皆様あけましておめでとうございます!昨年はブログの更新に力を入れてみたのですが、今年も書くことがなくならないうちはどんどん投稿していく予定です。今年も宜しくお願いいたします。
さて、このブログを書いている時でも、普段の生活でも気を付けていることがあります。気を付けているというか、もはや意識的にそうしてはいないのですが、とりあえず何かを簡単には嫌いにならない、ディスらない、ということを心がけています。
たとえば、もともと私はカントリーやブルーグラスという音楽にあまり興味がありませんでした。カントリーに至っては、どちらかというと心の底で微妙な抵抗感を持ち続けてきました。自分にはよくわからない、アメリカの田舎の特殊で奇妙な音楽だと思い続けてきたのです。
しかしジュリアン・ラージというギタリストと出会って、彼がカントリーやブルーグラスの強い影響をベースにつくった”Arclight”というアルバムを聴いたら、これがもう最高だったんですよ。ジャズ的なTwo-Fiveハーモニーとは全然違う、新鮮な感動を与えてくれるギター音楽だったのです。
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もし私が「カントリー、なんかよくわかんない。ダサい。嫌い。」などと普段から口にしたり、そういう記事を書いていたとしたら、自然と私は自分自身の可能性を閉ざすことになっていたと思います。そういうことを言い続けていると、自然に耳も心も閉ざされて、暗い表情になって、ジュリアンの”Arclight”にも感動しなかったかもしれない。
何かを簡単には嫌いにならない、ディスらない、ということは、自分を大事にすることだと思っています。
何かを否定する、外部からの影響を意図的に断つことで、自分の個性を確立する、という方法論もあると思いますし、それはそれで有効な場合もあるのかもしれませんが、個人的にはどうもそれって脳にあまり良くないんじゃないかと思っています。
否定・拒否・攻撃といった心の動きは、ある何かと何かを結びつける可能性を探るクリエイティブな心の動きとは対極にあるのではないか。だから、あれは嫌なものだ、こんなもんダメだ、などとばかり言っていたら、様々なものを接続して新しい何かを発生させるための脳細胞が死んでいくんじゃないかと思うんですね。だって、可能性を潰していくわけだから。
勿論人間なので、何かがどうしても好きになれなかったり、反射的に不快感を覚えたりすることはしょっちゅうあるのですが、そこで反射的にディスったりすると、損にしかならないなぁと思っています。私はもっとギターが上手になりたいし、音楽家として成長したい。クリエイティブでありたい。
だから今年も自分を大事にしていきたいと思います。様々な可能性に対して、外側の多様な世界や他人に対して心を開き、否定や拒否をする前にまず観察する。よくわからないものについては、判断を保留する。結論を急がない。脳に不用な緊張を与えない。
ところで先月紹介したミック・グッドリックのインタビュー、こんなことが書かれていました。
最近彼は創造的なプロセスと干渉する脳の部位を沈静化する方法を見つけることにフォーカスしている。生徒には、その目的のためにドローイングをツールとして使うように言っている。彼によると、ドローイングはクリエイティビティの制限を超えるために役に立ち、より深く対峙できるようになるという。これらのエクササイズは脳を騙し、禁忌や分析的な精神構造から心を解放する。現在彼は音楽と同じほど神経学に興味を持っており、1日に1枚のドローイングを生徒に描くように言っている。彼はまた心を穏やかにする作用のある、南アフリカ原産の古いハーブ・サプリメントである「ゼンブリン」を生徒に奨めている。
彼はいま神経学に興味を持っているらしい。これは面白いなと思いました。普通、どうやったらギターうまくなるだろう、とか、どういう練習すればいいんだろう、とか誰もが頑張って考えるわけですが、どんな精神状態で取り組むのが望ましいのだろう、と考える機会はあまり多くないように思います。
よく身体について「脱力すること」の大切さが取り上げられますが、精神についてもきっと脱力が必要で、何かに対して否定的になったり攻撃的になったり悲観的にならないようにする、というのは、精神の脱力に相当するのではないかと思うんですね。では精神の脱力をどう実現するか。私は最近、ある種の植物を集めたり、かわいいものを買ったりすることにハマっています。
というわけで、今年も「精神の脱力」を目指してこのブログに取り組んでいくつもりです。読んで下さった方に対して、何らかのポジティブな価値を提供できるような記事を書いていければよいな、と思っています。今年も宜しくお願いいたします。