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2オクターブのセブンスコード・アルペジオをギターで弾くための96通りの方法

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Ben MonderがMy Music Masterclassの教則動画(オンラインで購入可能。紹介記事)で説明していたアルペジオのフィンガリングについて書いてみます。

ベン・モンダーはこれを彼の最初の先生であるChuck Wayne(チャック・ウェイン)から習ったそうです。例えばセブンス・コードのアルペジオをどうやって弾くかという話なのですが、6弦から開始すると次の5つのパターンが考えられます。

2オクターブのセブンスコード・アルペジオをギターで弾くための96通りの方法

譜面の上の数字、例えば最初の「112」というのは「最初の弦で1音、次の弦で1音、次の弦で2音弾く」ことを意味します。「121」の場合、6弦で1音弾いて、5弦で2音弾いて、4弦で1音弾く。こんなふうに、1度・3度・5度・7度のアルペジオをギターで弾く場合、「112, 121, 211, 22, 1111」という5つのパターンが考えられます(6弦からスタートした場合)。

で、上のいずれかのパターンで6弦からスタートしてセブンスコードのアルペジオを弾いたら、終着点の弦から1オクターブ上のアルペジオを新たに弾きます。この場合も、上の「112, 121, 211, 22, 1111」のいずれかを選ぶことが想定できます。しかし「1111」(1つの弦につき1音)は、弦が足らないので弾けないことがわかります。

2オクターブのセブンスコード・アルペジオをギターで弾くための96通りの方法

5×5の順列組み合わせは25。しかし「1111」と「1111」の組み合わせはギターという楽器の制限上、弾けないので(7弦ギターなら弾けるのかな?)、それをマイナスすると24通りの弾き方があることになります。

ここまではアルペジオの根音形(ルート・フォーム)の話。セブンスコードには第1転回形・第2転回形・第3転回形があるので、24を4倍します。すると全ての転回形を含めるなら、「あるセブンスコードについて、2オクターブにわたるアルペジオを6弦スタートで弾く場合、24×4=96、ということで、96通りのパターンがある」ことになります。

そしてセブンスコードにはMajor 7th/6th, Minor 7th/6th, Dominant 7th, Half Diminished, Major 7th #5, Diminished 7th等々の種類があるわけで、それらを積算すると… 重複分を省いても”Art is long, life is short.”という感じです(まぁ、すぐにこれを全部やらなくても楽しめるのが音楽の良いところ)。

ベン・モンダーの面白いところは、彼のあの超絶技巧と圧倒的な創造力が、こうした本当に当たり前の地道な練習に支えられているらしいところです。彼のレッスンを受けたあるギタリストは、「私はあとどんな練習をしたらいいでしょうか」と質問したところ、「君には必要な練習方法を全て教えた。あとはそれを網羅するだけだよ」と言われて、話が終わってしまった、と言っていました。

勿論、特定のアルペジオの弾き方の組み合わせでフィンガリングが変わる場合はどうするか、上まで行ってしまった後はどうするか、という場合のTipsのようなものはモンダーの教則動画で説明されているので、英語に抵抗がない方は是非御覧ください。このアルペジオの弾き方については”Ben Monder 3″で解説されています。「ここまで弾いたら後は9thとか#11thを弾くと良いよー」みたいなナイスな内容もあります。

ベン・モンダーはこういう、それ完全にマスターするまでにヘタすると死ぬまでかかるだろう、的な練習方法をたくさん知っていて、実際に実践してきたようです。私も気長に取り組んでいますが、まあ老後にやることがなくて退屈するとかそういうことには絶対にならなそうです。

このアルペジオの練習、組み合わせによっては一気にハイポジションに飛べるものがあったり、アルペジオだけでなくスケールを重ねあわせて指板を見るようにするとかなり見通しが良くなります。時間はかかりますが、勿論メジャー以外のコードクオリティでもやります。

何か調子が悪くて練習する気になれないな、という日でも、こういう基礎練習はやればやっただけ自分のものになるのでおすすめです。

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「成功の秘訣は何ですか?」「コーヒー。」- Ben Monder

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Ben Monderの名言を紹介します。

You’ve played on over 130 albums and released a myriad of your own material to acclaim, what’s your secret to success?
– Coffee.

「あなたは130以上のアルバムで演奏して、ご自分の名義の数々の作品も賞賛されています。あなたの成功の秘訣は何でしょうか?」
「コーヒー。」

– Interview with David Bowie’s ‘Blackstar’ Guitarist, Ben Monder

ベン・モンダーらしい回答だと思います。彼は確か他のインタビューでも、いまやりたい練習があるんだけどそれは朝起きてすぐやらないとうまく行かないものだから、時間がかかるんだよね、みたいなことを言っていた気がします。

これはわかるなぁ。朝起きて意識がまだその日一日にやらなければならないタスクに汚される前にやっておきたい練習ってありますよね。朝の時間は本当に黄金です。

コーヒー。とりあえず頭をシャキっと。決してアルコールではない。モンダーらしい回答です。そういえば、J.S.Bachもコーヒーについての歌を作曲していたっけ。ベン・モンダーの1日は、彼が独自にギター用にアレンジしたバッハのコラールを弾くことから始まるらしい。

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空気とか読まなくていい

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いつだったか、あるセッションで”Confirmation”を弾いた時のことを思い出しました。

その夜、ある若者(のギタリスト)が「コンファメーションお願いします」と言ったのでした(その時私も「◯◯さん、もう1曲お願いします」と言われていたので待機していた)。するとそのハコは「ドッ」という感じで、みんな笑ったのでした(その若者のことを馬鹿にしたわけでは勿論、ない。みんな「えー、それは後で演ろうよ」という感じで笑ったのでした)。

いろいろなジャム・セッションに参加したことのある方ならわかると思いますが、チャーリー・パーカーの「コンファメーション」やチック・コリアの「スペイン」のような曲は、その日の早い段階で演奏されることはあまりなく、みんな「空気を読んで」その日のセッションの最後あたりにコール(=「この曲やりたいです」と言うこと)することが多い。

しかし私は、「ああ、この人はコンファメーションを弾きたくて、そのために練習してきたんだ、この日のために。」と感じました。そして、彼は上で書いたような「慣習」を知らない。

こういう時、セッションホストは普通に「OK。それ、やりましょう。」と言うべきだと思います。「そういう曲はね、一日のシメにやるものなんです。」みたいなことを言うのは、何かちょっと違うと思う。

これは私の価値観だから、反対意見もあると思います。でもその若者が、コンファメーションを頑張って練習してきて、それしか弾けないとしたら(コンファメーションが弾けるなら他の何かも弾けるとは思うけど)、そして彼がそれをコールしたなら、やりましょう、というのが良い流れなんじゃないか。

不文律、しきたり、慣習もジャズではとても大事。でも、必ずしもそれにとらわれなくとも良いはずだ。その日のセッションが「コンファメーション」や「スペイン」から始まったって、いいじゃないか。

空気なんか読まなくていいよ。そういう意味では。

ハーモニック・マイナーの魅力

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ハーモニック・マイナー・スケールとそのハーモニーについてじっくり考えたことがあまりなかったので、腰を据えて書いてみることにしました。

ハーモニック・マイナー・スケールの一番簡単な定義は恐らく「エオリアン(ナチュラル・マイナー、自然的短音階)の7番目の音を半音上げたもの」でしょう。この7番目の音が主音への導音(リーディング・ノート)となって終止感が強調される点、また6番目と7番目の音が増2度(=実用的には短3度と呼ばれることが多い)になる点が特徴的。

ジャズではよくマイナーコードに解決するV7上で「解決先のコードのルートから始まるハーモニック・マイナー」として使われることが最も一般的な用法でしょう。V7から見ると完全5度下の音から始まるハーモニック・マイナーなので”Harmonic Minor Perfect 5th Below”やその略称で”Hmp↓5″、”HP5″などと呼ばれます。

このHmp↓5には伝統的なバップフレーズがたくさんあるものの、そういうのは若干古臭いとか演歌臭いと感じる人もいるらしい。その場合はこのスケール内に存在する全てのインターバルを自在に操れるようにして色々な組み合わせを試すとわりと面白いサウンドを作り出せると思います(ちなみにこのスケールはテクニック強化的にも良いですね)。

Hmp↓5は見方を変えるとハーモニック・マイナー・スケールの第5モード。これにはフリジアン・ドミナントやミクソリディアンb9 b13という別名もある。モード的な使用例としてはユダヤ音楽のクレズマー等、中東の音楽でよく使われると思います。下はJohn Zornの”Gevurah”という曲で全部C Phrygian Dominant = C Hmp↓5 = F Harmonic Minor。

こういうモーダルなハーモニック・マイナーを聴くと、「枯葉」のサビのD7(b9)でよく使われるあのハーモニック・マイナーとはかなり雰囲気が違うのがわかる。ていうかこれは本来そんなに簡単に使えるものではないのだと思う。「マイナーに解決するV7ではHmp↓5を使いましょう」と言われて「はいわかりました」とすぐできるものではないような気がする。

でもハーモニック・マイナーには独特の魅力がある。クローブとか、クミンとか、カルダモンとかそういうスパイスのような。カレーで言うなら神田神保町のエチオピアの… と脱線はここまでにして、ハーモニック・マイナーのダイアトニック・コードってどうなっているんだろうと考えてみます。まずトライアドなら(Key in Cmの場合):

Cm, D dim, Eb aug, Fm, G, Ab, B dim

ふむふむ。5番目と6番目にメジャー・トライアドが連続しているのがわかります。これはハーモニック・マイナーの大きい特徴の一つですね。ではセブンス・コードにしてみると:

Harmonic Minor Diatonic 7th Chords

CmMaj7, Dm7(b5), EbMaj7(#5), Fm7, G7, AbMaj7, Bdim7

結構複雑です。というのも、同じクオリティのコードが2回現れない。というか、全てのコードクオリティが入っている「全部入り」状態。こんなスケール他にもあるんだろうか。ついでに9thまで拡張した場合を見てみます:

CmMaj7(9), Dm7(b5, b9), EbMaj7(#5, 9), Fm9, G7(b9), AbMaj7(#9), Bdim7(b9)

AbMaj7(#9)あたりの響きがヤバい。「神田神保町エチオピアのカレー辛さ30倍」といった感じ。さらにダイアトニックで11thまで拡張してみると(このあたりから手元に鍵盤がないと確認が難しくなります):

CmMaj7(9, 11), Dm7(b5, b9, 11), EbMaj7(#5, 9, 11), Fm9(#11), G7(b9, 11), AbMaj7(#9, #11), Bdim7(b9, +M3)

EbMaj7(#5, 9, 11)とかBdim7(b9, +M3)とか相当ヤバい。神田神保町エチオピアのカレー辛さ50倍 相当。いっそのこと13thまで拡張してみます:

CmMaj7(9, 11, b13), Dm7(b5, b9, 11, 13), EbMaj7(#5, 9, 11, 13), Fm9(#11, 13), G7(b9, 11, b13), AbMaj7(#9, #11, 13), Bdim7(b9, +M3, b13)

これは神田神保町エチオピアのカレー辛さ70倍(MAX)を超えたサウンドとなっています(興味本位で手を出すと健康を害するレベル)。

なぜこんなことを考えてみたかというと「マイナーに解決するドミナント・セブンスコードの上でHmp↓5として弾く」以外に、ハーモニック・マイナーには様々な可能性があるように感じているからです。モード的な用法は勿論ですが、後は普通のマイナーキーのスタンダード曲をハーモニック・マイナーの視点で解釈しなおして、フレージングすると面白いはず。

ハーモニック・マイナーの変わった使い方が魅力的なのは私にとってやっぱりカート・ローゼンウィンケルなのですが、彼による用法については後日また書いてみます。

参考資料としてハーモニック・マイナー・スケールの転回形の名称を下に書いておきます。

  • Harmonic Minor
  • Locrian #6
  • Ionian #5 (Ionian Augmented)
  • Dorian #4 (Romanian)
  • Phrygian Dominant (Phrygian Major, Phrygian Nat 3, Spanish Phrygian)
  • Lydian #2
  • Altered dominant bb7 (Superlocian bb7)

疑惑の都知事による釈明会見・その質疑応答の模様

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私達の税金から賄われている貴重なジャズギター資金を極めて私的な目的に流用した疑惑が持たれているジャズギター都知事が金曜日の定例会見の場で釈明した。その際の質疑応答の模様:

(司会)それではご質問のある方お願いします、ご質問の際は所属名とお名前をお願いします。

『週刊弦春』の番須田院と申します。毎週末、公用車で渋谷のヒカリエ温泉を訪れていた件について説明して下さい。

あの、私は耳を悪くしていまして、ヒカリエ温泉の隣にある楽器屋さんなら静かな環境で、ゆっくり音を確かめられるんです。ただご批判もありますのでこれからは電車で通いたいと思います

『モレノ屋』の中山です。ジャズギター資金でGibson Super 400を2台購入した件ですが、それぞれ98万5000円と99万円、これは会計上資産ではなく消耗品として扱うために、ヴィンテージギター店に整備費を別会計させたのでしょうか?

厳しい第三者の耳で判断してもらおうと思っています。

ヤフーオークションで214件のジャパン・ヴィンテージ・ギター、特にビザール・ギターと呼ばれるタイプのギターを多数落札し、ジャズギター資金で購入していたとされていますが、これは一体何のためでしょうか。政治活動と一体何の関係があるのでしょうか。

まず資料ということがあります、ジャズギター都のトップとして、昔のギターはどんな姿をしていたかよく知っておく必要がありますし、あとは外国の要人にプレゼントすると喜ばれますから、外交ツールという意味合いもあります。個人の趣味、コレクションでは断じてありません

『週刊ギター自身』の門田と申します。ジャズギター都知事が先日のパリ・ロンドン公演のために最高級ギターの一つとされるGibson Citationをジャズギター資金で購入された件について質問します。Citationはあまりに贅沢なのではないか、L5やES-175でも良かったのではないかという批判が多くありますが。

あのですね。私はジャズギター都のトップなんです。トップがランクの低い安いギターを使っていたら、会ってもらえないんですよ、相手にしてもらえないんですよ。これは外交なんです。CitationあるいはSuper400というのは当たり前です、グレコとかトーカイとか、そういうのだと馬鹿にされますから、まず会ってもらえないんですよ

スウェーデンのウルフ・ワケニウス国王はAria Pro IIでケベック州知事のオスカー・ピーターソンと演奏していたじゃないですか! あれは5万円のギターなんですよ! 納得の行く説明をしてくださいよ!

ですから同行の者たちには、5万円程度のEpiphone Joe Pass Emperor IIで我慢してもらいました。彼等は安いものでいいですから。あとあれは値段のわりに良いギターですから

ご自分の顔をプリントしたピックを有権者に配っていましたね。あれもジャズギター資金で購入したのでしょうか?

それも含めてですね、私が何か理論的に間違った音を出していたのかどうか、音楽学者の方々の厳しい耳で判断してもらおうと思ってます

あのですね知事、理論的に間違っているかどうかが問題になっているのではないのですよ、センスあるプレイだったか、誠実なプレイだったと言えるのか、ご自分の言葉で語って下さいよ

私は自分の言葉で喋っていますが何か? 

理論的に間違っていなければ何を弾いてもいいということなんでしょうか? 有権者の声に耳を傾けず、グルーヴもしていない、でも全部インサイドでリズムも外れていないなら問題ない、とおっしゃるのでしょうか?それはジャズギター都のトップにふさわしい居住まいと言えるのでしょうか?

それも含めてですね、私が何か理論的に間違った音を出していたのかどうか、音楽学者の方々の厳しい耳で判断してもらおうと思ってます

知事、それ同じフレーズじゃないですか!

ジャズギター診療所にて vol.3

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ぼくはとても調子が悪い。どんなに頑張ってもぼくのアドリブにはキャッチーなところがなく、印象的なリズムもなく、つまらないと言われてしまうのだ。

このままでは魅力的な演奏はかなわないので、ぼくは「ジャズギター診療所」に行った。亜波黒先生という、立派なカイゼル髭を生やしたおじいさんが一人でやっている、町に一軒だけの小さな診療所だ。

「ふむ。ソロがどうも印象的なものにならない言うのだね。キャッチーさが足りないと?」
「そうなんです」
「時々ジム・ホールは聴いているかね?」
「はい、一応聴いているのですが…」
「とりあえず一緒に何か弾いてみよう」

恥ずかしかったけれど、ぼくは抱えてきたギターで、亜波黒先生と一緒にブルースを弾いた。でも、手癖のような、何を言いたいのかよくわからない、モゴモゴしたメリハリのない演奏しかできなかった。

「なるほどわかった!」と亜波黒先生。
「素晴らしい薬を出しておく。これは出たばかりの薬でね、しかも強力だ。絶対に効く」

薬はこれだった。

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先生の処方に従い、ぼくはこのCDを何度も何度も聴いた。一日中聴いた。寝ている時も聴いた。この薬は、本当にすごかった。ぼくのフレーズはPON PON PONになり気分は最&高。亜波黒先生どうもありがとう。みんなもアドリブがうまく行かないならこの薬を試すと良いと心から思った。

7つの基本的なダイアトニック・セブンス・コードで表現できる宇宙

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セブンス・コードというものがあります。任意のスケールのダイアトニック音を起点にし、ルート・3度・5度・7度と積んでいった結果発生する、4音から成るコードです。

その「任意のスケール」は何かというと、ここではメジャースケール(アイオニアン、そしてその全ての転回形=チャーチ・モード)、そしてジャズでは必須のメロディック・マイナーとハーモニック・マイナーの3種類とします。その3種類のスケールから発生するセブンス・コードは、まとめると次の7種類になります。

  • major 7 (Ionian, Melodic Minor, Harmonic Minorに共通して存在)
  • minor 7 (Ionian, Melodic Minor, Harmonic Minorに共通して存在)
  • dominant 7 (Ionian, Melodic Minor, Harmonic Minorに共通して存在)
  • minor 7 b5 (Ionian, Melodic Minor, Harmonic Minorに共通して存在)
  • minor major 7 (Melodic Minor, Harmonic Minorにのみ存在する)
  • major 7#5 (Melodic Minor, Harmonic Minorにのみ存在する)
  • diminished 7 (Harmonic Minorにのみ存在する)

こうして見ると発見があるものだと思いました。ダイアトニック上にディミニッシュ・セブンスが存在するのはハーモニック・マイナー・スケールのみなんですね。そして下から数えて3つのコードはメジャー・スケールには存在しない。

そしてさらに面白く、かつ便利な法則でもあるのですが、これらの7つのセブンス・コードで、「テンション入り」の実に様々なコードまで表現できてしまう。

有名な例では、例えばCΔ7(9)をアルペジオで表現したい場合、Em7(minor 7)を弾けば伝わります(ルートはないけど)。Cm6を弾きたかったら(ちなみにマイナーシックスはセブンスコードとしては扱われないという意見が多いと思う) 、Am7(b5)を弾けば同じこと。F7(9)omit RootもAm7(b5)で表現できるし、 Am7(b5)はB7(b9 b13)としても使える。

こういう「置換の法則」は本当にたくさんあってとても便利です。便利というか、その法則を無視して、様々なテンション付きコードもフォームを個別に記憶して行く…というのは現実的ではないと思います。何百種種類ものコードフォームを記載した本に意味がないと思うのはこういう理由です(但しTed Greene本には良いところもあると思うのですが…)。

任意のテンション付きコードのアルペジオを瞬時に弾くためには、やっぱりこういうシステムを使っていくのがいちばん良いと思います。というか個別に全部記憶している、という人には会ったことがありません。

G7(b9)のアルペジオを弾け、と言われたら、さっと出てくるのはG#, B, D, Fのdiminished 7アルペジオ。という人が多いのではないか。他の楽器のことはよくわからないのですが、ギターという楽器の特性上、こういう考え方をしないと結構きついと思います。

なら「仕方なく」こういう代理関係を使っているかというと、そうでもなかったりします。というのも、たとえ使っている音が結果として同じであっても、別のアルペジオをあてはめて使うとニュアンスがかなり変わって不思議な雰囲気になることがあり、それがイマジネーションを刺激してくれることがあります。

これは個人言語の開発とも密接に関係していると思います。

何を表現するために、どんなアルペジオを設定するか。これにはある程度の定石的なセオリーがあり、解説している理論書もたくさんありますが、自分なりの方法を発明するのもとても面白いです。ベン・モンダー、カート・ローゼンウィンケル、ジョナサン・クライスバーグはこういうことをよくやっているように思います。

…と、書いていていま思ったのですが、この記事では「7」という数字が非常に重要なようです。7つの基本的な7thコード。私は無宗教者ですが、何かここには数的秩序でもあるのでしょうか。

1音、ぽーん、と弾いてみて、その音が自分にとって魅力的に響くかどうか

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最近きゃりーぱみゅぱみゅのベスト版KPP BESTにはまっていて、毎日ヘビーローテーションで聴いています。

ここ数年でこれくらいハマったアルバムはベン・モンダーのHydra以外に他にありません。全私の中でいまベン・モンダーと並ぶ賞賛を集めているアーティスト、それがきゃろらいんちゃろんぷろっぷきゃりーぱみゅぱみゅ。

作詞作曲の大部分は中田ヤスタカ氏の手によるものでしょう。氏の作詞作曲能力、クリエイティビティにはもう脱帽するするしかないのですが、同時に歌い手であるきゃりーぱみゅぱみゅのあの声質、アーティキュレーション、トーンとピッチの微妙なコントロール、あれがなければきゃりーワールドは成立していないことに気付かされます。

何が良いって、この人はもう抜群に声質がいい。たぶん解析すれば中毒的な倍音成分、超音波が検出されると思います。これほど強力に魔力的な声を持っている女性シンガーは、日本では他に椎名林檎くらいしか私は知りません(ちなみにむかし見たテレビ番組によると、ビートたけしや和田アキ子の声にも人を虜にする超音波があるらしい)。

きゃりーぱみゅぱみゅの素晴らしい声質・歌唱能力と、中田ヤスタカ氏によるリズミックな冒険、時に言葉を多義的にするマジカルな「言葉遊び」が結合する。するとそこには幻惑的なグルーヴが発生する。ああもうだめだ。ジャズとかどうでもいい。この音楽をずっと聴いていたい。この音楽は反則だ(いいぞもっとやれ)。

調子のいい時のファンキーなグラント・グリーン? いやいやそんなものが軽く霞むようなグルーヴ。きゃりーはただの可愛い女の子じゃない。以前、あるジャズのプレイヤーが「AKBやきゃりーぱみゅぱみゅなんか音楽じゃない」と言ったのを覚えています。でも、AKBときゃりーぱみゅぱみゅを一緒にするのは間違っていると思う。全然格が違う

ふと、ギター演奏について思ったことがあります。何の音を弾くか、どんなリズムで弾くかという問題以前に、ギターを持って、1音だけ、ポーンと鳴らしてみる。

その音は自分にとって本当に満足の行くものかどうか。納得の行くものかどうか。魅力的なものかどうか。英語で言うところの “right” な音かどうか。

– Does it sound right? (この音、どうかな?)

他人がその音を気に入るか、魅力的と思うかどうかということではない(そんなことは本当にどうでもいい。これについては他人の意見とか本当にどうでもいいと思う)。自分にとってその音は魅力的か。それを改めて検証してみる。ジャッジするのは自分。自分だけ。「この音、良いですか?」とか絶対に他人に聞いてはいけない。

これはもう譲れない出発点であるはず。音の選択が間違っていても、リズムが良ければ大丈夫。確かにそれはそうだと思う。でもその前に、「良い音」を出せる、「自分が納得する良い音」をぽーんと出せる、それはかなり重要なのではないか。

その「自分で納得しているぽーん」がなければ、どんなに良いリズムでどんなに良い音を拾っても、人の心には響かないのではないか。

中田ヤスタカ氏の作品と卓越したプロデュース能力があっても、きゃりーぱみゅぱみゅという身体がそこに実在しなければ、きゃりーぱみゅぱみゅの世界は出現しえないように。

うまい人はやっぱり音色がいい。セッションなどに参加していて、抜群にいい音を出している人に遭遇することが時々あって、そういう時、リズムが悪かろうが音が間違っていようが、もっと聴いていたい、と思うことがあります。あとそういう人は次に会った時にびっくりするくらいうまくなっている。反対に音色をあまり気にかけない人は停滞していたりする。

じゃあどうすれば「ぽーん」と良い音が出せるのだろう。良いギター? 適切なピック? 良いアンプ? あの人と同じ弦? ハイファイなシールド? 

そういうのに拘るのも大事だと思います。私自身、本当に機材は色々変えたし、これからも変えると思います。でも、自分自身の音とそれら(機材)は、あまり関係がないらしいことにもここ数年で気付きました(少しは関係あると思います。少しは)。

サックスやトランペットといったホーン奏者は「ロングトーン」と言って、良い音を出す練習をするらしい。ギタリストにもそういう練習は必要なんじゃないか。

ぽーん、と弾いてみたそれがイマイチだったら、最&高なプレイは、たぶん難しい。

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ストラップ・ロック考

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マイク・モレノは事もあろうにあの高価なマルキオーネ・ギターをヘッドから床に落下させてしまったことがあるらしい。ストラップが外れたのが原因とのこと。そんな不慮の事故を防ぐためにこんな製品があります。

Jim Dulop #7036ストラップロックストラップラバー各種です。私達のようにジャズをプレイするギタリストは、ハード・ロック及びヘヴィメタルのギタリストとは違い、トニックに解決するオルタード系のフレーズを弾く際は高くジャンプして開脚するアクションを決めなければなりません。そんな時ギターがストラップから外れて落下しないようこういうので留めておきます。

ストラップ・ロック考

Jim Dunlopのロック(写真中央列)はプラスティック製で、これは脱着が簡単というメリットがあります。ストラップをかけたピンに上から入れて内側のリングをくるっと回すだけ。ただこのロックは個体差が相当あって、内側のリングが簡単に回るユルユルなものから、かなり力を入れないと回らないものまで様々あります。一般的に固いものは不評のようですが、私はむしろ固いほうが外れにくいので好きです。

ラバー製のストラップ・ロックはHARRY’S、Fender等様々なメーカーから出ているようですが、これは脱着が面倒な反面、何かの拍子で外れてしまうことはないと思います(Jim Dunlopのプラ製のロックは外れることがあるので過信しないほうが良いです)。ただこのストラップラバー、塗装がデリケートなギターには使わないほうが良いかもしれません。ストラップの厚みによってはギターの塗装面に丸い跡が付くことがあります。

ストラップロックといえばシャーラーのロックピンも有名ですが、いくら私達ジャズ系ギタリストのステージアクションが派手だとしても、あそこまでは必要ないかなというのが私感です。

蝶のように舞い、蜂のように刺せ – Muhammad Ali

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元プロボクサーのモハメド・アリ氏が2016年6月3日に亡くなりました(満74歳)。ここ数日、テレビで彼の最も有名な言葉が繰り返されています。

– Float like a butterfly, sting like a bee.
蝶のように舞い、蜂のように刺せ

彼はギタリストではないし、音楽は格闘ではないものの、どうも即興演奏というものには格闘技に相通ずる何かがあるらしく、そのせいか私はブルース・リーの著書を読むのが好きなのですが、上のモハメド・アリの言葉も演奏のことを考えさせてくれました。

私は心の中でこう読み替えました。

コードネームや小節線という檻の外に出よ、漂え、そして目標の音に自信を持って着地するのだ

勿論、自信を持って着地できた自分にうっとりしているとその瞬間にカウンターパンチを喰らってしまうことがあるので、そこだけ気を付けたいところです。

モハメド・アリ氏のご冥福をお祈り致します。

いちばんおしゃれなジャズギターマガジン! JAZZiE 6月号

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今日、妹に「CUTiE」という雑誌を買ってこいと命令された。女の子向けのファッション雑誌らしい。

帰りがけに立ち寄った書店で「CUTiE」が目に入ったから、買って帰った。ぼくはいつものように、頭のなかはジャズとギターのことでいっぱいだったから、少しぼんやりしていたかもしれない。あと、最近練習しすぎで寝不足気味だ。

「お兄ちゃん、なにこれ!」 

本を渡したら、妹に怒鳴られた。

「これ『CUTiE』じゃないって。違う雑誌だって。返してきてよ、もうバカ!」

雑誌をよく見ると、確かに間違ったものを買ったようだ。でも表紙や見出しの様子は、なんとなく女の子向けのファッション雑誌っぽい。これでは間違えるのも無理はない。

いちばんおしゃれなジャズギターマガジン! JAZZiE 6月号

ぼくはこういう軽薄な雑誌は嫌いだから、すぐ返品しようと思ったけれど、いくつか気になる記事もあったので、返さず読んでみることにした。ハーモニック・マイナーの第6モードをメジャー7thで使うというのが気になる。使い回しとか入れ替えとか優秀べんりとか、軽薄そうな記事も、こっそり読んでおくことにする。

旋法としてのDominant 7th #9

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アメリカにDon Mockという面白いおじさんがいて(様々なギタリストの教則ビデオ・DVDをプロデュースしたり音楽学校のMIで活躍されていたらしい。確かパット・マルティーノに習っていたとも記憶)、むかし彼の著書で練習したことがあります。書名は忘れたのですが、付属CDで彼はこんなことを言っていたと思います。

「Dominant 7th #9というコードがあるだろ。ジミ・ヘンドリックスがパープル・ヘイズで弾くあれだ。あの上でずっと何か弾くとしたら、だいたいこんなダークな感じのものになるんだが(実演)、これはよくあるヴァイブで、普通の意味での旋法(モード)ではないんだが、ほとんどモードのようなものだ」

そこで彼が使っていたのは「拡張されたブルース・スケール」と言って良いような何かだったと思います。その「拡張ブルース・スケール」がどのように生まれるかというと(ここからは私の推測なので理論的な根拠はありません)、たぶんこういう順番ではないか。

まずマイナー・ペンタトニック・スケールがある。これにb5の経過音を加味するとブルーノート・ペンタトニック・スケール(=ブルース・スケール)が現れる。ここに「長6度」を足す。その長6度は、同じルートのメジャー・ペンタトニックの第5音と考えても、マイナー6・ペンタトニックの第5音と考えても、ドリアンの第6音と考えても良い。

さらにその「Dominant 7th #9」というグルーヴにおいては、そのコードをb9thとも捉えて、半音上のディミニッシュも自由に使う。あっと重要な「長3度」と「長2度」も。これはメジャー・ペンタから。クロマティック・アプローチは自由に。ペンタトニックはただの上昇下降以外にも色々なシークエンスで練習しておく。

ちなみに「Dominant 7th #9」の#9はminor 3rdでもあるので、故にマイナー系の音使いがよくマッチします。 …というような内容だったと思うのですが、最近YouTubeで見つけたこの最高のパフォーマンスを見て、その話を思い出したのでした。

ジョン・スコフィールドが上のようなことを考えているわけではないと思うのですが(この演奏では長6度・長3度等はあまり出てこない)、上のような考え方で色々試していくとこのジョンスコっぽい「雰囲気」に辿り着くことはできると思います(雰囲気が理解できたら後はリアルなフレージングをどんどん自分の中に取り込んでいくのが良いのでしょう)。

こういう分析的な考え方が嫌いだという方もいると思うのですが、例えばギターの指板上のあらゆる場所でBb Blues Scale, Bb Minor 6 Pentatonic, Bb Major Pentatonicの位置が飛行場の夜の滑走路みたいにパッと見えるようになると、ジョンスコが何かをやっているかちょっとわかる、みたいな利点はあると思います。

この「拡張ブルース・スケール」(と私が勝手に呼んでいるもの)はジャズの人が普通にジャズ・ブルースを演奏する時に普通に使うモーダルな感じの音列だと思うのですが、確かに特定の名前を聞いたことがありません。もしかすると「ブルージーなやつ」というのが正式名称なのかもしれません。

貴様、名を名乗れ! 「ミクソリディアンです!」
貴様、名を名乗れ! 「リディアン・ドミナントです!」
貴様、名を名乗れ! 「…えっと、あの、『ブルージーなあいつ』です(汗)」

貴様、何奴! という感じでこれは超怪しい。この「ブルージーなやつ」は自分の言語としなくても大抵のジャズ・スタンダードは弾けてしまうと思うのですが、私はちゃんと弾けるようになりたいな。やっぱりこういうのはカッコ良い。

ジャズりんご

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先日、立ち寄ったスーパーで不思議なりんごを見かけました。その名も「ジャズりんご」。ニュージーランド産の小ぶりなりんごです。何故ジャズなのか。何がどうジャズなのか。その名に偽りはないのか。

ジャズりんごの謎

ジャズりんごの謎

確かめないわけには行かないので購入し、食しました。

ジャズりんごの謎

ポップで説明されている通り、甘みと酸味は程よくあるといった感じで、甘すぎず酸っぱすぎずのバランス。さっぱりしている。歯ごたえはサクサクとしっとりの中間くらい。Wikipediaの説明には固くてクリスピーとあるが、hardという感じではなかった。色々調べてみたもののこのりんごが何故Jazzと名付けられたのかは不明。

ところで味覚のアナロジーを使って和音・和声を考えてみるのは面白いのではないかと思ったのでした。Wikipediaによると味覚には「甘味、酸味、塩味、苦味、うま味」の5つがあるらしく、あとは辛さ(痛覚)と食感も大事でしょう。ちなみに「食感」(及び、口に入る素材の形状。大きさやカットの様態)によって味わいは相当変わると聞いたことがあり、また実感もします(「食感」って「リズム」に近いんじゃないのかな、と思ったり)。

同じりんご(同じ素材)であっても、そのままかじって食べるのか、カットして食べるのか、またどんなふうにカットして食べるのかで味わいが全く変わってくるんですよね。これはお刺身とかでも同じだと思います。どんなに新鮮なマグロでも、短冊の状態でカブッとかじってもおいしくないはず(※やったことないので推測)。包丁さばきは相当大事なはず。

前にも書いたことがあると思うのですが、パット・メセニーはこんなことを言っていました。

もしラインが強力なリズムを持っているなら、何の音を弾くかはほとんどどうでも良い。
If a line is rhythmically strong, it almost doesn’t matter what notes you play.

これを食べ物の文脈に置き換えるなら、極端な話、素材の良し悪し・鮮度がどうであろうが、カット次第で良い味に変えられる、ということだと思います。さすがに腐っていたらダメだろうけど、カットというか、サーブの仕方(提供の仕方)には、素材の力を超え得る何かがあるのではないかと感じます。

各種インターバルを味に置き換えると何味だろう。書きながらぼんやり考えてみると、私の場合は8度(オクターブ)と完全5度と長3度と短6度が甘み。酸味は完全4度と長7度と短2度。苦味は増4度。塩味は長2度と短3度。b9は苦味、#9は酸味。#11はうま味(「うま味」という概念を自分が本当にわかっているかどうかは怪しいけれども)。b13は苦味。…

ていうかそんな簡単なものではないのかもしれません。いくつかの音程は複数の味を持っているような気もします。あと複数のインターバルを組み合わせれば印象はもう無限に変化しまくりんぐです。

私はいわゆる共感覚を持っているわけではないので、こういった印象は日や体調によっても変わるんだろうなあ、と思いました。とはいえ極端に大きいブレはないようなので、自分が好きなこと、やりたいことが無意識内でより良く整理されることを期待して、こういうラベリング的な行為を日頃からやっていると、後々何か良いことがあるかもしれない、と考えています。

Mike Morenoがこだわっているのはどうもただ一つのシンプルな何からしい

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My Music MasterclassからMike Morenoによる教則動画が3本同時にリリースされました。彼の思想・音楽観が伝わってくる素晴らしい内容となっています。

Mike Moreno

以下の3本ですが、1では音色・テクニック・アーティキュレーションを、2ではコード進行の表現を、3ではリズミックなコンピングを扱っています。

ひと通り見たのですが、マイク・モレノの関心事はたぶんただ一つなんじゃないか、と思ったのでした。それは恐らく「グルーヴ」や「フィール」と呼ばれているものです。…というと当たり前に聞こえますが、そのグルーヴを生み出すにはまず「音色」を磨くことが不可欠。明晰な音を出すことは、モレノにとっては全てに先行するのだろう、と感じました。

つまり「どんなフレーズも、いい音でいい感じに」弾くのがまず大事。で、モレノが理想とするサックスのようなホーン・プレイヤーによる「いい感じのアーティキュレーション」を実現するために、独自のピッキングパターン(スウィープ・ピッキングの1種)が生まれてくる。さらには「どのポジションで弾くか」さえも決定されてくる。

「いい音で弾けたらいいよね。そのほうがベターだよね」という考え方では全くなく、「まず自分が出したい良い音やフィールがわかってないと話にならないだろう」というレベルです。モレノにとって音色とフィールは絶対的な出発点らしい(そして良い音を出すことと機材は全く関係がない)。その出発点があらゆる練習方法を決定していく。

弾きやすいからそのポジションで弾くんじゃない。ネックのスウィート・スポット、いい音がする場所で弾くんだよ。ということで、実際彼はDonna Leeのテーマを9〜12F付近と、4〜7Fフレット付近で弾き分けてみます。びっくりするくらい勢いが違います。確かにテンションの強いヘッド側のローポジションで弾いたほうが音にハリと輝きがあります。

「どんなテクニック練習をするか」を考える前に、「自分はどんな音で弾きたいか」をより強く感じる取るのが大事らしい。マイクの場合は、サックスのようなアーティキュレーションで弾きたいからオルタネイトによるフル・ピッキングはしない。故に独特なスウィープ・ピッキングを練習することになった。そしていい音のするポジションで弾く練習をする… というふうに、練習内容は自動的に決定されていったような印象を受けました。

そしてトランスクライブしたものは相当みっちり練習して、磨きをかけるとのこと。いつもその場の思いつきで、不確かな何かをプレイするのではなく、明晰な、自分が理想とする音で、前に出る音(pop out)で弾くために、日頃からみっちり練習を重ねる。そして「音楽は音楽によって学ぶ」。つまり教則本のようなエチュードは、彼の場合はやらないとのこと。

「自分はどんなふうに弾きたいか」。それを徹底的に考えることが大事なんだということが度々強調されていました。そしてよく聴く練習をする。「聴くこと」に関しては、彼はこんなことを言っていました。

よく生徒がこんなことを言うんだ。「頭の中で聞こえているものをうまく外に出せないんです、こういうアイデアは全部聞こえているんですが、外に出てきません」ってね。僕はそういうことを言う人は決して信じないね、だって本当にそれが聞こえていたら、それはね、外に出てくるよ。ちゃんと聞こえていたら、身体はそれをやるようになるよ。僕は本当に心からそう信じているよ。

– a lot of times I hear these students (saying) like “I’m having trouble getting out what I’m hearing in my head, you know, I’m hearing all those ideas they are not coming out, and I never believe anyone that says that , because if you actually were hearing these … it would come out, you know…. I really truely believe that if you hear something your body will do it.

あとはスタンダードのテーマを弾くのが下手な人はソロも下手だ、テーマが上手い人はソロも上手い、等々、なかなか厳しい口調による「マイク・モレノ語録」もてんこ盛り。それが大体パート1の内容で、パート2ではコーダル(アルペジオ)な表現とモーダル(スケール的)な表現の話から、「ハーモニック・リズム」から逃れるための話。

この「ハーモニック・リズム」から逃れるというのは、モチーフの有機的展開・ハーモニーを意識しつつも小節線を越えていくという、ジム・ホールやジョン・アバークロンビーがよく語っている内容です。これも結局は、教科書やエチュードに書かれているような古典的なTwo-Fiveフレーズをコード進行にあてはめて弾く練習をしても、結局はグルーヴしないんだ、というモレノの基本的な出発点を感じさせます。

じゃあどういう練習をすればいいのか、に興味がある方はこれらの動画を見てみたほうが良いでしょう。マイク・モレノの教則動画、全部英語で基本的な和声理論はわかっている人向きだと思いますが、画面にフィンガリングの説明タブ譜が映ったりと親切な内容です。私はPDF付きの3本セットを買いました。

コンピングについてはボイシングにこだわるよりもリズムとフィールが大事という話。ボイシングはメロディが教えてくれる。だから聴くことが大事なんだよ、とやはりここでもマイク・モレノは一貫しています。良いトーン、良いアーティキュレーション、良いフィール、良いリズム。そのためにはとにかく聴くこと。

動画中で題材になっている曲はDonna Lee, 循環, Stablemates, Tune Up等。

マイク・モレノはとにかく一貫性のある人だなと思いました。そしてベン・モンダー同様、練習内容はかなり当たり前、真っ当なもので驚きました。あのキレキレのタイム感、超絶技巧、美しいボイシング。全てたった一つの欲求から発生しているようでした。そしてそのたった一つの欲求が、ああいう重層的な美しさに至っているのは本当に素晴らしいな、と思ったのでした。

ところでマイク・モレノ本人が語っているように、これは普通の意味での教則動画ではないかもしれません。マイクは「このメソッドで練習しろ」と言っているのではなく、「僕はこうやってきた」という体験を説明しているだけで、教則というより「良いお話を聞けている」感がとても強く、それがまたいい感じです。

教則本も、ビデオも、音楽学校もたくさんある。でも「自分は何が好きか。自分はどんなふうに弾きたいか」は他人は決して教えてくれない。それを教えてくれるのは自分しかいない。まずはそこに立ち返るんだ、という彼のメッセージを強く感じました。とにかく超絶技巧が欲しい… 複雑なコードを知りたい… どんなふうに弾いたら良いのか教えてほしい… そんなふうに思う時、人は道に迷っているのかもしれないな、と思いました。

作曲という行為を通じて自分自身を理解する

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即興演奏において「悩む」という行為は大体いつもマイナスなものではないでしょうか。えっと、次、何弾こうか… あれか、それともあれか。この音でいいのかな、どうしようかな… などと「考えて」いると、その「確信のなさ・自信のなさ」は、確実に音になって現れてしまいます(ていうか私の場合はそうです)。

そして多くの人は、「確信なしに発音された音」を聴きたいとは思っていない。

もう絶対悩んだらいけない。考えたらいけない。ブルース・リー先生が言うように、「考える」のではなく「感じ」なければならない。弾くべき音を指先で感じ取り、躊躇せずに弾く。

結果的に、それが最善の選択ではなかった、あるいはうまく行かなかった、としてもいい。逡巡のない決断をぶつけていく。あるいは残していく。

そういう演奏が、いい。そして聴いてくれている人も、その「理由なき確信」に満ちた(ある意味無謀な)音はガッチリ受け止めてくれる。演奏後にたくさん拍手をいただいたりすると、「きっといまの演奏には迷いがなかったんだ」と思うことがあります(但し私の場合拍手されることは稀です…)。

ところで「作曲する」という行為はどうでしょうか。これは「即興演奏」とは少し違うところがあると思います。これについてジョン・アバークロンビーは、My Music Masterclassの教則動画(この記事でも詳しく紹介しています)で次のように語っています。

自分自身の曲を作曲する時は、自分の耳に聞こえているものと、いつもとは違ったふうに対峙できるんだ…(中略) ギターやピアノを使って、いや楽器は何でもいいけど、作曲をはじめるとするだろう、するとそれは即興演奏と同じなんだ、違っているのは、僕の友だちのリッチー・バイラークの言葉だけど、「作曲と即興演奏って同じだよ、ただ作曲する時はテンポを極端に遅くするんだ、時間が完全に止まるまでね」ということ。これっていいだろ、だってリアルタイムで演る必要はないわけだからね。つまり瞬間ごとに何かやる必要はなくて、作曲だから止めたり、また始めたりできるんだ。ギグやジャム・セッション、レコーディングだとそんなことできないだろう、そういう時は演奏し続けないといけないからね。でも家でゆっくり座って作曲している時は、時間をたっぷりかけられるじゃないか、「このコードに対するこの音の響きが好きだな!」とか「このフレーズ好きだな!」とか。それって何をやっている? それは即興演奏だよ。即興演奏に必要な様々な考えを、作曲的な型式に収めようとする行為だよ。だからたくさん曲を書くようになると、自分の演奏も影響されて変わってくるよ。自分の耳に聞こえているものを、もっとよく聞き取れるようになるんだから。

When you start to compose your own tunes, then you get in touch with another way you hear, (…) you sit down with your guitar, piano or whatever your instrument is… and you start to compose, and when you do that, it’s really the same as improvising, except it’s… like another friend of mine, Richie Beirach said once, “Yeah, composing and improvising are the same thing, just when you are composing you slow down to a dead stop”, you know it’s cool, because you don’t have to do it real time, I mean you are not trying to do it like in the moment, you’re composing, so you can stop, and start, you can’t do that in a gig or a jam session or at a record day, you have to be playing, and when you are sitting at home and composing, you take your time, say, “I like the way this note sounds against this chord”, “I like this phrase”, well, what are you doing? You are really improvising too, and you are trying to organize thoughts that you have for improvising and put them into a compositional form, and then the more you do that the more you start writing tunes, that starts to, of course, influence how you’re gonna play, ’cause you start to get in touch more with what you hear.
– John Abercrombie (My Music Masteclass John Abercrombie (Jazz Guitar) 1 @10:28

これはすごく良い事が語られていますよね。アバクロ先生は他の場所でも、よく「テンポ・ルバートで練習すること」を推奨していたような気がします。勿論、「本番演奏」を想定して、止まらずに何かを最初から最後まで弾き切るという「パフォーマンスの練習」も別途必要だとは思うのですが、それとは別のフェーズの「練習」として、「自分の頭の中で鳴っている音をよく聴きとる・自分が何を弾きたいのかを本当に理解する練習」も確実に必要だと思います。

これは「自分自身を理解する」練習とも言えると思うのですが、「作曲する」という行為はそういうツールとしても捉えられるのだと思います。で、作曲中はもうさんざん「悩む」ことが許される(笑)。「ちょっと待って、今のなし。えっと… どうしよっかな…」というのはライブやセッションではありえないけれど、作曲中はいくらでもそれをやってもいい。

なら作曲という行為が何か「ユルイ」のかというと、それは違うわけで、「選択する・決断する」ことにおける妥協のなさは、即興演奏時のそれを上回るものがあるのではないかと思います。もう絶対に自信のあるものしか残せない。そしてそういう行為を重ねていると、即興中のプレイにもやはり良い影響が出てくるはず。

私自身は楽曲をきちんと完成させるという機会があまりないのですが、ある程度のサイズのメロディ(の断片)や、フレーズを作ったりはよくやります。それは「ちゃんとした作曲」ではないのかもしれないのですが、紙に書くそれらの音符は、自分自身が認めたものでしかありえないし、「これ違う」という音は最終的には残りません。書いてみたけれどゴミ箱行きというものも多数。

そんな時は「俺の中に音楽なんか存在しなかったんだ! 俺の耳には本当は何にも聞こえちゃいないんだ!」と深く絶望し、それを口実に「よし、なら今日は飲もう!」と決断します。まぁ、でも、今日うまく行かなくても別にいいや。いつかちょっとでもいいものが生まれればいいや。と思うことにしています。

作曲という行為を通じて、「曲」(Tunes)もアウトプットされると思いますが、同時に即興演奏能力も磨かれるのは間違いないと思います。作曲はあんまり興味ない、というプレイヤーも多いと思いますが、挑戦すると得ることが多い行為ではないかと思ったのでした。ジャズでなくとも、長い曲でなくとも、調性がよくわからなくても。どんなステージにある人でも、「作曲する」というのは結構良い行為なのではないでしょうか。自分が何が好きなのかがわかる。自分が好きでないものは誰も楽譜に書いたりはしないのだから。


ギターリスティック・ピアニスティック

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何かコードを弾くとします。

大体3音以上の音を、同時に弾くとします。その時ギターの場合、主に

  • ピックを6弦側から1弦側に向かって振り下ろす(あるいは逆に1弦側から6弦側に振り上げる)
  • 親指と人差指でホールドしたピックで最低音を弾き、残りの指で同時に残りの音を弾く
  • 指だけで全ての音を同時に弾く

この3つのパターンがあると思います。ジョン・スコフィールドとマイク・モレノは、最初の選択肢、つまりピックで「ジャラ〜ン」または「ポロロ〜ン」と弾くのが好きではないらしい。その理由は、そのように弾く限り、どんなに速くピックを振り下ろしたとしても、全ての音が「完全に同時に」発音されることはないから。それが好きでないのだという。

彼等は指で全ての弦を同時に弾くのが好きだと語っています。理由はそのほうが「ピアニスティック」(ピアノ的)な表現だから。「ジャラ〜ン」じゃなくて「バーン」と揃った音で同時発音するあの感じが好きなようです。

これはちょっと面白いテーマだと思いました。自分はどちらが好きなんだろう。どんなふうに使い分けているだろう。

私達が弾いているのは「ギター」なので、ギター特有の奏法上の特徴や制限を直視し、それを受け入れるなり、拒絶すればいいのですが、スコフィールドとモレノはある意味「ギター的な奏法」を拒絶しているわけです。ジョンスコは確かにコードはいつも同時に指で弾きますよね。

ところでジョン・スコフィールドが尊敬していたジム・ホールはコードを主にピックで弾き下ろしていた人です。「ジャラ〜ン」と弾くことがわりと多かった。ダブル・ストップ(2音を同時に弾く)は別として、3音以上のコードの時、ジム・ホールは大体ピックで「ジャーン」と弾いていた人だったと思います(ストロークは速かったと思うけど)。

つまりジム・ホールはギターにおける「ギターリスティック」な表現を、良しとして受け入れていた人だったと言えると思います。これもちょっと面白い話です。

「弦が発音するタイミングがちょっとずれていく」ことの「居心地の悪さ」は私もわかります。指で複数弦を同時に撥弦すると独特の気持ち良さがある。かといって私は「ジャラ〜ン・ジャーン」が嫌いでもないです。良し悪しの問題ではないですが、どんな時にどちらを使うのかはあらためて考えてみても良いように思いました。

パット・メセニーはコードをギターリスティックにもピアニスティックにも弾くように思います。彼は両方の表現を使い分けているような気がします。

ウェス・モンゴメリーはコードをピアニスティックに(=同時に発音するような感じで)弾いたことがあっただろうか。親指でジャラ、ジャラ、ジャラ〜ン、というのが好きだったんじゃないかな。

ただ、たぶん間違いないと思うのですが、ジョン・スコフィールドとマイク・モレノのようなアプローチ、つまり「ギター上で、コードをピアニスティックに弾く」ほうが、少数派でしょう。彼等は理由があってそうやっている。

マイク・モレノが何故そういう奏法に至ったかはわかりませがんが、ジョン・スコフィールドは結構ビル・エヴァンスをコピーしたことがあったようなので、それも関係しているのでしょうか。

これはどちらが正しいという問題では勿論全くなく、自分がどう弾きたいかという問題と直結してきます。この件に限らず、奏法については時々じっくり考えを巡らせてみたいと思います。

リットー・ミュージックの対応が結構ちゃんとしていた件

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以前この記事で紹介した小沼ようすけさんの「ソロ・ギター・メソッド ホップ・ステップ・ジャズ!」。その後誤植の問題でちょっとした騒ぎになったのですが、だいぶ前に修正版を受け取りました。

丁寧な文面のお詫びが入っていました。修正版は背表紙の「リットー・ミュージック」という文字が水色になっています。ただし奥付けには「第2版」とか「修正版」の文字はなく、「3月28日初版発行」のままとなっています。ざっと見たところ主な誤植は訂正されているようでした(しかしどんな本もそうであるように、誤植はまだ残っているのでしょう)。

リットー・ミュージックの対応が結構ちゃんとしていた件

封筒の裏には何故か手書きで会社名や住所が(きれいな字!)。たまたまスタンプ的なものがなかったのかもしれませんが、この手作業感に何かグッと来てしまいました。担当された方、大変だったのではないでしょうか。

リットー・ミュージックの対応が結構ちゃんとしていた件

この問題は出版社側がもっと適当な対応で済ますことも可能だったわけで、苦情に対してきちんとした対応を見せたリットー・ミュージックに好感を持ちました。こんなきちんとした対応ができる出版社がなぜあれほどの誤植本を出してしまったのか謎です。

製造業の世界では不良品が出てしまってからそれに対応するコストよりも、不良品を出さないための予防策に投じるコストのほうがはるかに安いという常識があります。今回どれだけの冊数を回収することになったのかは知りませんが、少々人件費を多めに使って丁寧な校正作業をやっていれば、そちらのほうが安く上がったことでしょう。

いずれにしてもリットー・ミュージックが頑張ってきっちり責任を取る努力をした点は評価されて良いと思ったのでした。リットー・ミュージックのこの立派な誠意、これを称えるために、冷蔵庫からビールを取り出し祝杯を上げることとする。リットー・ミュージック万歳(飲む理由が欲しかっただけなのか…いや違います)。

音楽と政治

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ここ最近、「音楽と政治」に関する話題を目にすることが多くなりました。

何が起こっているのだろうと調べてみると、「フジロックフェスティバル」に、学生を中心とした政治団体や若手ジャーナリストが参加することに端を発しているようです。「ロックに政治を持ち込むな」という勢力と、「いや、ロックはもともと反体制なものだったのだ」という勢力がお互いを貶し合っている、という図式があるらしい。

私が小さい頃に遭遇して夢中になった音楽というものは(最初はクラシック音楽)、言葉や意味とは無縁な、ただの音響でした。勿論、そこには「調性」や「十二平均律」という意味性(そして権力)が存在していたとしても、それでも音楽は私にとって自分の日常の不満をぶつけるツールでも、思想の鏡でもありませんでした。

中学生になるとロックもよく聴くようになりました。その中でも特に好きだったのが、イギリスのレッド・ツェッペリンやディープ・パープル、アメリカのKISS等です。ローリング・ストーンズは、子供ながらに「音楽に政治を持ち込んでいる」という理由で、当時は嫌いでした(その後、好きになったアルバムも何枚かありました)。私は「音楽に政治を持ち込まれる」のが嫌だった人々に分類されると思います。

で、いまフジロックに政治を持ち込むな云々という話題を見てると、何か話の焦点がぼやけているように見えます。本質的なことが議論されていないように思えたのでした。

音楽に政治を持ち込むこと自体がダメだったり、問題だったりするのではないのではないか。

そうではなく、音楽に政治を持ち込んでもカッコイイ人と、音楽に政治を持ち込んだ結果かなりカッコ悪くなった人、2種類いるということではないかと思います。

おじさんになった今でも私は基本的に「音楽に政治を持ち込む」のは好きではありません。でも「戦争の親玉」というボブ・ディランの歌は最高の曲だと思うし、高橋悠治さん、イヤニス・クセナキス、ルイージ・ノーノといった尊敬する音楽家の活動が政治とは無関係ではいられなかったことは理解できます。武満徹もかなり政治的な人だったと思います。

音楽に限らず、芸術全般を眺めてみても例えば映画監督のジャン=リュック・ゴダールはうんざりするほど政治的な人だったけれども、彼の作品群が退屈かというと全然そんなことはない。最高にカッコ良くて、リアルで訴えてくる。何十年経った今でも。

また、本当はかなり政治的な存在だと思われるのに、作品内では明示的に政治をテーマとして取り上げない人がいる。映画監督では日本の北野武がそうだと思うし、ジャズ・ミュージシャンではジョン・ゾーンもそうだと思う。つか、パット・メセニーってそうとう政治的じゃね? と思うこともあります(あの人は政治のかたまりのような人じゃないのかな)。

ジャズ・ミュージシャンで言えば、本人達は否定するかもしれないけれど、他にセロニアス・モンクやビル・フリゼール、ベン・モンダー等は違う場所と違う時代に生まれていたら火炎瓶投げていた人ではないかとも思います。

音楽でも、映画でも、舞台芸術でも、小説でもいいけれど、あらゆる表現形態は本質に政治的なものだと思います。何かを表現する時、そこには常に意志があり、決断があり、選択があり、犠牲がある。救ったものと救えなかったものがある。できたこととできなかったことがある。理想と現実がある。

私のような、世界中に何百万人もいるに違いないアマチュアの音楽愛好家・ギター弾きでさえ、自宅で真剣に練習している時、人前で演奏している時はそういう意味でいつも「政治的状況」に直面しているはずです。

そういう意味で、音楽する、という行為は、もともとが政治的。ジャズでなくとも、バンドを組んでみんなでいい音楽を作ってみるといった場合にも、そこには様々な「政治的状況」が発生するはず。決断があり、利害関係の調整があり、否応なく権力が発生し、その時々で意思決定がなされなければならない。

そういう意味で、「音楽すること」はもともと高度に政治的な行為ではないか。

既に高度に政治的な行為である音楽(そして様々な芸術活動)。そこにあえて自民党が、民進党が、と言っても、何かをごまかしているように聞こえるのではないか。

カッコ良ければ誰も文句は言わないはず。「フジロックフェスティバル」に政治色の強い団体や個人が参加することにより物議を醸しているのは何故か。それは単に彼等が「カッコ良い」とは思われてないから。それに尽きるのでしょう。彼等がカッコ良かったら誰も文句は言っていない。

レディオ・ヘッドは相当政治的なバンドだと思うけれど、労働党がどうだとか、英国はEUから独立すべきであるとか、そういうことは歌わない。かわりにトム・ヨークは、こういうことを歌う。

誰かがそれを清掃してくれる。その仕事をやるために生まれ、育った。誰かが必ず(そのゴミを)拾う。立ち直れ、克服しろ

トム・ヨークがどう考えているかはわからないけれど、例えばこの曲は政治的だと私は感じます。そして最高にカッコいい。「ロックで政治に参加する」ということがあり得るとしたら、こういうことだろう、と私は思います。

「カッコ悪い政治的音楽」と「カッコ良い政治的音楽」の違いは何処にあるのだろう。この記事を書くことで、何かわかるかなと思ったのですが、結局よくわかりませんでした。あからさまに政治を歌うことはなかったロバート・プラントと、UKはEUを離脱すべきだと言い始めたミック・ジャガー。どっちもカッコ悪いとは思いません。どちらかが間違っているとも思えません。多分ロックというものの器はもっと大きくて、どちらも許容するんじゃないでしょうか。

ところで、音楽は様々な感情を表現できるとは思うのですが、「憎しみ」は表現できるのでしょうか。「悲しみ」の表現にはたくさん触れてきました。ブルースだってそう。でも「憎しみ」を表現した音楽をあまり知りません。というか、あったとしても、多分聴かないな。

たのしいバッハ (1)

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Johann Sebastian Bach (ヨハン・ゼバスティアン・バッハ。1685 – 1750) の作品に学んでいるジャズ・ギタリストは少なくないようです。

ベン・モンダーは朝、彼自身がギター用にアレンジしたバッハのコラールを弾くのがルーティンだそうです。先日見たアダム・ロジャースの教則動画(Adam Rogers (Technical Studies) 1)では、主にテクニック強化の面でこういうのを弾いているんだよ、とやはりバッハを弾いていました。

YouTubeにはギラッド・ヘクセルマンによるこういう演奏もあります(※これは難しいことをやっているように見えます。すぐに真似できなくても落ち込む必要はないので注意!)。バッハ、みんな好きですね。

大バッハの音楽は基本的に「線的な旋律(リニアなメロディ)でハーモニー(和声進行)を表現している」と言えるので、その意味ではチャーリー・パーカーがやったことと同じ方向性です。バッハの場合はそれを複数の声部で表現する(対位法的)曲が多いのでより複雑な結果にはなることは多いのですが、バップと基本的な発想は同じ。

というか、バッハの時代、音楽はまだどちらかというと即興音楽、ライブミュージックが中心で、「楽譜にして残す」という作業のほうがむしろ例外的だったのだ、と何かで読んだことがあります(※うろ覚えなので間違っていたらすみません)。その意味でも大バッハはジャズ・インプロバイザー的な存在だったのではないかと思います。

あのJ.S.Bachという人は、楽譜で残っているような演奏をいつでも即興でプレイできたらしいのです。最近パット・メセニーは、自分の目標はバッハだ、みたいなことを口にしたらしいですが、まあ、たぶんあんたらは同じ領域にいるよ、という感じです。

私自身はエチュード的にバッハを弾くようになったのはここ数年のことです(ジャズをはじめた大学生の頃、バッハとジャズはまだ頭の中で結びついていなかったのでした)。実際に弾いてみると、「7度ってこんなに美しいのか!」とか「ダイアトニック6度ってきれいだなあ!」とか「対位法的なことをやらない理由ってないよな…」等々、学ぶことが多いです。

では実際にどんなバッハの曲に学べば良いのか? バッハのどんな曲がジャズ・インプロヴィゼーション技術向上のために良いのか? と思われる方は多いと思います。

でも、そういう考え方はちょっと違うと思います。実際に自分でバッハの色々な曲を聴いてみて、「これ弾いてみたい!」と思ったものがあれば、耳でコピーするなり、楽譜を買ったりするのが良いと思います。アダム・ロジャーズと同じ曲を弾いてみても多分全く意味がないと思います。自分が弾きたいと思った曲をやってみる。それでいい。それがいい。

私自身はバッハのピアノ曲、バイオリンやチェロの曲の一部分を時々練習します。曲全体を、ということはあまりなくて、ピアノ曲の場合はそもそも両手をギターで再現することはできないので、気に入った部分の右手だけ、左手だけを練習したりしています。

例えば鍵盤楽器のために書かれた「イタリア協奏曲(Das Italienishes-Konzert, BWV 927)」の第三楽章のPresto。

最初の24小節の右手の部分だけギターで弾くと下の楽譜のような感じになります。運指に難しいところがあり、「ちょw これどう弾くんだよww」という感じで悩むのがまた楽しかったりします。2声の対位法的な旋律も、ギターでは十分に表現可能なのでこれを普段の演奏に取り入れない理由はないなあ、と思ったり。トライアドってこんな単純なのになんて美しんだろう、と感動したりします。

Das Italienishes-Konzert, BWV 927


 
テクニックの強化は勿論、これ何のコードだろう? 何を考えて、何処に向かっているんだろう? と推測してみるのも楽しいし、モチーフの展開という面ではもう神以外の何者でもないし、実際にジャズ・スタンダードの即興演奏でフレーズやアイデアを使ってみることもできます。上の曲だったら、たとえばすかさずFの曲で試してみると良いと思います。クロマチック・アプローチを加味するとわりとすんなりサウンドするフレーズも多いと思います。

なおコピーの際は「全部の声部をギター1本で完璧に再現してやるんだ!」という完璧主義は捨てたほうが良いと思います。気に入った部分のエッセンスを自分の中に取り入れる、という感じで、何より楽しんで弾くのが良いのではないかと思います。もうとにかくメロディーとインターバルの宝庫です。最高です。

時々、何故か「ジャズ」という言葉でカテゴライズされる音楽を聴きたくない時があります。「ジャズ・ギター」と呼ばれる音楽はなおさら「お腹いっぱい。もういい。」という時があります。勿論、それでもジャズは好きなんだけれど、そういう「疲れている時」でも、バッハの音楽だけは「聴きたくない」と思うことがありません。

バッハだけは、これまでの人生で一度も飽きたことがありません。そしてこれからもないと思います。もしジャズと呼ばれる音楽をやらなくなっても(それは多分ないと思うのだけれど)、その時でもバッハの曲を適当にアレンジして弾いて楽しんでいると思います。ES-175とかES-335で。

バッハ, J. S.: イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV 971/ヘンレ社/原典版 バッハ, J. S.: イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV 971/ヘンレ社/原典版

味の好み、響きの好み

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苦いもの、辛いもの、酸っぱいもの。いま私が好んで食べたがる食材は、子供の頃の自分は決して好んでいなかったものだと思います。

思いつくままに列挙するなら…

  • 香菜(シャンツァイ、パクチー、コリアンダー)
  • わさび
  • 唐辛子
  • ブラックコーヒー
  • みょうが
  • 生姜
  • わらび
  • ピーマン
  • ネギ
  • クミン
  • ゴーヤ
  • セロリ
  • パセリ
  • 大葉
  • 大根おろし
  • レモン
  • 梅干し

こうしたものは、子供の頃、嫌いだったと思います。「タラの芽」や「大葉」の天ぷらを食べている大人を見て、あんたら何考えてんだ、と子供ながらに感じていたと思います。「不味いもの」を進んで食する大人たちは、見ていて不気味でした。麦茶と間違ってビールを飲んでしまった時など、大人は狂っているとさえ思いました。

その私も大人になり、下の写真に写っているような草がとっても好きになりました(上に列挙したものは全て現在の私の好物です)。

味の好み、響きの好み

翻って、子供はどんな味のものを好むでしょうか。それはまず、甘いものでしょう。そして脂質や炭水化物が豊富なもの。

これをインターバル(音程)に置き換えると、子供が好む味のものは、8度(オクターブ)や完全5度に近いものではないかと思ったのでした。赤いコカ・コーラやホットケーキ、脂質たっぷりの濃厚なソフトクリーム。それらは私にあの安定度の高い、力強いオクターブや5度を想起させます。

苦味や酸味、痛覚(辛さ)は、やはりテンションノートを想起させます。ゴーヤはb9的なテンションだし、レモンは#11th。b7th/Major 3rd/natural 13/#9(増4度が2つ発生するあれ)を同時に鳴らすと何か「激辛」な世界。

テンションノートを多用するジャズ、そして不協和音程を積極的に使用する現代音楽は、味覚のアナロジーでいえば「過剰な苦味や酸味、辛さを伴うもの」と言えそうな気もします。

本格的にジャズに取り組みはじめた頃、私はオクターブと5度をあまり練習しなかった記憶があります。それらを避けていました。オクターブや完全5度は、自分にとって全くジャズっぽくないサウンドに思えたのでした。こってりしすぎていて、大袈裟で、押し付けがましく、ロマンティックすぎて、暑苦しく感じられる音程でした。

それが何周か回って、最近は「オクターブとか完全5度ってかっこいいな」と思うようになりました。ハード・ロックやヘヴィ・メタルのギタリストが多用する「パワーコード」というインターバル・スタックがあり、それは完全5度とオクターブの組み合わせなのですが、むかしはカッコ悪く思えたそれが「いい感じに」聞こえることがあります。

私達は誰もが、楽器を問わず、任意のスケール内のダイアトニック・ノートの様々な組み合わせを練習していると思います。2度、3度、4度、5度、6度、7度、8度(オクターブ)、9度、10度、11度等々。よく考えると、5度と8度は真面目にやってなかったなぁ、と思い、最近まじめにやっていました。

甘い食べ物は、普段好んで食べることは全くないのですが、つきあいで喫茶店でケーキなどを食べる時、「なんだこの違法な食べ物は」と驚くことがあります。先日、甘栗のモンブランというのを食べました。その時、その濃厚かつスローな甘みに「…こ、これは俺の心のサウンド・パレットに存在しない!」とあらためて衝撃を覚えたのでした。

もう何年も「パワーコード」を弾いていないジャズ系ギタリストは少なくないと思います。でも、あれはあれで良いものだと思います。あれを取り入れて何か演奏してみるのは面白いんじゃないでしょうか(カート・ローゼンウィンケルにはそういう感じの曲がいくつかありますね!)。

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