ある場所でこんな絵馬を見かけました。小さい女の子が書いたものでした。これを見て、気持ちはわかる、わかるとも、と思ったのでした。
ジョー・パスのように、パット・メセニーのように、ジョン・スコフィールドのように弾けるようになりたい…などなど、様々な「〜のように弾けるようになりたい」を経てきました。最後は「カート・ローゼンウィンケルのように弾けるようになりたい」でした。みんな本当に好きだったなぁ。あんな風に弾けるのなら自分自身のちっぽけな表現なんか全く要らないと思っていました。
今はもう、誰それのように弾けるようになりたい、とは全く思いません。
自分で弾きたいものの音の繋がり、自分の歌がわかってきたので、それを確実にしていきたいというのが現在の目標で、これからもそれは変わらないでしょう。この状態に至れなかったら、たぶんギターはやめていたと思います。決して他人にはなれないのに、それを求め続けてしまったら、そこには不幸しか発生しない。
それにしても上の子のメッセージの特異なところは、「アンパンマンみたいになりたい」ではなく、アンパンマン「に」なりたい、というところ。
もう好きすぎてそれになりたい。同化してしまいたい。どんだけアンパンマン好きなんだよ! これはどういう感情だろう。好きすぎて食べたいのかな。「恋」に近いのだろうか。
私がカートに対して持っていた感情も最初は「恋」だったと思います。そして、それはやがて「愛」になりました。「恋」から「愛」へ。この意味、読んで下さっている方に伝わるでしょうか…