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妄想マイルス語録:あの人ならこう言うに違いない

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私のような凡人が日々抱く様々な、矮小な疑問。もしあの偉大なマイルス・デイヴィスがすぐそばにいて、ビール片手にそうした疑問をふと投げかけてみたら、どんな答えが返ってくるだろう。ビールを飲みながら妄想してみます。

ーマイルス、ここでこの音はあまり合わないかな?

俺はお前じゃない。お前のことはお前が決めろ。

ーマイルス、どうやったらあんたみたいにカッコイイいいフレーズが出てくるんだろう?

それは俺という人間がカッコ良いからだろう。お前のフレーズがカッコ良くないとしたら、それはお前という人間がカッコ良くないからだ。

ーマイルス、いくら練習しても上手くならないんだ。俺はどうしたらいい?

質問する奴は、大体既に答えを知っている。わざわざ俺に聞くな。

ーマイルス、曲を書いたから聴いてくれ! 自信作なんだ!

そのメロディは俺が書いたものと全く同じだ。40年前に頭の中で同じメロディを書いた。

ーマイルス、マイナーセブンフラットファイブが未だに苦手なんだけど、どう処理したらいいかな?

マイナーセブンフラットファイブの箇所では、マイナーセブンフラットファイブは絶対に弾くな。俺に言えるのはそれだけだ。

ーマイルス、腹に巻くだけで腹筋が鍛えられるスレンダートーンというのがあるらしいんだけど、そういうのどう思う?

あれは意外にいい。俺は買った。倒れるだけで腹筋ワンダーコアも俺は買った。お前は買わないのか?

ーマイルス、ショーンKのことをどう思う?

どうでもいいことを聞くな。お前らギタリストは沈黙を恐れるあまり、どうでもいい音を出すことが多い。弾きすぎだ。ガム食うか?

ーマイルス、ジャズっていつかこの世からなくなってしまうのかな?

なくなっても誰も困らない。ジャズがなくなって困るような連中が演っているのはジャズじゃない。必要なものだけが生き残る。ジャズだって必要なら生き残る。必要がなければ、生き残らなくていい。必要とされていないのに生き残っているとしたら、それはジャズじゃない。


小沼ようすけさんの「ソロ・ギター・メソッド ホップ・ステップ・ジャズ! 」

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最近、楽器店の店頭で小沼ようすけさんの「ソロ・ギター・メソッド ホップ・ステップ・ジャズ!」という教則本を見かけて購入しました。2011年10月から2015年11月まで雑誌「Guitar Magazine」で連載されていた内容+αの本です。


この本は「小沼ようすけさんが、同じスタンダード曲を3種類の難易度でソロ・ギター向けにアレンジしてみるとどうなるか」がわかるという意味でとても興味深いものだと思います(「ホップ・ステップ・ジャズ」というタイトルはまさにそういうコンセプト)。

「ホップ」はもうルートとメロディくらいシンプルなもので、「ステップ」になると基本的なDrop2/3コードや対位法的なアイデアが入ったり、「ジャズ」になるとイントロ・エンディングが付きリハモやフィルイン的なフレーズが盛り込まれます。ソロ・ギターを楽しみたい人にはとても良い本だと思います。

巻頭には小沼さんの旅写真や機材紹介があったり、小沼さんがどのようにアドリブを学んできたかというコラムがあったり、巻末には氏のウォームアップ・ルーティンが加筆掲載されていたりして読み応えがあります。時々ギターマガジンの連載を読んでいたので、こうして書籍化されてとても嬉しいです。

私は小沼さんのギターが好きで、オルガンのトニー・モナコ、ドラムスのジーン・ジャクソンとの共演盤ライブ・アット・コットン・クラブ・ジャパンと最新作のGNJは愛聴盤です。複雑な内容を弾かなくとも音色とタイム、フィールだけで世界的に通用する数少ないギタリストではないかと思います。

ところで私は小沼さんについて長年疑問だったことがあります。それは何故氏があれほどまでにサーフィンにのめり込んだのかということです。私はサーフィンのことを全く知りません。しかしこの本に答えが書いてありました。p.7に次のように書かれています。

即興演奏において自分らしさや今を感じ自然の流れと調和するにはどうしたらいいのか悩んでいた。10年前に出会ったサーフィンから得るものは、その悩みを少しずつ解決してくれる。僕にとってとても大事なもの。

なるほどそういうことだったのか! と納得しました。ジャズを演奏している人でも、音楽以外のことを積極的にやってみると良いのだと思います。サーフィンでも、美術館巡りでも、釣りでも、何でも。何か学ぶことがあるのでしょう。

同じ波というのはないはずだし、波に入っていける最適なタイミングも一回しかないだろうし、相手は生き物でこちらも生き物。小沼さんにとってサーフするというのは音楽するということと多分同じなのだろう、と思いました。

ところで小沼さんが抱えているGibson ES-275、この本の中でもかなり推していますが、一度弾いてみたいですね。良さそうなギターです。

楽譜の誤植について考える

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先日、楽器店で購入した小沼ようすけさんの「ソロ・ギター・メソッド ホップ・ステップ・ジャズ!」という最新書籍が素晴らしい内容だと思ったので、記事で紹介しました。

その後amazonのレビューを読んでいたところ、この本には結構な分量の誤植が、タブ譜と五線譜の両方に存在していることを知りました。そのため内容が素晴らしい本なのに、巷ではかなり低い評価が与えられてしまっているようです。

この本は基本的に小沼氏によるGuitar Magazineでの約4年分の連載を1冊の本にまとめたものです(インタビュー等の新コンテンツも勿論あります)。私は小沼さんの音楽が好きなので、時々この連載を目当てにGuitar Magazineを買っていたほどです。

小沼さんのアレンジから様々なソロ・ギターのアイデアを得られて良かったのですが(特に複雑化の過程がためになりました)、確かに時々「ん、なんだここ違うじゃん」という箇所があったのを思い出しました。タブ譜と五線譜上のピッチが一致していない部分がありました。当時は特に怒ることもなく、脳内で補正をかけて読んでいたのだと思います。

amazonレビューで指摘されているように、例えばp.82の「サマータイム」の2小節目には「Fb」という不思議な記述があり、これは確かに「F6」のことだと思うのですが、譜面浄書を担当された方は基本的なコードネームを全く知らないか、OCRソフトのようなもので「F6」を読みこんだところ「Fb」と出力されたのでしょうか。

いずれにしても、この本の譜面浄書を担当された方は、実際にギターを持ってこの譜面が正しいかどうかを確かめるという作業をしなかったのは明白でしょう。極端に演奏が難しいカデンツァがあるわけでもないし、音が間違っていないか一つ一つ追う仕事はすべきだし、やれる感じの内容だと個人的には思います。

と、こんなことを書くと「お前はこれだけ多くの誤植に気付くこともなく、これはいい本です、みたいな記事を書いて恥ずかしくないのか。」と思われるかもしれません。

私は二十歳前後の頃、タブ譜というものに深く絶望したことがあり、それ以来タブ譜は完全には信用せず参考程度にするような習慣が付きました。そのきっかけは、確か「ジョー・パスのタブ譜付き完全コピー譜の一つ」だったと思います(その本は現在絶版)。

耳も指も出来ていなかった私は、そのジョー・パス本を藁にもすがる思いで買ったと思います。当然、書かれているものに誤りがあるなどとは考えもしません。ポジションも、ピッチも全て信用してひたすら練習しました。しかしある曲で、例えばコードがGΔ7なのに、タブ譜では「1弦から6弦まで全部1フレットのバレー」になっていることがありました。

弾いてみるともう完全におかしい。それはFm11以外の何物でもなく、ジョー・パスはそんなコードをかき鳴らしてはいない。

「ん? かき鳴らす?」 そこで気付きました。一つ前の小節にはきちんとGΔ7となる押弦が記載されています。つまり、「同じ押弦のまま、こういうリズムでコードをかき鳴らしてくださいよ」というあの「省略書式」が、何故か「111111」に置き換わっていたのです!

その時「ああ、このタブ譜はギターを弾いている人が誰もチェックしなかったんだ。それか譜面浄書をした人がギターを全然弾かない人なんだ」と思いました。そのジョー・パス本には他にも山ほどの間違いがあり、本当にガックリきて、私はタブ譜というものが信用できなくなり、基本的に間違いがあってもおかしくないものだ、と考えるようになったのでした。

今回、小沼さんの「ソロ・ギター・メソッド ホップ・ステップ・ジャズ!」を購入された方も同じように、相当ガッカリされたかもしれません。私は当時、本当に頭に来て、金返せ、と思いました。多分この本についても、お金返して下さい、と思う人は多いと思います。

楽譜の誤植は、どこまで認められるのでしょうか。人間である限り間違いからは逃れられないし、絶対に瑕疵のないプロダクトというものはない。エラーチェックを経たとしても、エラーをゼロにすることはできない。なら、私達はこの誤植を許すべきなのか。

この本の場合は、ちょっと容認できない感じの誤植であるように感じます。まず誤植の数があまりに多すぎるし、運指や記譜が何かおかしいと気付ける中上級者が手に取ってもとても面白い本だとは思うけれども、想定されている読者は主に初心者のはず。しかも即興能力を身に付けたいというよりも、小沼氏によるソロ・ギターの魅力を、まずは手っ取り早く(それは決して悪いことではない)味わいたいと考えた人は多いはず。

そう考えると、特にこの本ではタブ譜の部分に間違いがあってはいけないと思います。「やべっ1箇所間違ってたテヘペロ」というのは許容できたとしても、全曲に間違いがあるというのはちょっと擁護できない。しかもタブ譜だけでなく五線譜にまで間違いがあると、もはや何が本当かわからない。真面目な学習者なら何が正解かを自分で検討するという選択肢はある。でも初心者にそれは難しい。

出版元のリットーミュージックが今後どうするかは知らないけれども、この本の場合は「正誤表をウェブに発表する」という対応では不充分ではないかと感じます。というのも、上で書いたように、特にタブ譜の部分はこの本のメインコンテンツと言えるはずで、しかもエラーが間違いなく編集作業上の怠慢に起因しているのが明らかなので、なおさらです。

それに、エラータがウェブ上にしかないのなら、この初版が今後このまま売り続けられた場合、数年後に古本屋やヤフオクに流れた時にどうなるのかという問題があります。著者の名誉は守られないでしょう。

ちなみにこれは私の完全な推測なのですが、最終的に著者の責任が皆無であるとは言えないとしても、全ての譜面は小沼さんの手元にあった段階ではほとんど(あるいは全く)エラーがなかったのではないか。手書きの譜面をデジタル化する時にエラーが発生したのではないか。

いずれにしても著者は編集部による浄書作業を信頼していたはず。著者も、読者も色々なレベルで裏切られた感のある、本当に不幸な出来事だったと思います。

誤植さえなければ、この本はやはりとても良いものだと思うので、出版社にはエラー対応したものの再版を望みたいです。本当にもったいない話です。でも何で誰も気付かなかったんだろう。新国立競技場のデザイン要件に聖火台のことを入れるのを忘れていた、という話に似た出来事なのでしょうか。

私はいま、いい年をした大人になって、自分が弾く音が自分の基準で感覚的に良い音かどうか、自分が知っている理論の中で間違っていないかどうか、全て自分で判断できるようになりました。しかし二十歳の頃の私は、全くそうではなかったと思います。リディアンの音とか、7度をベースにするDrop 2のメジャーセブンスコードなど、ヘンな音と思ったかもしれない。やはり楽譜の誤植は軽く考えて良い問題ではないように思います。

渋谷ウォーキンのロゴ入りオリジナルピック

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このピックすごくいいよ、と友達がピックをくれました。渋谷ウォーキンオリジナルのピックのようです。

恐らくウォーキンのこのページで紹介されているピックと同じものだと思います。つまり「ウォーキン ロゴ入りピック/中型タマゴ型」、もらったのは1.5mmと1.2mmのものです。リンク先のページによると「1990年台製のD’Aquistoピックに近い形状」とのこと。タマゴ型以外にティアドロップ型もあるようです。写真左側にあるのはD’Andrea Pro Plec 351 1.5mm。ダンドレアのピックはメインではないのですが、ファットで丸い音がするのでたまに使います。

渋谷ウォーキンのロゴ入りオリジナルピック

このウォーキンのピック、音色はそのD’Andrea 351 1.5mmにかなり近いと感じました。丸くてマイルドでファット。ダンドレアのピックは、音色的には全く文句がないのですが、どうも私には抵抗が大きいのか速いフレーズを弾く時にひっかかることがありました。ウォーキンのピックならダンドレア的な音色を維持したままそこそこ速く弾けます。確かにこれは良いピックだなと思いました。

1.5mmと1.2mmの違いですが、最初、不思議なことに1.2mmのほうがファットな音が出るように感じました。おかしいな、印刷ミスかなと思って厚みを測ってみると、確かに1.2mmのほうが1.5mmよりも薄いです。もしかすると質量・接触面が減っても適度なしなりがあると弦がいい感じに振動するのかな、と思いました。

が、その後2枚をとっかえひっかえ使っているうちに、1.5mmのほうがやはり太い音かなと思うようになりました(な…何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何を言っているのかよくわからない…)。どちらも大きい違いはないかもしれません。1.2mmも1.5mmもダンドレアより弦離れがよく、16分音符を弾くのが楽です。

ピックはこれまで色々なものを試してきました。数ヶ月間同じものを使い続けることもあるのですが、最近は曲やプレイスタイルに合わせて複数のピックを使ったり、練習時はあえて「使い慣れないヘンなピック」を使うことで感覚のリセットのようなこともやっています(ピッキングの癖を見直すのに良い感じです)。

最終的に、音の良さと弾きやすさが高い次元でバランスが取れているものがメインのピックになるのですが、自分自身の脱力加減やテクニック、弾き方も定期的に変わるので、「もう一生これでいい!」と呼べるピックは、きっとないんだろうと思うようになりました。

オール・アウトする練習

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現在の自分自身の限界を超えるためには、限界を超えたところで何かを練習しなければならない。と思い、そういう練習をしているのですが、そういう練習を個人的に「オールアウト練(オール・アウトする練習)」と呼んでいます。

「オール・アウト」という言葉の一般的な定義は以下。

all–out:

made or done with as much effort as possible, fully developed, made with maximum effort

可能な限りの努力・労力でなされること、徹底的に展開されていること、最大限の労力でなされること

Merriam-Webster

どんなオール・アウト練習がありうるかというと、例えば

  • ♩= 250で弾けないものがあれば♩= 250で弾く練習をする(速く指を動かす・速くピッキングする練習)
  • ほぼ同じインターバル、ほぼ同じリズミック・フィギュアを持つモチーフで延々と弾く練習(脳を使いすぎて空腹になるまでやる)
  • ひたすら16分音符で弾き切る練習
  • どんなに大変でも3連符だけで弾き切る練習
  • 15分間ノンストップで循環 (1625)を高速で弾き続ける練習(鼻血が出ようがアイデアが枯渇しようがやめない)
  • わけのわからない転調を多数含むバッキング・トラックを用意してその上でアドリブする練習
  • 聴いたことのないクラシックの器楽曲の楽譜を用意して、(間違っても)止まらずに初見で弾き続ける

ポイントは「もうこれ以上は無理」というくらい、ぐったりするまでやること。多分筋トレと同じで、毎日やると疲弊してしまってあまり良くないかもしれないのですが、1日おきとか、3日に1度とか、現在の自分自身を超えるためにはこういう練習が必要だ、と感じて取り組んでいます。かなり意識的にやりはじめて2年くらい経ちますが、これは効果がある! と感じています。月に1回とかだと、あまり意味がないようにも思います。週に2回以上やったほうが良いような気がします。

ただしこれは「何も考えずにがむしゃらに努力で立ち向かう」というのとはちょっと違うと思っています。あくまで、自分が苦手なのはこれであり、それを克服するためにこの練習をするのだ、と強く意識してやるのが効果的ではないかと思います。ミスター・ミヤジに命じられるままわけもわからずクルマのフロントガラスを拭き続けたり(=カラテ・キッド)、うさぎ跳びをするのとは話が別。

「何かを深く理解する」ためには、ゆっくり・静かに・瞑想的に、「何かを深く覚える」ためには、極端で激しく、緊迫した状況下でその動きを繰り返し試す、というのが効果的なのではあるまいか、と最近よく感じるのでした。

それで、筋トレと同じで、時々身体に疲労が蓄積したような感じになり、ぐったりと無気力になることもあるのですが、そんな時は「練習」という気持ちを持たず、純粋に音楽とギターを楽しむというあの初心を思い出し、ジョージ・ベンソンになったつもりで鼻歌を歌うような気軽さで適当にギターを弾きます。もう、何も考えずに弾く。

すると「あれ、…俺、ちょっと上手くなったかな?」と思うことがあります。本当に時々しかない、ご褒美のような瞬間ですが、それはそれは格別な、嬉しい嬉しい瞬間です。

「テーマをいつも忘れてしまう病」への処方箋(普通のおくすり)

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アドリブはそこそこ弾けるようになったのに、スタンダード曲のテーマ(メロディ)を覚えるのが苦手だ、あるいは覚えてもすぐに忘れてしまう。そんなけしからん悩みを抱えているギタリストは少なくないという。だが安心して欲しい。実は俺も昔はそうだった。そして俺はその病を見事に克服した。今回はそんな俺の闘病の過程を紹介するー

と、ふざけるのはここまでにして、真面目に書いていきます。「テーマをいつも忘れてしまう病」はほとんどの場合、テーマのメロディとコードフォームとの関連がよくわかっていない、コードフォームが見えていない、というかそもそもコードフォームをあまり知らない、ということに起因していると思います。ただ丸暗記してもすぐに忘れます。

例えばCΔ7というコードがあるとして、下の5つの押さえ方は誰でも知っていないといけないものです(楽譜は全てクリックで拡大します)。知らないと不便ですし、多分ハンディキャップになるでしょう。これらの押さえ方を知らない人は、まずこれを覚えることからはじめます(3つ目が押さえにくい場合は無理をせず場所だけ覚えます)。

CAGED各ポジションで弾いたCMaj7

上のCΔ7たちは、「CAGED」(ケイジド)と呼ばれるギターの最も基本的な5つのコードフォームに対応しています。CAGEDとは以下の5つのフォームのことを言います。開放弦を含むこれらのロー・コードはお馴染みのはず。ジャズでこのまま弾くことはまずないコードですが、上のCΔ7の「押さえ方」は全部これらと関係があるので観察してみて下さい。

CAGEDの基本フォーム

さて、「C型」の押さえ方、その近くでは、例えば下のような基本的なCメジャーコードのボイシングが可能です。左からCΔ7(4 way close), C69, CΔ7(5度抜き), CΔ9(3度抜き), CΔ7(5度ボトム・Drop2), CΔ7(3度ボトム・Drop2), CΔ7(5度ボトム・Drop3)。これら全て、「CAGEDのC型」のフォームの近くで発生している押さえ方です。

ポジション、と言っても良いでしょう。C型以外の他のポジションでも、同様に6度や9度を足したり、その場所に基本的なDrop2/3コードが存在しないかを確認します。この5つのポジションは精通しておいたほうが良いです。

C型付近で弾いた様々なCメジャー系コード

ここまで練習したらあとは簡単。例えば初心者向けとされるKey in Cの”All of Me”という曲があります。その”All of Me”を彷彿させる3つの音(ドー・ソ・ミー、と下るメロディ)があるとします。そのメロディを上で説明した5つのCΔのポジションで弾いてみます。メロディに続くコードの部分は、コードフォームを意識するために練習としてあえて弾いてみます。

CAGED各フォームでAll of Meの最初の3音的なものを弾く

ちょうど12フレット分をシームレスにカバーできています。つまりCAGEDの中で知らないポジションがあると、運指が難しくなったり、不自然になったり、演奏中に突然指板が見えなくなってロストしたりということに繋がります。苦手なポジションは特に練習するのが良いと思います(※「D型」と「G型」を苦手としている人が多いような気がします)。

これでどんなメロディもメジャーコードの近くで弾けるようになりました。しかし曲にはマイナーセブンスとかドミナントセブンスとか色々なタイプのコードがあります。それらに対応するには、例えばC型のCΔ7の構成音を1個1個変えていって、他のコードクオリティに変えます。下は左からCΔ7, CmΔ7, C7, Cm7, Cm7(b5), Cdimとなっています(臨時記号がおかしなことになっていますが見なかったことにして下さい)。

C型以外のポジションでも、同じ変更を試します。よく使うお馴染みのフォームもあれば、あまり見たことないフォームもあるかもしれません。「これあんまり知らない」というのは弱点になっているので、そういうのは徹底的に練習して身体に入れます(抽象的に覚えるよりも実際の曲で、必要な時に使ってみるのが効果的だと思います)。

コードクオリティを変更する

これでどんなコード上のどんなメロディもCAGEDと呼ばれる5つの基本的なコードフォームの周囲で弾く、というコンセプトを覚えました。このコンセプトを使ってテーマ・メロディを最初から最後まで弾いてみます。下はそのコンセプトで”All of Me”のような曲を弾いた場合の例です。慣れないうちはそのポジションでコードのアルペジオをなぞったり、フィルイン的にあえてコードを弾くと覚えるのが早いと思います。

解説:1小節目は6弦8FルートのCΔ7(E型)、3小節目は5弦7FがルートのE7(A型)、5小節目は6弦5FルートのA7(E型)、6小節目は同じポジションでA7のHmp↓5(=D harmonic minor)のフレーズを参考までにあてはめてみました。こうやってメロディもコードもスケールも、ポジションを理解して、自分のコントロールが及ぶものに変えていきます。

1曲通して弾いてみる

上に登場した様々なコードフォームを知らない場合、マスターするのはそこそこ時間がかかると思います。しかしこの練習は継続するといろいろ良いことがあります。例えばアドリブ中にいつでもコードを入れたり、コード・ソロへの移行が容易になります。ソロ・ギターが弾けるようになります。アドリブが上手になります。良いことづくめです。

少しづつ、知っている曲・やりたい曲を題材にして挑戦してみると良いと思います。またテーマだけでなく、耳コピーしたフレーズもこれらのコードフォームと関連付けて弾く練習をします。Donna Leeのような速くて複雑なメロディも練習時は近くにどんなコードがあるかをよく考えます。こうやって覚えたメロディ・フレーズはそう簡単に忘れなくなります。

近現代音楽に学ぶ (3):アレクサンドル・スクリャービン

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ロシアの作曲・アレクサンドル・スクリャービン(1872-1915)を集中的に聴いていたら、この人について書いてみたくなりました。

この人は相当な変わり者で、共感覚の持ち主であったせいか、作品の中には「鍵盤を弾くと特定の色を映すように」とか「コンサート会場にある種の香りを流すように」と指示されているものもあったらしい。オーストリアのシェーンベルクとは2歳違い。

オリヴィエ・メシアンのほとんど病んでいるとしか思えない素敵な色彩感覚など意外にスクリャービンまで辿れるのではないかと思うことがあります(そう言えばメシアンはカトリシズム、スクリャービンは神秘主義と2人とも宗教がかったところも共通している)。

スクリャービンで私がいちばん好きなのは「ピアノ・ソナタ第4番嬰ヘ長調作品30」 (Sonata No.4 fis dur Op.30)。1903年、作曲者31歳の時の作品です。最初に聴いたスクリャービンがこの曲だったからですが、彼の有名な「神秘和音」はこの作品ではじめて使われたそうです。下の動画では3:17〜3:18あたり、第2楽章の7小節目冒頭の和音。

伊達純・岡田敦子編著のスクリャービン全集1 (世界音楽全集 ピアノ篇 新校訂版)によると、「神秘和音」は「第5音の長2度上の倚音と半音下方変位された第5音とを有する属9の和音」のことらしい。ジャズ・ミュージシャン向けの言葉に翻訳すると「ドミナント9thコードの5度を半音下げて、6度(または13th)を足す」という感じでしょうか。実用的なコードネームで言えば、ルートがGならG7(9, #11, 13)。

Scriabin

スクリャービンはこういうものを4度でスタックするのが好きで、いつもこの積み方ではないけれど、作品には4度堆積が本当に多い。また、上の「神秘和音」はリニアに並べればリディアン・ドミナントが得られます。スクリャービンの4度堆積、リディアン・ドミナント、そしてクロスリズム。これは…現代ジャズじゃん!

ところで上の「神秘和音」はギターでもとりあえず押さえられるボイシングだけれど、スクリャービンは必ずしもこの積み方に拘っていたわけではなく、もっと柔軟に、というかあまり規則性なくボイシングしていたようです。またこの「神秘和音」というものが彼の創作活動において核となるような最重要なコンセプトというわけでもなかったらしい(ピエール・ブーレーズにおける12音技法のような支配的な方法論ではなかった)。

スクリャービンの作品群には、ほぼ同時代のシェーンベルクやドビュッシーらのそれとはまた違った独特な色彩感覚があって、良い意味で本当にイカれていたんだなと思います。もし彼が現代に生きていたらブラッド・メルドーのような立ち位置でカート・ローゼンウィンケルやジェシ・ヴァン・ルーラーのアルバムに参加していたのではなかろうか、と夢想したりします。色彩感覚的にはマーク・コップランドも近いかなとも思います。

レリックという価値観

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自分の価値観とは相容れないものについては語らないほうがいい。と、改めて思わされた出来事があります。それは映画「セッション」の違和感(一応ネタバレなし)という記事を書いた時のことです。

このブログでは自分の嫌いなものについてはなるべく書かないように心がけているのですが(嫌いなものについて考えると、演奏のために必要な脳神経細胞が減ってしまうから)、上の記事で取り上げた映画は表現手法がどうしても自分には許せない感じのものだったので、つい書いてしまったのでした。

しかし私の友達には、その映画に感動した人が少なからずいたのでした。酒を飲みながら「あんな内容の映画、ひどいじゃないか。しかもカメラワークはダレン・アルノフスキーの劣化版みたいな感じじゃないか。似ててもいいけど、この似方は何か許せないものがあるんだよ!」と私が批判すると、「馬鹿野郎! あの映画の良さがわからないお前なんかとはもう絶交だ!」と言われたりしました。

まあ、たまにあることです。むしろ意見がいつも同じであることのほうが気持ちが悪い。とは言え、やはり嫌いなものについては黙ってたほうがいいな、と思ったのでした。

話は変わって先日、アイバニーズがArtstar Vintageなる新しいセミアコシリーズを出しているのを知って、モニターにブーッとコーヒーを吹いたのでした。いわゆるレリックというやつです。

Artstar Vintage
Image quoted from Ibanez website

これは驚きました。私はレリック加工のギターというものが、よくわかりません。嫌いとか、不快とかは思いません。それ以前に、使い古したような加工を施された新品のギター、という価値観が、私には全くわからないのです。

このトレンドは「履き古したジーンズ」あたりに起源があるのでしょうか。そういうヴィンテージ加工のジーンズならまだわかるのですが(あれはあれで欲しがる人の気持はちょっと理解できる)、ヴィンテージ加工のギター、は何かよくわかりません。

本当に古いヴィンテージのギターに惚れて、それを買う。新品で買ったギターを長年使って、それがやがてヴィンテージになる。というのはわかるのですが、「使い古したような加工を施された新品のギター」はやっぱりよくわからない。

フェンダーもギブソンもこういう感じのギターを出していて、世界的な流行の一つなんだろうけど、世の中いろんな価値観があるな、と思ったのでした。自分がいま18歳くらいだったら、このギターの良さがわかるのだろうか…


正反対の練習

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いろいろな練習方法があると思うのですが、ある練習方法が気に入ったら、それとは全く反対の練習をやるのはなかなか効果的なのではあるまいか、と最近思います。何かを使う、使わない、on/off, with/without…例えば:

  • メトロノームを使って練習する・使わずに練習する
  • インテンポで弾く・テンポルバートで弾く
  • コードを入れて弾く・コードを一切入れずに弾く
  • ピックで弾く・ピックを使わずに弾く
  • バッキングありで弾く・バッキングなしで弾く
  • アンプを使う・アンプを使わない
  • リバーブありで弾く・リバーブなしで弾く
  • 速すぎて無理なテンポで弾く・遅すぎて無理なテンポで弾く
  • 演奏を録音する・録音しない
  • 一つの練習だけ何時間もやる・一つの練習だけを何時間も続けてやらない
  • 共演者の演奏に反応する・反応しない
  • アルコールなしで弾く・アルコールありで弾く
  • ブルーノートを意識的に入れて弾く・ブルーノートを意識的に入れずに弾く
  • 声で歌いながら弾く・声に出さずに弾く
  • 考えて弾く・考えないで弾く
  • 休憩を入れる・休憩を入れない
  • 100%集中して弾く・テレビを見ながら弾く
  • インターネットを見る・インターネットを見ない

といった感じで。ある意味で、心のダイナミック・レンジの拡大に繋がる練習になるのではないかと思います(その「心のダイナミック・レンジ」って一体何だろう)。

without records – mot ver. 2015

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先日、気分転換に東京都現代美術館に行ってきました。

その日見た中では、豊島康子さんという方の作品が最高に素晴らしく、私は一瞬でファンになってしまったのですが、この記事では大友良英+青山秦知+伊藤隆之の三氏による「without records – mot ver. 2015」というインスタレーションを紹介します。これもまた素晴らしい作品・体験でした。

古いレコード・プレイヤーにプリペアード楽器のような処理が施されていて、針はレコードのない盤面に載せられています。アトリウムにたくさんのプレイヤーが設置されていて、コンピューター制御でランダムにプレイヤーが回転します。で、あちこちから、間歇的に、ギギギ、カタカタカタカタ、というノイズみたいなものが発生します。

without records - mot ver. 2015

何処でどのプレイヤーが鳴るかは予測できません。ランダムな動きをします。管理された偶然、機械による即興です。林の中で鳥の声が聞こえるような感じです。これがとても良い雰囲気です。ジョン・ケージやリゲティ・ジェルジュの作品を懐かしく想起しました。

without records - mot ver. 2015

楽器を演奏しない人は普段、記録(record)された音源を再生して聴くことが多いと思います。記録されたものは基本的にいつも同じ。でもこのインスタレーションは「without record」。レコードなし、記録なし。聞こえてくるのはいつも違うランダムなノイズ。

without records - mot ver. 2015

動画に撮ってみました。私もギターに何か金属でも挟んでみようかな!

これはライブ・ミュージック、ジャズだ、と思いました。ていうか「いわゆるフツーのジャズ」より断然面白い(…)。そういえば大友良英氏はジャズ・ギタリストでもあったと聞いたことがあります。ギタリストとしての氏の活動のことは全く知りません。また「あまちゃん」の音楽は、私にはあまり訴えかけないものだったのですが、このインスタレーションには心を動かされました。

東京現代美術館はまもなく長期間のリニューアル休館に入るそうです。この作品を体験されたい方はお早めに訪れてみたほうが良いと思います。あと音楽とは関係ないのですが、最初に紹介した豊島康子さんという方の作品が本当に衝撃的でした。

現代美術も、現代音楽も、自由で楽しい。ジャズのスタンダード曲みたいなものばかり弾いていると、音楽の本質を忘れがちになるから気をつけなければいけないな、と思った一日でした。

b9で十分。アイオニアンで十分。

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ジャズって難しいなー、理論苦手なんだよ、オルタード・スケールとかさ、かっこいいなって思うんだけど、ややこしいんだよ。なかなか覚えらんねーんだよ。

と、酒の席で友人がそのように呟く。

確かに、ややこしいと言えばややこしいのかもしれない。ジャズも本格的に学習すれば、わりとすぐにオルタードとメロディック・マイナーとリディアン・ドミナントは同じスケールの別モードである、みたいなことをみんなすぐに覚えるし、器用な人はすぐに使いこなす。

でもよく考えれば、そういう覚え方が、必ずしも最適とは言えないような気がする。自分の中に何か新しい色彩を取り入れるために、でっかいスケールを一つ暗記して、指板上で隅々まで見渡せる必要はあるか。

勿論、それを使いこなせるならそれに越したことはない。でも、本当はそんな大掛かりなものではないはずだ。もっと単純で簡単なものであるはずだ。最初にオルタードを弾いた人は、オルタードをスケールとして学んだのではないはずだ。彼はきっと、単にある一つの重力を感じ取っただけだ。きっとそうに違いない。

「b9(フラット・ナイン)だけで十分じゃね?」と私。

「は?」

「まずb9だけ弾けばいいんじゃね。ドミナントのV7でb9の音だけ足せばいいんだよ。あとは全部アイオニアン、つまりメジャースケール、平たく言えばドレミファ弾けばいいんじゃね?」

「でもよ、ドリアンとか、ミクソリディアンとか、いろいろ覚えないといけないだろ、他にも」

「そんなことないよ。全部アイオニアンでいいんだよ。IIm7でアイオニアンを2度から開始すればそれがドリアンで、V7で5度から開始すればミクソリディアンだろう。そのV7の時に、b9だけ使えばいいんだよ。♮9の代わりに。オルタードって、そういうことだよ。それだけのことだよ。」

「だが・・・」

「だが、じゃない。#9とか、b13とか、#11とか、一気に全部覚えようとするからいけないんだよ」

「しかし・・・」

「しかし、じゃない。そんなことよりもう一杯飲もうぜ!」

「お、おう・・・」

その夜、私は何かすごく良いことを言っていたような気がするが、その友人が私の見解をどう受け取ったかは不明である。

アイオニアンとb9。たったそれだけで、良い音楽が現れるはずだ。基本的には。きっとそうだ。ていうか、アイオニアンだけで十分。アイオニアンでいい。アイオニアンがいい。

コーダルとモーダル

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コーダルとモーダルという概念について考えてみます。コーダル(Chordal)は文字通り「コード的な」という意味。モーダル(Modal)は「モード的な」という意味です。

語呂が良いので「コーダルとモーダル」という言葉を選んでみましたが、後者の「モーダル」はいわゆる「モード・ジャズ」におけるあの「モード」ではなく、この記事では「スケールに重点を置いて発想する」という程度の意味なので、本当は「スケーラー」(Scalar, スケール的な)という言葉の方が適切かもしれません。

コーダルな発想の長所と短所

よくジャズ初心者に与えられるアドバイスに、「コード・トーンを拾って弾くとそれっぽくなるよ!」というものがあります。トライアドでも良いし、セブンス・コード内の1357音でも良い。つまりアルペジオ。とりあえずテンションを外し、コードの構成音だけで、または構成音を強く意識して弾く。それが「コーダルなアプローチ」だとする。

コーダルなアプローチの良いところは、コードを線的にアウトラインする行為であるため、音さえ間違えずに拾いつつメロディを組み立てていけば、ソングのコード進行が自ずと聞こえてくるところ。自由にアドリブしても大きく破綻するリスクは少ない。

ただしこれは「コード進行を表出させやすい」という意味では強力な方法論ではあるものの、任意のポジション内でその曲の全てのコードのアルペジオを、良いヴォイス・リーディングを意識してスムーズに弾くことは、初心者にとっては多分簡単なことではないし、トライアドで済ますにしても、考えずに全ての転回形が出てくるくらいのスキルがないと、あまり音楽的な結果が得られなかったりする。

もう一つの短所としては、コード一つ一つを追いかける行為であるため、せわしない表現になりがちであるという点。コーダルに考え、弾けることは非常に重要だけれども、「木を見て森を見ない」症候群に陥らないよう気をつける必要がある。

またコードチェンジの多い曲や、そうでなくともテンポの速い演奏ではコードのことを考えている時間がないので、他のアプローチも持っておく必要がある。同じコードが連続して数小節続くような場合も、アプローチ・ノートの併用で乗りきれるかもしれないけれど、やはり他の武器も持っておきたい。

モーダルな発想の長所と短所

モーダル(またはスケーラー)なアプローチの良いところは、ソングの一定区間に何らかのトーナリティー・スケールを設定すれば、一つ一つのコードにとらわれることなく、余裕を持って大きくメロディを展開できるところ。

例えばF bluesならF blues scale一発で弾く、というのはモーダルなアプローチ。Key in CのDm7-G7-Em7-Am7という逆循環進行に対して、C Ionianを設定し、それ一発で弾くというのもモーダル。コード一つ一つに振り回されることなく、その時に支配的な調性を感じ取り、その中で自由に動きまわる。各種インターバルとリズムで楽しく遊ぶ。

モーダルなアプローチにも気をつけなければいけないことがある。訓練不足の場合、単にスケールの上昇下降運動で終わってしまったり、その時鳴っているコードと相性の悪い音を強調してしまったり、コード感が極端に希薄な演奏になったりする点。これを克服するにはスケール内の全てのインターバルを高いレベルで自在に操れて、演奏中はその時々のコードトーンを自然に意識できている状態にならないといけない。

モーダルな発想では、より横方向の線的な流れを意識したクリエイティブな演奏に取り組みやすいという点で、これも初心者にとって良いものだと思える反面、「どのトーナリティ・スケールを設定するか」はある程度和声理論を理解していないと難しかったりする(その理解は、必ずしも頭による理解でなくとも良いと思う)。

コーダルでもモーダルでもなく

ところでコーダルやモーダル(スケーラー)という概念は、こうやって言葉で考える時や、練習時には有効なツールではあるけれど、本番演奏時にそんなことを考えている人は多分いない。実際の演奏はこの二つのアプローチが渾然一体となっている。8分音符の最初の4音がアルペジオで最後の4音がスケーラーな表現だったりする。古典的な美しいフレーズを観察するとバランス良くコーダルでモーダルな姿をしていることが多い。

そういえばジョン・コルトレーンやデクスター・ゴードンが、例えば2小節にわたるFΔ7の上で、F Major Scale内のダイアトニック・トライアドを次々と上昇しながら吹いていくことがある。あれはコーダルな表現とモーダルな表現がほとんど同じ強さで表出している例としてわかりやすいかもしれない(バップでよくある表現だけれど、わりと鋭角的なサウンド)。

バーガンジの有名な4音スケール(メジャーコードでの1235, マイナーコードでの1345)は、コーダルとモーダル両方の長所と短所を踏まえたところから出てきたアプローチという気がする。とても教育的な感じがする。ある意味折衷案。

人間の身体と精神を分けて論ずるのは馬鹿げている、という人がいる。身体と精神は一体なのだから、分けて考えるのはおかしいじゃないか、と。確かにそれはそうなのだけれど、自分を改良していくために人間は頭を使って考えなくてはならないし、思考は二項対立的な概念からは逃れられない。Let’s face it.

優れたプレイヤーの演奏、自分のどうもビミョーな演奏を、コーダルとモーダルという視点で最近集中的に聴き直してみたところ個人的には良い発見がたくさんありました。

そんなふうに、コーダルのこういうところがいいな、こういうところが難しいな、モーダルのこれは便利、これが難しい…という感じで練習を繰り返していくうちに、「コーダルだかモーダルだかよくわからないけど自然にいい感じのメロディが弾けるようになった」という状態になっていく。だから両方練習しよう、というのがこの考察の(かなり当たり前の)オチなのかもしれません。

どんなプレイヤーもコーダルな面とモーダルな面が渾然一体となっているのが普通とはいえ、いまふと思ったのですが、私の頭の中ではビル・フリゼールとセロニアス・モンクはコーダルな印象が強いです。なんだろう。あの二人は本当にどこかおかしい。

経営コンサルタント・マイルスD

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こんばんは、ローカルビジネスサテライトの大江です。本日は経営コンサルタントのマイルスDさんをコメンテーターにお迎えしました。マイルスDさんよろしくお願いします。

・・・・・

マイルスDさんはコンサルティングファーム大手の、ガレスピー&パーカーのご出身だそうですが、

そういうのは、やめろ・・・・・

え?

俺を説明するために、他の有名人の名前を出すな・・・・・ビジネスの世界では、権威付けが必要なことも、あるだろう・・・・・何者でもないお前を立派に見せるために、偉い誰かの名前を出す・・・・・だが、俺には必要ない。俺は経営コンサルタントである前に、まずアーティストだからだ・・・・・

どうもすみませんでした・・・・・

いや、いい・・・・・ハロー効果(halo effect)の大切さは、俺も知っている・・・・・だが、俺の後光は生まれつきのものであって、ガレスピー&パーカーにいたからじゃない・・・・・それは間違えないで欲しい。俺は裸一貫でやってきた。「裸一貫」という日本語は、素晴らしいと思うぜ。小学5年生の時に最初に覚えた日本語の一つだ・・・・・

わかりました。ところでマイルスDさん、手に汗握るような、熱い経営の秘訣とは何なのか、教えてください。

まず、積極的にリスクを取ることだ・・・・・そして計画が破綻した時のためのプランBは用意しない・・・・・何より大切なのがヒヤリハット、つまり30回に1度は重大事故が発生してもおかしくないような、小さい事故を次々と起こしていく。それが秘訣だ・・・・・

しかしマイルスDさん、企業は常に業績を安定的かつ計画的に向上させ、そのためには通常業務においてPDCAサイクルを回していくことが重要とされています。一方でこの古典的な手法には限界があるとも言われていますが、これについてはどうお考えですか。

PDCAは、もう古い・・・・トヨタが「カイゼン」を提唱するなら・・・・・俺は「カイカン」を提唱する。これからはPDCAではなく・・・・・MDMAだ・・・・・

はっ!? (スタジオ奥から「CM、CM」という声が聞こえる)

PDCAは・・・・・Plan, Do, Check, Action即ち計画し、実践し、結果を精査し、改善活動を行うことだが・・・・・俺が提唱するMDMAとは、Meditate, Dictate, Mesmerize, Agitate, 即ち瞑想し、指示を出し、催眠によって場を支配し、組織を扇動することだ・・・・・

話題を変えましょう。最近の企業は利益を設備投資に回さず、内部留保に充てる傾向がますます強くなっているようですが、これはどう思われますか。

古いネタばかり貯めこんで・・・・・それが何になる。黒字は使い切ることが大事だ。新年度は毎年、赤字から始めることだ・・・・・演奏が、いや、仕事が本当に面白くなるのは、全てを使い切ってからだ・・・・・

ワークライフバランスについて一言お願いします。

ワークは、少な目でいい・・・・・ライフのほうが多いくらいが、ちょうどいい・・・・・ギタリストは、弾いていないと不安になって、弾きすぎる・・・・・働いていないと不安だから、働きすぎる・・・・・だが無駄な働きというのものは、誰にとっても無駄なだけだ・・・・・歓迎されない・・・・・メロディ生産には貢献しない・・・・・しっかり休んだほうが、いい・・・・・

部下から信頼されるリーダーになることも大事かと思われます。マイルスDさんは多くの若い起業家たちに慕われ、カリスマ的な人気を誇っているそうですが、いったいどうすれば人に信頼されるのでしょうか。

定期的に・・・・・居酒屋に連れて行くことだ・・・・・串八珍とか・・・・・ハイボールを振る舞う・・・・・簡単なことだ・・・・・カラオケとかも、いい・・・・・俺は、歌わないが、みんなの歌をよく聴く・・・・・

では最後に、混迷する地域経済の今後の見通しについて、その中で私達はどのような経済活動をしていく必要があるのか、お聞かせ下さい。

まず、見通しはあまり立てないことが大切だ・・・・・遠くまで見ることも大切だが・・・・・大体は読み通りには行かない・・・・・あとは、時代の変化に適応することだ・・・・・特定の価値に固執しないことも大切だ・・・・・何故かというと・・・・・取り換えの効かないものというのは・・・・・本当はほとんどないからだ・・・・・お前の代わりは、いくらでもいる・・・・・だから、ワークはほどほどでいい・・・・・それよりも、人生を楽しむことだ・・・・・勿論、より高尚な欲求を満たしていこうとする気持ちは、大切だ・・・・・欲求の5段階説・・・・・生理的欲求、社会的欲求、リズム欲求、ハーモニー欲求、最後は薬物・・・・・いや、メロディ欲求。大切なのは、メロディだ・・・・メロディが、お前を導いてくれるだろう・・・・・だから、あまり心配しなくていい・・・・・

マイルスDさん、今日はどうもありがとうございました。

(その後「ローカルビジネスサテライト」にマイルスDが登場することは二度となかったいう。)

長いあいだピンと来なかったけれどある日突然その魅力に気付いたアルバム

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私はジョン・スコフィールドが大好きですが、熱心に、というか狂ったように聴いていたのは1994年のI Can See Your House From Here(パット・メセニーとの双頭アルバム)くらいまででした。

その後のジョンスコの音楽は私にとってちょっとよくわからないものになっていったのを覚えています。特に話題になったMedeski Martin & Woodとの1998年の作品”A Go Go”は、私の身体には全く入ってこない不思議なアルバムでした。ファンクも好きなのですが、何故か身体が反応せず、俺はもう若くないのだろうか、と思ったりしました。

ところがある日、楽器屋さんでギターを眺めていた時にBGMで聴き覚えのある歪んだギターが聞こえたのでした。それは間違いなくジョンスコの音。このグルーヴ、このオルガン… 私は楽器を眺めるのをやめ、立ったままそのBGMを最後まで聴いていました。家に帰ってジョンスコの音源を探しまくった結果、その曲が”A Go Go”収録の”Hottentot”であることを知りました。最初に”A Go Go”を聴いた時から、もう何年も立ったある日の出来事でした。下は2007年の演奏。

時々こういうアルバムに遭遇します。最初なんだかよくわからないな、と思うものが、ある日突然「これヤバイ!!」と自分の中での評価が一変する。私が当初”A Go Go”がよくわからなかったのは、ジョンスコに別の何かを求めていたからでしょう。当の本人は、ファンが彼に求めるものではなく、自分が求める音楽を追いかけていた。

時間はかかったけれど、結果的に好きになれて本当に良かったなと思う1枚です。

ライブやセッションに行きたくなるお店・そうでもないお店

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ライブを観たりセッションに参加したりと、足を運ぶお店はたくさんあるのですが、積極的に通いたくなるお店とそうでもないお店があります。自分が行きたいと思うお店はどんなところだろう、と考えてみました。以下はいち音楽ファン、いちアマチュア・ギタリストの意見です。

店主が良い人である: これは重要な要素かなと思います。ライブの場合聴きたいミュージシャンが出演するならとりあえずどんなお店にも行くのですが、店主の人柄が悪いと次からは敬遠します。

じゃあ「良い人」の定義は何だろう。これは難しいですが、一言で言うなら「お店の状態をよく観察している人」が私にとっての良いマスター。セッションメインで利用するお店でも同じ。

飲み物や食べ物がおいしい: これは重要視しない人もいるのですが、例えば夜のセッションにフルに参加すると3時間程度は外に出られないわけで、お店にあるものを消費します。私はセッションのお店で何か食べることはあまりないのですが、ドリンクはやはりおいしいお店に行きたい。ドリンクがまずいお店は結構多い。飲食は主目的ではないけれど、少なくともドリンクが充実しているお店が好き。

極端に慣れ合っていない: これは賛否が分かれるかもしれません。和気靄靄としたセッションが度々開催されるお店は楽しいのですが、反面、「とりあえず向上心は放っておいて楽しく弾こう・飲んで歌おう」というカラオケ状態の人だけが常時集うようになると、それはそれで居心地が悪くなることも。時には演るか演られるか、殺るか殺られるかという殺伐とした雰囲気も良いものです。

価値観を押し売りする謎の酔っ払いがいない: セッション参加者同士や見学の人々との会話は楽しいものですが、たまに飲み過ぎて人生論をふっかけてきたり、音楽はそういうもんじゃない、と絡んでくる酔漢もいます。アドバイスでなく嫌味を言ったりすることもある。そしてこちらは他の人の演奏を聴きたいのに、絶えず話しかけてくるので集中できない。音楽ではなく酔っ払うことが主目的のそういう謎の酔っ払いが大体いつもいるお店も足が遠のきます。こういうお店はお祓いをすべきでしょう。

機材や備品がしっかりしている: ギターアンプやベースアンプ、ドラムセット、ピアノといったお店の機材について贅沢を言うつもりは全くないけれども、演奏中に音が出なくなるアンプが長年放置されていたり、譜面台がない・いつも壊れているようなお店の印象は良くないです。音楽をする上で不便すぎるお店は単純に足が遠のきます。勿論、譜面台にせよアンプにせよ、本当に必要な時は自分のものを持参しますが…

テーマ本(黒本等)を何冊か常備しているお店も大変好感が持てます。「そんなもん全部自前で用意しろ」という意見もあると思うし、それはその通りだとは思うのですが、たまに「手ぶらOK」や「初心者歓迎」なコンセプトのセッションで、譜面台がなくて困っている人、アンプが壊れて困っている人を見かけると気の毒になります。

セッション・ホストがいい: これは「良い人」という意味ではありません。勿論良い人であるに越したことはないけれども、ちゃんと参加者を観察してその人なりの考えで適切にメンバーを入れ替えたり、必要な時は適時演奏に入ってくれたり、きちんと進行してくださる人がいるお店はやはり良い。たまに参加者のレベルを一切観察せずただ適当にアサインして飲んでいるだけの方もいますが、いつもそんな感じだと足が遠のきます。

これはお店のマスターと同じで「いろいろ観察している」のが大事なのかなと思います。機嫌が悪そうな人でも全く問題ないですが、テキトー感が漂っていると行きたくならないのだと思います。

そしてあくまで私の場合ですが、これらの面で大きい問題を感じないお店であれば、交通アクセスが悪いとか、遠いとか、料金が高いとか、店が狭いとか、汚いとか、そういうのはどうでも良くなってしまう。居心地が良いなら遠いところでも行きたい。

ただ、セッションについてはこの「居心地の良さ」には問題もあるかもしれません。

というのも、実は嫌な人がいたり、いろいろなものが思い通りには行かない居心地の悪い環境で学ぶこと、鍛えられることも結構あると思うからです。未知の環境で、知らない人と演奏することから得るものは多い。だからそういう意識を持っているアマチュアのプレイヤーは文句を言わずに積極的にどんなお店にも行くでしょう。だから、かなりおかしいお店でも「それなりに回っている」ところもあるのでしょう(故にあのアンプはこれからもずっと壊れたままなのかもしれない)。

でも、客としてライブを見に行くとしたら、やっぱりいろいろおかしいところがあるお店にはまず行こうと思わない。目当てのミュージシャンのライブも、他のお店でのギグを狙います。演奏が上達するための辛い環境には耐えるけれど、音楽を聴く時はやはり可能な限り快適な環境にいたいし、何かに積極的に耐えようとは思いません。


ポジションの個性

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ギターという楽器には習得すべきポジションがたくさんあって大変です。音楽以前に楽器の特性を理解するためにかなり時間が必要なものだという気がします。そして使えるポジションが増えて行けば行くほど、指板の理解が進み、メロディーを紡ぎやすくなる。

垂直(vertical, perpendicular)ポジションだけでも入門者はまず2種類覚える必要があるし、4〜6弦の各弦をルートとして、ネックをヘッド側に下っていくもの、ブリッジ側に上っていく基本的なもので6種類もあります。加えて横方向(horizontal)ポジション。しかしポジションは重要なのに、学習方法が十分に標準化されてないと感じます。

あるラインやフレーズをそうした様々なポジションで弾けるように誰でも必ず練習すると思います。これは勿論すごくいい練習で必要なことだと思います。複数のポジションで弾けないとそれは本当に弾けているとは多分言えない。ギター以外の楽器の人に「ギターでは同じ音域のフレーズを数カ所で弾けるし、弾けないといけないんだよ」と話すと、大体顔が固まります(笑)。

それと同時に、あるポジションでは「いい感じ」にサウンドするライン、フレーズ、リックが、別のポジションではどうもうまくワークしないことがある。無理矢理弾こうと思えば弾けないこともない。しかし半音の移動時に弦移動するとニュアンスやアクセントが変わってしまうことがある。担当する左手の指やピッキングの順番が変わると音色も変わる。

そのニュアンスの変化を積極的に利用するのも一つの手。同じフレーズがちょっと違う雰囲気になったりする。反対に、あるポジションには独自の個性が備わっていると言えるのだから、そのポジションに相応しいフレーズ、音型、ラインがあるのではないかと考えることもできる。

ある種のラインを平準化し、指板上の何処でも見渡せて使えるようにしておくのも大事だし、そうすることでギターの特性に縛られない表現を手にすることができる。反対に、ポジションの個性を意識することによって、ある意味でギターならではの表現に至ることもある。どちらも面白い現象で、どちらも良いなと最近思います。どちらも追求したほうが良いのでしょう。

ライザッパ・ジャズギターのご案内

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こだわり抜いたレッスン環境

  • 脈絡のないコード進行・丸裸セクションを備えたオリジナルバッキングトラックを各個室に完備
  • モード的発想に頼らないキーセンターの感じ方をトレーニング
  • 間違いだらけのタブ譜を読むことにより嫌でも五線譜を読むようになるトレーニング
  • 前後左右に傾き300通りの傾斜を再現するステージでギター演奏時の正しい姿勢をトレーニング

必要なものが全て揃ったレッスンスペース。レッスンスペースには定番のポリトーンアンプ、iReal Pro(キーはBとF#のみ選択可)・間違いを多く含むタブ譜付きフレーズ集全て揃っています。間違った音を弾くと電流が流れるギターのレンタルもできるので、手ぶらでレッスンに向かえます。

満足できなかったら30日間全額返金保証 ※プログラム開始から30日間。ただしライザッパ・ジャズギターにて販売する物品(ヴィンテージギター等)は対象外になります。「フレーズに頼らないジャズギター演奏」は別コースになります。

申込・ご相談・ご質問はフリーダイヤル・714-714(ナイヨ・ナイヨ)まで

(この投稿はJOKEカテゴリーにファイルされています)

Pat Metheny or Zero Tolerance for Compromise パット・メセニーあるいは妥協を許さない男

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2016年5月にブルーノート東京で開催されたパット・メセニーのライブに行ってきました。今回のメンバーはアントニオ・サンチェス、リンダ・オー、グウィリム・シムロック。カルテット編成です。

PAT METHENY with ANTONIO SANCHEZ, LINDA OH & GWILYM SIMCOCK at Bluenote Tokyo, May 2016

当然ながらライブ中の写真はありません。会場は超満席でした。年齢層は高めだったような気がします。今の10〜20歳代の人々はメセニーとか聴かないのかな…と思ったのですが、よく考えると自由席で13,800円なので単純にお金がない、という人も多かったのかもしれません。

PAT METHENY with ANTONIO SANCHEZ, LINDA OH & GWILYM SIMCOCK at Bluenote Tokyo, May 2016

実はこの日、久々に至近距離でメセニーを聴ける機会だから録音しようかな? とICレコーダーを持参していました。私は普段、録音が許可されているライブでも演奏の録音はしません。録音しても結局聴き返す機会は、結局のところそうそうないし、ならば100%のマインドフルネス状態で集中して聴くべきである、と考えているからです。しかしこの日は珍しく「最新のメセニーのプレイを採譜したい」という欲求があり、状況が許せば録音しようかと思っていたのです。

しかし会場でこのような注意書きを目にしました。

PAT METHENY with ANTONIO SANCHEZ, LINDA OH & GWILYM SIMCOCK at Bluenote Tokyo, May 2016

Hi EVERYONE! Please, absolutely NO photography or recordings of any sort during tonight’s concert. Thank you for you cooperation + understanding. FROM, Pat (Metheny) P.S IF YOU SEE SOMEONE TAKING TELL THE MANAGEMENT !! THANK YOU

やあみんな! お願いです、今夜のコンサートはどんな種類の写真撮影も録音もしないでください。ご協力とご理解に感謝します。パット(メセニー)より 追伸 もし誰か録っているのを見たらお店の人に知らせてね!! どうもありがとう 

私にとって神にも等しいアーティストが自分の言葉で、手書きの文字でこのようなことを書いて、ブルーノートの受付で告知している。これを見て誰が録音などできるだろうかいやできない。というわけで、「後で採譜しよー」などという嫌らしい根性はさっぱり捨て、久々のパット・メセニーとの一期一会に臨むことにしました。向こうが本気なのだからこちらも本気で行かないといけない。

演奏は勿論最高でした。ピカソ・ギターでのソロから始まり、バンド1曲目は”So May It Secretly Begin”。その後はBright Size LifeやMinuano, Question and Answer等のお馴染みかつ「待ってましたー!!」系の選曲。Unity Groupからの曲はありませんでした。バンド演奏の後は、リンダ・オー、グウィリム・シムロック、アントニオ・サンチェス各人とのデュオ(相撲用語で言うところの「かわいがり」という説もある)。リンダ・オーとは”How Insensitive”、アントニオ・サンチェスとは”Question and Answer”でした。これが圧巻。で、これがまさかのアンコール前ラストの曲。

私が観たステージのメセニーは超絶好調という感じではないように個人的には思えたものの、この人のクラスになると気分の振幅、調子の善し悪しも含めて味わい深いという感じなので全く問題なし。それにしてもアンコールの”And I Love Her”(ギターソロ)まで約1時間40分です。メンバー紹介以外のMCゼロの相変わらず妥協の一切ない渾身のステージ。アンコールも1曲までとこの日は決めていたことでしょう。あるいは単に時間オーバーだったのかも。こんなライブは2万円でも安い。

メセニーは少しピリピリしているようにも見えたのですが、当たり前のことを真っ当に深めるという意味での「円熟」を強く感じた一夜でした。Pat Metheny Unity Groupで見せた新しい進化はちょっと脇に置いておきつつ、今年はギグを思いっきり楽しんでみようか、という感じでしょうか。しかし古い曲を演りつつも、懐古的な感じが一切ないのが素晴らしい。そして共演者の若手たちを引っ張っているというか、「お前らがこれからを担っていくんだぞ、わかってんだろうな」と教育しているかのような威厳を感じました。

アントニオ・サンチェスのパワフルな安定感は勿論、初体験のリンダ・オーとグウィリム・シムロックもかなり良い感じでした。リンダ・オーは華奢そうなのに音が太く、リリカルになりすぎずクールかつ情感のあるグルーヴを出していました。

ところでメンバー紹介の時にパットが手にしたマイクから音が出ず、数秒間パットはニヤニヤしつつ「さていつこのマイクから音が出るのかな」とマイクをタン、タン、と叩いているシーンがありました。完璧主義者のパットのことですから、今夜スタッフの誰かが死ぬんじゃないか、と見ていて心配になりました。

使用ギターについて。パットは今回シグネチャーモデルのIbanez PM200ではなく、ここ最近の使用が目撃されている例のDaniel Slaman Guitarがメインでした。シングルカッタウェイのフルアコでチャーリー・クリスチャン・ピックアップ(に似た外観のもの)と、Fホールに生音を拾う別のピックアップを積んだギターです。シェイプ的にはほぼPM120。このギター、好みもあると思いますがミッドがかなり強調されている感じで、決して悪くはなかったのですが私の好みだとアイバニーズのほうがコードの分離は良いかなあという印象(でもシングルラインでの存在感はすごかった)。

PAT METHENY with ANTONIO SANCHEZ, LINDA OH & GWILYM SIMCOCK at Bluenote Tokyo, May 2016

多分本人が今ああいう野太いテナーサックスのようなミッドが好きなんでしょう。カッティング時の生音(の増幅)もこれまで聴いたことないような不思議なもので、あのFホール直付のマイクは便利そうだなとも思いました。あとはギターシンセも登場。全部でピカソ・ギター、Daniel Slaman Guitar、エレガット、シンセギターの4本。アントニオ・サンチェスとのデュオではかなり深いリバーブをかけたりと音響的な実験もあって面白かったです。Ibanezとの契約がどうなったのかはちょっと気になるところです。Ibanezとはもう数十年の付き合いだから、そろそろ新しい楽器を使ってみたいと思ったのでしょうか。

PAT METHENY with ANTONIO SANCHEZ, LINDA OH & GWILYM SIMCOCK at Bluenote Tokyo, May 2016

ちなみに今回は下のマグカップをもらいました。これは地味に嬉しい。あとブルーノート東京の接客には昔からあまり良い印象を持っていなくて、同じような感想を持つ人も少なくないようですが、今回はフロントもホールもスタッフがみんな親切で気配りも行き届いているように感じました。ひょっとしてあれもパット・メセニー効果なのでしょうか。

PAT METHENY with ANTONIO SANCHEZ, LINDA OH & GWILYM SIMCOCK at Bluenote Tokyo, May 2016

この夜のライブで印象的だったことで最後に書いておきたいのは、ある一人の観客のおじさん(つか、私もおじさんなんだけど)のことです。その背の高いおじさんは気合の入ったメセニーファンだったのでしょう、メセニーグループの有名な曲になると身体をもう前後左右に大きく揺すってノリノリで鑑賞しています。ほとんどクラブで踊ってる状態。

でも運悪くその後ろに座った観客は、おじさんの姿勢が一向に安定しないせいで視界が常に遮られてしまうらしく、相当気の毒でした。おじさんは、頭を右に左に、そして何か食べるために前に、ワインを飲むためにのけぞって後ろに、といつも動いています。パット・メセニーのファンなら、みんなに等しくステージを楽しむ機会が与えられるよう、配慮してほしい、と思いました。

そのおじさんはワインの飲み過ぎか、時々トイレに行くこともありました。そして懐かしいナンバーの演奏がはじまると身体を前後左右にノリノリで揺すります。懐かしいあの時代、大好きだったあのパット・メセニー。あのメセニーがいま、ここにいる。そのことに興奮していた人は(私も含めて)少なくないでしょう。しかし、恐らくパット・メセニーは何かを懐かしいと思って演奏している瞬間は1秒もなかったんだろう、と思いました。

おじさんは多分、昔のメセニーを思い出して、その姿を現在のメセニーに重ねていた。あのおじさんは本当に耳をかっぽじって演奏を聴いていただろうか。そして当のメセニーは、昔のことなんかどうでも良くて、現在のことしか考えていないように見えた。今自分が出している音しか聞こえていないはず。その対比が印象的でした。

数字で感じる

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以前ベン・モンダーがMy Music Masterclassの教則動画(Ben Monderの教則ビデオについて)で面白いことを言っていました。

例えばCメジャーキーの各コードのトライアドのフォームを覚えるとします。その時彼は、「CMaj7, Dm7, Em7…」と口に出して覚えることはしないと語っていました。代わりに、「1, 2, 3…(One, Two, Three…)」と声に出して覚えるとのこと。

具体的なコードネームを口に出して言いながら弾く(”D flat major…”等々)練習は、以前習っていた先生に勧められてやっていたことがあるのですが、それはそれでためになった練習でした。声に出して練習するのは、何かと良いことがあるように感じます。

Db, F, Ab, C…と実音を口に出したり、Do Mi So Ti..などと移動ドで口に出して言う・歌うのも大事な練習だと思います。

話を戻すとベン・モンダーがトライアドの各種ポジションを「1, 2, 3…」などと「数字で」覚えるようにしているのは、どうもコードの機能とトーナル・センターをより強く感じ取る・聴き取る・意識するためではないかと動画を見ていて思いました。

どういうことかというと、C Major Keyの場合、「1, 4, 5の和音」のクオリティはメジャー。「2, 3, 6の和音」のクオリティはマイナー。「7の和音」のクオリティはディミニッシュ。自動的にそうなる。各コードの実名も大事だけれども、クオリティ(=コードタイプのこと)と調性内での機能を感じるところにポイントがあるようでした。

トライアドでなくセブンスコードの場合、1, 4の和音はメジャー7th。5の和音はドミナント・セブンス。2, 3, 6の和音はマイナー7th。7の和音は自動的にマイナーセブンb7(ハーフディミニッシュ)。

この考え方をアイオニアンだけでなく、メロディック・マイナーやハーモニック・マイナーにも適用する。例えばハーモニック・マイナーの場合、6の和音はメジャー7thで機能はサブドミナント・マイナー(専門家は違う呼び方をする人もいる)。3の和音はメジャー7th(#5)で機能はトニック(専門家はMediantと呼ぶかもしれないけど要するに自分にとって説得力のある概念なら何でもOKでしょう)。

いま自分がいるトーナリティーは何か、いま鳴っているコードは何か、その機能は何か。それを一度に、一つの数字でラベリングする。ということだと思います。

何かKey in Fの曲を演奏しているとする(転調なしの)。その時Am7が鳴ったら、それを「3」として感じるのが大事。というか便利。ということなのだと思います。そいつはトニックだ。そいつの9thはb9だ。フリジアンだ。等々。そしてこれに慣れると転調にも対応しやすくなる。はずだ。と考え、結構前からこの「数字で感じる」練習を続けているのですが、これはとても良い練習だと感じています。

ソフトケース考

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これまでに使ったことのあるエレキギター用ソフトケースについて書いてみたいと思います。ちなみに私は移動時にハードケースを使うことはありません。だって重いし、演奏前に握力を終わらせてしまうわけにはいかないからです。何かこういうハードケースを背負うためのアタッチメントも存在するようですが、重いのはやっぱり嫌。

世の中には様々なソフトケース(ギグバッグ)があって悩むのですが、大学生の頃先輩のアドバイスで最初に買ったのはMooradian(ムーラディアン)だったと思います。これは高かったのですが実に長持ちしているので良い買物だったと思います。

他にフルアコ・セミアコ用のギグバッグで代表的なメーカーというのは、大体以下の4つでしょうか。NAZCA(ナスカ)、Mono(モノ)、Mooradian(ムーラディアン)、SKB。他にReunion Blues(レユニオン・ブルース)というのもいいと最近聞いたことがありますが、私は使ったことがないし実際に使っている人も見たことがありません。

上のメーカーのバッグはどれも特徴があり、一長一短です。一言で乱暴に形容すると次のような感じでしょうか(私の主観です)。

  • 安定のNAZCA
  • トータルバランスのMono
  • 軽さのMooradian
  • 地雷のiGig
  • コストパフォーマンスのSKB

ギグバッグに何を求めるかは人によって違うので正解はないでしょう。「軽さ」を最重要視するならムーラディアン一択。プロテクション性能と価格のバランスを考えたらMonoだし、レスポールのようなソリッドで多少作りがショボくても十分にプロテクション性能があって軽量で安いものが欲しいならSKBのソフトケースがベストチョイス、と感じます。

悩みたくないならナスカを選んでおけばそこそこ安心。国内メーカーなのでサポートも充実しているし確かオーダーメイドもできたと思う。ただしバッグ内の生地がギブソン系のラッカー塗装に影響を与えるという話を聞いたこともあるので注意。iGigは、個人的には無理。何故なら手で持つためのループがないから。ショルダーしかない。微妙に不便。

ムーラディアンはフルアコ用もセミアコ用もほぼ同じ製品。Monoはプロダクトによって内容が違って、重さが気にならないならm80が良いし、最軽量がいいならVertigo。ただしVertigoは荷物がたくさん入らない。シールドを入れたら楽譜が入らない場合も。同じスリムタイプならGuitar Sleeveのほうが荷室は容量が多いのでおすすめ。

プロテクション性能的にはMono=iGig=SKB>Nazca=Mooradianという印象。満員電車の中でガンガン人に蹴られる可能性があるならムーラディアンよりMonoのほうが良いかも。ちなみにムーラディアンは荷室も広く楽譜やシールドその他もたくさん入る。ただしエフェクターのようなものはボディがヘコむからやめたがほういいと思います。

 

 
結局のところ、何を優先させるかという話になると思います。全ての条件を満たしている製品というのはなかなかない。とにかく丈夫なものか。とにかく軽量なものか。それともそこそこのトータルバランスか。自分が何を求めているかをよく吟味して考えて選択するのが良いと思います。

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