先日芸能リポーターの井上公造氏が、覚醒剤使用の疑いで再逮捕(その後嫌疑不十分で不起訴)された歌手のASKA氏の未発表音源を「ミヤネ屋」というワイドショーでアーティスト本人の許可なく勝手に公共の電波に流す、という出来事があり、その一部始終をフォローした結果、とんでもない話だなと思いました。
この芸能リポーター氏は後になって「アーティストとしての活動を伝えるためだった」などと釈明していましたが、「ミヤネ屋」でのその音源の扱いに、「みなさん聴いてください、これが覚醒剤で頭がおかしくなった人の音楽です」という感じのニュアンスを私は聴き取りました。見世物としてその音源を扱っているのは明白でした。
何故ASKA氏が井上公造という人物に製作途中の音源を渡してしまうことになったのか、経緯は不明ですが、ご本人はああしたかたちで、デモ状態の曲を番組内でスマホから流されても良いとは決して思っていなかったでしょう。
この出来事について、私は腹が立つというより(腹が立つだけだったら記事を書くこともないのですが)、音楽を制作したり、何か創作する人間の心の状態を全く理解できない野蛮人がいるのだ、とあらためて驚いたのでした。この井上公造という人は、表現活動に身を投じている人のことが全く理解できない人なのでしょう。
書きかけの作品、いままさに生まれようとしている作品、何かの途上にある作品やアイデアは、vulnerableな(壊れやすい)ものだと思います。それはこれからどう生育していくかわからない心の状態の反映でもあるでしょう。大袈裟かもしれないけれど、神聖なものでもあるでしょう。
信頼できる人間となら共有できる。でも裸のようなものなので電波に乗せたいとは誰も思わないでしょう。「公造さん、曲流しちゃだめだって。曲流したらだめだって」と困惑気味に不快感を述べたASKA氏の気持ちは、私には痛いほどよくわかりました。
いいじゃん減るもんじゃないし。と言う人もいるかもしれませんが、私はそういう価値観、まったく共有できません。あとパット・メセニーがこの出来事を知ったら烈火のように激怒して2万字くらいの抗議文を書くんじゃないでしょうか。
そのASKA氏が数日前、最新作をYouTubeにアップされていました。「FUKUOKA」という曲です。私はCHAGE and ASKAの音楽のことを深くは知りません。有名な曲はもちろん知ってはいますが、過去に音源を買ったり、熱中して聴いたことはありません。だから彼らの音楽について何か語る言葉は持っていません。
でもASKA氏のこの「FUKUOKA」という曲には感動しました。誰が弾いているかわからないけれど、ピアノもすごくいいですよ。日本の最良のポップスの一つでしょう。歌詞もすごくいい。私はこの一曲で、ASKAという歌手のファンになりました。この曲は「YAH YAH YAH」よりも「SAY YES」よりもずっといい。
そしてこの曲の良さは、たぶん井上公造という人には理解できないのでしょう。この音楽の良さがわからない奴はバカだ、などと自分が何か特権的な者であるかのように、そう思うのではありません。むしろ「わからないんだろうな」という奇妙な寂しさを感じながら、そのように思います。
ASKA氏は、チェット・ベイカーのように終わってほしくない。音楽は聴く人の心を癒やす。生み出す人の心を癒やす。作曲と歌を通じて、ASKA氏を巡る状況が良い方向に向かうことを願っています。