即興演奏において「悩む」という行為は大体いつもマイナスなものではないでしょうか。えっと、次、何弾こうか… あれか、それともあれか。この音でいいのかな、どうしようかな… などと「考えて」いると、その「確信のなさ・自信のなさ」は、確実に音になって現れてしまいます(ていうか私の場合はそうです)。
そして多くの人は、「確信なしに発音された音」を聴きたいとは思っていない。
もう絶対悩んだらいけない。考えたらいけない。ブルース・リー先生が言うように、「考える」のではなく「感じ」なければならない。弾くべき音を指先で感じ取り、躊躇せずに弾く。
結果的に、それが最善の選択ではなかった、あるいはうまく行かなかった、としてもいい。逡巡のない決断をぶつけていく。あるいは残していく。
そういう演奏が、いい。そして聴いてくれている人も、その「理由なき確信」に満ちた(ある意味無謀な)音はガッチリ受け止めてくれる。演奏後にたくさん拍手をいただいたりすると、「きっといまの演奏には迷いがなかったんだ」と思うことがあります(但し私の場合拍手されることは稀です…)。
ところで「作曲する」という行為はどうでしょうか。これは「即興演奏」とは少し違うところがあると思います。これについてジョン・アバークロンビーは、My Music Masterclassの教則動画(この記事でも詳しく紹介しています)で次のように語っています。
自分自身の曲を作曲する時は、自分の耳に聞こえているものと、いつもとは違ったふうに対峙できるんだ…(中略) ギターやピアノを使って、いや楽器は何でもいいけど、作曲をはじめるとするだろう、するとそれは即興演奏と同じなんだ、違っているのは、僕の友だちのリッチー・バイラークの言葉だけど、「作曲と即興演奏って同じだよ、ただ作曲する時はテンポを極端に遅くするんだ、時間が完全に止まるまでね」ということ。これっていいだろ、だってリアルタイムで演る必要はないわけだからね。つまり瞬間ごとに何かやる必要はなくて、作曲だから止めたり、また始めたりできるんだ。ギグやジャム・セッション、レコーディングだとそんなことできないだろう、そういう時は演奏し続けないといけないからね。でも家でゆっくり座って作曲している時は、時間をたっぷりかけられるじゃないか、「このコードに対するこの音の響きが好きだな!」とか「このフレーズ好きだな!」とか。それって何をやっている? それは即興演奏だよ。即興演奏に必要な様々な考えを、作曲的な型式に収めようとする行為だよ。だからたくさん曲を書くようになると、自分の演奏も影響されて変わってくるよ。自分の耳に聞こえているものを、もっとよく聞き取れるようになるんだから。
When you start to compose your own tunes, then you get in touch with another way you hear, (…) you sit down with your guitar, piano or whatever your instrument is… and you start to compose, and when you do that, it’s really the same as improvising, except it’s… like another friend of mine, Richie Beirach said once, “Yeah, composing and improvising are the same thing, just when you are composing you slow down to a dead stop”, you know it’s cool, because you don’t have to do it real time, I mean you are not trying to do it like in the moment, you’re composing, so you can stop, and start, you can’t do that in a gig or a jam session or at a record day, you have to be playing, and when you are sitting at home and composing, you take your time, say, “I like the way this note sounds against this chord”, “I like this phrase”, well, what are you doing? You are really improvising too, and you are trying to organize thoughts that you have for improvising and put them into a compositional form, and then the more you do that the more you start writing tunes, that starts to, of course, influence how you’re gonna play, ’cause you start to get in touch more with what you hear.
– John Abercrombie (My Music Masteclass John Abercrombie (Jazz Guitar) 1 @10:28
これはすごく良い事が語られていますよね。アバクロ先生は他の場所でも、よく「テンポ・ルバートで練習すること」を推奨していたような気がします。勿論、「本番演奏」を想定して、止まらずに何かを最初から最後まで弾き切るという「パフォーマンスの練習」も別途必要だとは思うのですが、それとは別のフェーズの「練習」として、「自分の頭の中で鳴っている音をよく聴きとる・自分が何を弾きたいのかを本当に理解する練習」も確実に必要だと思います。
これは「自分自身を理解する」練習とも言えると思うのですが、「作曲する」という行為はそういうツールとしても捉えられるのだと思います。で、作曲中はもうさんざん「悩む」ことが許される(笑)。「ちょっと待って、今のなし。えっと… どうしよっかな…」というのはライブやセッションではありえないけれど、作曲中はいくらでもそれをやってもいい。
なら作曲という行為が何か「ユルイ」のかというと、それは違うわけで、「選択する・決断する」ことにおける妥協のなさは、即興演奏時のそれを上回るものがあるのではないかと思います。もう絶対に自信のあるものしか残せない。そしてそういう行為を重ねていると、即興中のプレイにもやはり良い影響が出てくるはず。
私自身は楽曲をきちんと完成させるという機会があまりないのですが、ある程度のサイズのメロディ(の断片)や、フレーズを作ったりはよくやります。それは「ちゃんとした作曲」ではないのかもしれないのですが、紙に書くそれらの音符は、自分自身が認めたものでしかありえないし、「これ違う」という音は最終的には残りません。書いてみたけれどゴミ箱行きというものも多数。
そんな時は「俺の中に音楽なんか存在しなかったんだ! 俺の耳には本当は何にも聞こえちゃいないんだ!」と深く絶望し、それを口実に「よし、なら今日は飲もう!」と決断します。まぁ、でも、今日うまく行かなくても別にいいや。いつかちょっとでもいいものが生まれればいいや。と思うことにしています。
作曲という行為を通じて、「曲」(Tunes)もアウトプットされると思いますが、同時に即興演奏能力も磨かれるのは間違いないと思います。作曲はあんまり興味ない、というプレイヤーも多いと思いますが、挑戦すると得ることが多い行為ではないかと思ったのでした。ジャズでなくとも、長い曲でなくとも、調性がよくわからなくても。どんなステージにある人でも、「作曲する」というのは結構良い行為なのではないでしょうか。自分が何が好きなのかがわかる。自分が好きでないものは誰も楽譜に書いたりはしないのだから。