遅ればせながら映画「君の名は。」を観ました。
実は「おれたちは夢の中で入れ替わってる!?」というあのテレビコマーシャルを目にした段階で、ダメだこの映画、観たいとは思わない。そんな時間があったらコードの練習をする、と思っていたのでした。
しかしマイルスという友達が「流行っているものは何でも追え」と誘ってきたので、結局観に行くことになり、エンドロールが流れる頃にはその友達と私は二人とも、目頭から溢れる熱い涙を隠すためにこっそり黒いサングラスをかけ、ハンカチで鼻水をかまなければならかったのでした。
この映画については漫画家の江川達也氏が「作家性が薄くて、売れる要素ばっかりブチこんでいる、ちょっと軽い作品」と酷評していましたが、観終わって感じたのは「ブチこまれているのが『売れる要素』かどうかは別として、それをクリエイティビティのジャンプ台としてこれだけ使い切れているのは、どう考えてもすごい才能だろう」ということでした。
確かにこの映画は「売れる要素」が満載です。男と女が意識だけ入れ替わるというモチーフは昔のマンガにもあったし、隕石のエピソードは東日本大震災の記憶がベースになっているのは間違いない。物語も何千年も前から反復しているらしい神話的構造を持っている。御神体というサンクチュアリ、マルチヴァース(並行宇宙)、東京と地方(中心と周縁)等々「売れる要素ばっかり」という批判が出ても無理はないかもしれない。
しかし、と私は思いました。その何が悪いのだ。丁寧に編み込んでいるじゃないか。音楽で言うなら、たくさんのありふれたコードを破綻なく丁寧に声部移動させて、その結果ある種の異常な美しさ、不思議な感動に至ったということじゃないか、と。
「売れる要素」とは、言い換えるなら、私達が慣れ親しんだ表現、モチーフ、「紋切り型」という意味での「クリシェ」でしょう。ジャズで言うなら有名なフレーズとかリックと言っても良いのでしょうか。よくあるコード進行(物語)と言ってもいい。
それらを使っていけないわけがない。それらを使って何を表現していくかが大切。新海誠という監督の「作家性」が薄いとも、私は思いませんでした。「作家性や独自性にこだわり抜いた重い作品」に比べてこの映画が劣っているかというと、全然そんなことはないと思いました。むしろそれらを標榜する映画のほうが多くの場合、つまらない。
ちょっと文句を言いたいところもありました。でも、良かったものについては手放しで賞賛すべきであると思うので、それについては書きません。でも、その「文句を言いたかった点」も帳消しにしてしまうくらいのパワーが、この映画にはありました。この映画が好きでない人がいることは理解できるような気もしますが、私自身はこの映画を楽しめて、ラッキーだと思いました(というか、もう1度観に行こうと思っています)。