何かコードを弾くとします。
大体3音以上の音を、同時に弾くとします。その時ギターの場合、主に
- ピックを6弦側から1弦側に向かって振り下ろす(あるいは逆に1弦側から6弦側に振り上げる)
- 親指と人差指でホールドしたピックで最低音を弾き、残りの指で同時に残りの音を弾く
- 指だけで全ての音を同時に弾く
この3つのパターンがあると思います。ジョン・スコフィールドとマイク・モレノは、最初の選択肢、つまりピックで「ジャラ〜ン」または「ポロロ〜ン」と弾くのが好きではないらしい。その理由は、そのように弾く限り、どんなに速くピックを振り下ろしたとしても、全ての音が「完全に同時に」発音されることはないから。それが好きでないのだという。
彼等は指で全ての弦を同時に弾くのが好きだと語っています。理由はそのほうが「ピアニスティック」(ピアノ的)な表現だから。「ジャラ〜ン」じゃなくて「バーン」と揃った音で同時発音するあの感じが好きなようです。
これはちょっと面白いテーマだと思いました。自分はどちらが好きなんだろう。どんなふうに使い分けているだろう。
私達が弾いているのは「ギター」なので、ギター特有の奏法上の特徴や制限を直視し、それを受け入れるなり、拒絶すればいいのですが、スコフィールドとモレノはある意味「ギター的な奏法」を拒絶しているわけです。ジョンスコは確かにコードはいつも同時に指で弾きますよね。
ところでジョン・スコフィールドが尊敬していたジム・ホールはコードを主にピックで弾き下ろしていた人です。「ジャラ〜ン」と弾くことがわりと多かった。ダブル・ストップ(2音を同時に弾く)は別として、3音以上のコードの時、ジム・ホールは大体ピックで「ジャーン」と弾いていた人だったと思います(ストロークは速かったと思うけど)。
つまりジム・ホールはギターにおける「ギターリスティック」な表現を、良しとして受け入れていた人だったと言えると思います。これもちょっと面白い話です。
「弦が発音するタイミングがちょっとずれていく」ことの「居心地の悪さ」は私もわかります。指で複数弦を同時に撥弦すると独特の気持ち良さがある。かといって私は「ジャラ〜ン・ジャーン」が嫌いでもないです。良し悪しの問題ではないですが、どんな時にどちらを使うのかはあらためて考えてみても良いように思いました。
パット・メセニーはコードをギターリスティックにもピアニスティックにも弾くように思います。彼は両方の表現を使い分けているような気がします。
ウェス・モンゴメリーはコードをピアニスティックに(=同時に発音するような感じで)弾いたことがあっただろうか。親指でジャラ、ジャラ、ジャラ〜ン、というのが好きだったんじゃないかな。
ただ、たぶん間違いないと思うのですが、ジョン・スコフィールドとマイク・モレノのようなアプローチ、つまり「ギター上で、コードをピアニスティックに弾く」ほうが、少数派でしょう。彼等は理由があってそうやっている。
マイク・モレノが何故そういう奏法に至ったかはわかりませがんが、ジョン・スコフィールドは結構ビル・エヴァンスをコピーしたことがあったようなので、それも関係しているのでしょうか。
これはどちらが正しいという問題では勿論全くなく、自分がどう弾きたいかという問題と直結してきます。この件に限らず、奏法については時々じっくり考えを巡らせてみたいと思います。