この記事はブルースという名の実験場(1):もう迷わないジャズ・ブルースのコード進行の続きです。
前回の記事の最後で、「ジャズ・ブルースとして恐らく最も普及しているように思われる進行」を紹介しました。異論もあると思いますが、下のような進行です。
実際、大体こんな感じだと思います。こんな感じでやれば良い。こんな感じでやれば間違いない。というコンセンサスが、なんとなく存在しているように思えます。
しかし、じゃあ過去の音源を当たってブルースをあらためて勉強してみよう…と、往年のジャズ・ジャイアンツ、ビバッパー、アルトやテナーのサキソフォニストの演奏を聴くとします。すると、多分こういう感想を持つことが多いのではないでしょうか。
- ん? 2小節目でIV7は意識していないぞ?
- 4小節目でオルタードなんか使ってなくね?
- 6小節目でIV#dimとか出てくるの稀じゃね?
- 8小節でHmp5↓を使うのは理論的にハマるのはわかるけど、実際に使っているビバッパーがあまりいない…
- 9-11小節目でツー・ファイブらしきまとまったフレーズを吹く(弾く)のって、少数派なんじゃ…
- 11〜12小節目で律儀にターンアラウンドを表現するようなフレーズを吹く(弾く)人は、かなり少ない…
こういうことはよくあると思います。というか、上のコード進行を意識したような演奏のほうがやはり昔は稀だったのではないかという気がします。オルタードが使えそうなところで、実際にオルタードを使う人もいますが、せいぜいb9をさりげなく入れる程度で、ガッチリとしたオルタードのフレーズはあまり使わなかったりする。
上の演奏でチャーリー・パーカーはソロ2コーラス目でキメっぽい2-5フレーズ、3コーラス目の8小節目でHmp5↓を使っているけれど、細かいことはそれほどやっていない(マイルスも8小節目で一回だけhmp5↓を使っているかな)。この後ロリンズやコルトレーンになると少しづつ派手なものが出てくるけれども、それでも基本こんな感じじゃないでしょうか。
このことは、ブルースだけでなくあらゆるスタンダード・ソングを演奏する際に気をつけておく必要があると思います。ビバップはコード進行を線的なメロディで表現する音楽だけれど、メロディ、モチーフの展開といった要素は、ハーモニーよりも常に上位に位置するものであり、最も重要なものであること。ホリゾンタルなロジックが強固に成立しているなら(説得力があるなら)、それは通底するハーモニー構造よりも価値があるということ。
平たく言えば「歌っているなら何だっていい」ということ。音楽を聴きに来ている人は、音楽学校の試験官ではないのだから、8小節目できちんとHmp5↓を使えているかどうかとか、そういうことには全く興味がない。それよりも、ソロ全体を通じてノリが維持されているか。ブルースの場合なら、思わず身体が動いてしまうような印象的なフレーズやリフがあるかどうか。そういうのが大事。
勿論、練習のフェーズと本番のフェーズは同じものとして語れず、練習時には本当に様々な可能性を試しておく必要はあると思うのですが、「ブルースってのはな、最終的には一発なんだよ。ごちゃごちゃ言うな」というマインドは持っておく必要があると思います。
そういう人のブルースは、やっぱり聴いていて良いです。先日、カート・ローゼンウィンケルがライブでクリフォード・ブラウンのEbのブルース・”Sandu”を演奏していたのですが、前半の6コーラスはどうということのない音使いのコードソロでした。オルタード・テンションをほとんど含まない演奏で、あまりのシンプルさに私の耳にはほとんど「放送事故」のように聴こえました(ドラム・ソロの後の第2ソロではブチ切れた16分音符ソロになってそれがまた良かったですが)。
ブルースってそういうものだと思います。複雑で進化しまくったブルースがあっても、勿論いい。でもブルースの根っこは、相当にシンプルなものだと思います。「お前ら、好きにやれ。結果カッコ良くなったら、お前らはカッコ良かったってことだ。結果カッコ悪かったら、お前らはカッコ悪かったってことだ。あと言っとくけど、無理にカッコ付ける必要も、ないんだぜ…」ブルースはそんな音楽のような気がします。