ここ最近、「音楽と政治」に関する話題を目にすることが多くなりました。
何が起こっているのだろうと調べてみると、「フジロックフェスティバル」に、学生を中心とした政治団体や若手ジャーナリストが参加することに端を発しているようです。「ロックに政治を持ち込むな」という勢力と、「いや、ロックはもともと反体制なものだったのだ」という勢力がお互いを貶し合っている、という図式があるらしい。
私が小さい頃に遭遇して夢中になった音楽というものは(最初はクラシック音楽)、言葉や意味とは無縁な、ただの音響でした。勿論、そこには「調性」や「十二平均律」という意味性(そして権力)が存在していたとしても、それでも音楽は私にとって自分の日常の不満をぶつけるツールでも、思想の鏡でもありませんでした。
中学生になるとロックもよく聴くようになりました。その中でも特に好きだったのが、イギリスのレッド・ツェッペリンやディープ・パープル、アメリカのKISS等です。ローリング・ストーンズは、子供ながらに「音楽に政治を持ち込んでいる」という理由で、当時は嫌いでした(その後、好きになったアルバムも何枚かありました)。私は「音楽に政治を持ち込まれる」のが嫌だった人々に分類されると思います。
で、いまフジロックに政治を持ち込むな云々という話題を見てると、何か話の焦点がぼやけているように見えます。本質的なことが議論されていないように思えたのでした。
音楽に政治を持ち込むこと自体がダメだったり、問題だったりするのではないのではないか。
そうではなく、音楽に政治を持ち込んでもカッコイイ人と、音楽に政治を持ち込んだ結果かなりカッコ悪くなった人、2種類いるということではないかと思います。
おじさんになった今でも私は基本的に「音楽に政治を持ち込む」のは好きではありません。でも「戦争の親玉」というボブ・ディランの歌は最高の曲だと思うし、高橋悠治さん、イヤニス・クセナキス、ルイージ・ノーノといった尊敬する音楽家の活動が政治とは無関係ではいられなかったことは理解できます。武満徹もかなり政治的な人だったと思います。
音楽に限らず、芸術全般を眺めてみても例えば映画監督のジャン=リュック・ゴダールはうんざりするほど政治的な人だったけれども、彼の作品群が退屈かというと全然そんなことはない。最高にカッコ良くて、リアルで訴えてくる。何十年経った今でも。
また、本当はかなり政治的な存在だと思われるのに、作品内では明示的に政治をテーマとして取り上げない人がいる。映画監督では日本の北野武がそうだと思うし、ジャズ・ミュージシャンではジョン・ゾーンもそうだと思う。つか、パット・メセニーってそうとう政治的じゃね? と思うこともあります(あの人は政治のかたまりのような人じゃないのかな)。
ジャズ・ミュージシャンで言えば、本人達は否定するかもしれないけれど、他にセロニアス・モンクやビル・フリゼール、ベン・モンダー等は違う場所と違う時代に生まれていたら火炎瓶投げていた人ではないかとも思います。
音楽でも、映画でも、舞台芸術でも、小説でもいいけれど、あらゆる表現形態は本質に政治的なものだと思います。何かを表現する時、そこには常に意志があり、決断があり、選択があり、犠牲がある。救ったものと救えなかったものがある。できたこととできなかったことがある。理想と現実がある。
私のような、世界中に何百万人もいるに違いないアマチュアの音楽愛好家・ギター弾きでさえ、自宅で真剣に練習している時、人前で演奏している時はそういう意味でいつも「政治的状況」に直面しているはずです。
そういう意味で、音楽する、という行為は、もともとが政治的。ジャズでなくとも、バンドを組んでみんなでいい音楽を作ってみるといった場合にも、そこには様々な「政治的状況」が発生するはず。決断があり、利害関係の調整があり、否応なく権力が発生し、その時々で意思決定がなされなければならない。
そういう意味で、「音楽すること」はもともと高度に政治的な行為ではないか。
既に高度に政治的な行為である音楽(そして様々な芸術活動)。そこにあえて自民党が、民進党が、と言っても、何かをごまかしているように聞こえるのではないか。
カッコ良ければ誰も文句は言わないはず。「フジロックフェスティバル」に政治色の強い団体や個人が参加することにより物議を醸しているのは何故か。それは単に彼等が「カッコ良い」とは思われてないから。それに尽きるのでしょう。彼等がカッコ良かったら誰も文句は言っていない。
レディオ・ヘッドは相当政治的なバンドだと思うけれど、労働党がどうだとか、英国はEUから独立すべきであるとか、そういうことは歌わない。かわりにトム・ヨークは、こういうことを歌う。
誰かがそれを清掃してくれる。その仕事をやるために生まれ、育った。誰かが必ず(そのゴミを)拾う。立ち直れ、克服しろ
トム・ヨークがどう考えているかはわからないけれど、例えばこの曲は政治的だと私は感じます。そして最高にカッコいい。「ロックで政治に参加する」ということがあり得るとしたら、こういうことだろう、と私は思います。
「カッコ悪い政治的音楽」と「カッコ良い政治的音楽」の違いは何処にあるのだろう。この記事を書くことで、何かわかるかなと思ったのですが、結局よくわかりませんでした。あからさまに政治を歌うことはなかったロバート・プラントと、UKはEUを離脱すべきだと言い始めたミック・ジャガー。どっちもカッコ悪いとは思いません。どちらかが間違っているとも思えません。多分ロックというものの器はもっと大きくて、どちらも許容するんじゃないでしょうか。
ところで、音楽は様々な感情を表現できるとは思うのですが、「憎しみ」は表現できるのでしょうか。「悲しみ」の表現にはたくさん触れてきました。ブルースだってそう。でも「憎しみ」を表現した音楽をあまり知りません。というか、あったとしても、多分聴かないな。