれはフラメンコ・ギターの時代の頃から重要なテーマだったのかもしれません。しかし私が個人的にギターの打楽器性を意識したのは、タック・アンドレスというジャズ・ギタリストでした。彼の奏法、アイディアとそれを実現するテクニックには衝撃を受けました。
アンドレス氏はベースラインにピアノを見立てたコードを入れ、さらにパーカッシブ・ノイズを交えてリッチなグルーヴを醸し出していました。「打楽器を含めたバンドサウンド全体を表現する」というこの欲望は、現代では鈴木よしひさ氏の「ポリパフォーマンス」に引き継がれているように思われます(鈴木さんの音楽が最高にカッコいいのはやはりパーカッシブだからではないか)。
そして最近、小沼ようすけさんのDVD「ニュー・スタイル・オブ・ジャズ・ギター」(2014)を久しぶりに見たのですが、「ああ、小沼さんにとってもギターはモロにパーカッション楽器ではないか!」と、今更ながら改めて思ったのでした。単にきれいなコードを弾く、きれいなメロディを弾く、というのじゃないんですね。それらはパーカッシブ・ノイズがあってはじめて引き立つものという感じ。
これは教則ビデオというよりも「小沼さんの音楽観を理解するためのドキュメンタリー」という感じの内容で、冒頭のフィンガーピッキングの解説では氏がどのようにパーカッシブ・ノイズを生み出しているか詳しく解説されています。
最初、テイラーのエレガットでの解説があって、続けてエイブ・リヴェラのフルアコに持ち換えるのですが、その時「えっ!」と思ったのでした。こういう発想で弾いていたのか、と。小沼さんはエレクトリックに持ち替えてもガットのグルーヴとダイナミクスをそのまま持ってきているんだ、と。この部分だけでも見る価値があります。マスタークラスな内容です。インターネットでは得られないタイプの情報です。
小沼氏がNYでのレコーディング中、何気なく氏のギターを指弾きしたベーシスト、リチャード・ボナの音色に感動してピックを捨てたのは有名なお話ですが、この時「指弾きによるあたたかい音色」だけでなく、ギターの打楽器性にも目覚められたのではないか。ベースギターのスラップなどはやはりパーカッシブな奏法で、間接的にそういう影響もあったのかな、と。その後氏はフラメンコなども研究、常に「打楽器」への興味が相当があったのではないか、と改めて思ったのでした。
考えてみればDVD中ではGNJにも参加された仙道さおりさんとの共演もあり、最近はタブラ奏者U-Zhaan氏とのコラボも。それに”Jam Ka”自体が「(仏領グアドループの)ドラムとのジャム」という意味ではないですか。小沼氏にとって打楽器というのは相当大事なもので、ギター表現も自ずとパーカッシブになってきたのではないか、と。
この演奏、まるで柔らかいマレットでスティールパンを叩いているように聴こえませんか。
打楽器性を全くといっていいほど感じさせないギタリストも、います。アラン・ホールズワースなどはその代表格でしょう。どちらが良いという話では勿論ない。ただ国内外を問わず、ギターの打楽器性に注目しているギタリストは、実はそれほど多くないのではないかと思いました。意識的な選択として、ギターから打楽器的要素を排除する、という方向性はありだとしても、ギターの持つ打楽器的魅力、可能性に単に気付いていないのは、もったいない話なのではあるまいか、と思ったのでした。
小沼氏のDVDから伝わってくるのは、フィンガースタイル云々、という小さい奏法の話ではないのです。もっとな、もっともっとでっけぇ話なんだよ…オヤジ、酒くれ!
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