1937年、当時16歳だったチャーリー・パーカーは「リノ・クラブ」というミズーリ州カンザスシティの店でのジャム・セッションで、ドラマーのジョー・ジョーンズ(当時26歳)にシンバルを投げられた、という逸話があります。クリント・イーストウッドの映画「バード」でもこの出来事が描かれています(この映画、私には微妙でした。大好きな監督ですが…)。
しかしパーカーは本当にパパ・ジョーにシンバルを投げられたのだろうか? と、アメリカのあるブロガーさんが“BIRD, JO JONES, AND THAT CYMBAL”という記事で考察しています。主旨は、シンバルは金属といえど衝撃を受けたら割れたり曲がったりする。時間をかけて選んだ大切なシンバルを、ドラマーはそんなふうに扱うだろうか? というもの。私も長年同じような疑問を持っていたので共感して読みました。
ただ、この方は後になって同記事を更新しています。どうも様々なソースから、パパ・ジョーは本当にシンバルを投げたんだよ、という情報提供があった模様。当時現場に居合わせたベーシストのジーン・レイミーは、Doug Ramsey著”JAZZ MATTERS”にて次のように語っているそうです。
曲が何だったかは誰も覚えていない。覚えていたらすごいことだよ、ジャムる曲は何十曲とあったんだから…バードは最初うまいこと吹いていたんだが、正しいコード進行の外に出るようなことをやろうとして、戻ってこれなくなった。奴はそのままロストしっぱなしだったから、ジョー・ジョーンズはシンバルのふくらんだところをゴングみたいに鳴らし続けた。メイジャー・ボウズのスタイルでね。アマチュア・アワーというラジオ番組で、演奏がダメな時にボウズがゴングを鳴らしていただろう? ジョーはそのシンバルを叩き続けたんだけど、バードを舞台から降ろせなかった。だからついにシンバルを外して床に投げた。床に当たって、少し滑った。
ジョーがシンバルをフロアの端まで投げたという話を読んだことがあるけど、バードの足元に落としただけだ。それで奴は演奏をやめた。バードの顔のリアクションは、コミカルだったけど可哀想だった。言葉を失っていたんだ。奴はこちらにやってきたから俺は言ったんだ、「いいかバード、もう少しでうまく行くところだったぞ。あのターンバックはちゃんと吹けていた、でも途中でヘンなところに着地したんだよ」。俺達はそのことで奴をずっとからかったんだが、奴は俺に何回もこう言った、「はぁ。俺は戻ってくるよ。大丈夫だ、俺は戻ってくる。」
ジョー・ジョーンズがシンバルを投げたこと自体は本当だったようですね。むかしセッションデビューしたばかりのプレイヤーがソロを上手に終わらせられず延々と弾いてしまい、ホストさんがいつテーマに戻そうかと苦心しているのを目撃したことがあります。パパ・ジョーもシンバルで合図を出し続けたけれど、パーカーには聞こえていなかったのでしょう。
こうやってその現場にいたとされる人の話を聞くと、本当に起こったらしいことと、言い伝えとして聞いた話とはだいぶニュアンスが違うなぁ、と感じます。パパ・ジョーは軽蔑を込めてすごい勢いでシンバルを投げたから、もし当たっていたらパーカーの首が跳ぶ勢いだった、みたいな話も聞いたことがあります。
そういう話にさらに尾鰭がついた結果、「セッション」というこれまた微妙な映画に繋がってしまったような気がします。ジャム・セッションに怖いイメージを持っている方は結構いるようですが(実際怖いものもあるw)、このシンバルのエピソードに起源があるのかな、と思ったりしました。
とはいえ1937年頃のジャム・セッションは、現在の私達からするとかなり怖い感じのものだったのかもしれないですね。映画「バード」での描き方を見ても、男たちが自分の能力や価値を証明する場所、という感じがします。マウンティング系オス社会。そんな時代に生まれなくて良かった…