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Drop 2 ヴォイシングの効率的なおぼえかた

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Drop 2 ヴォイシングを制する者はジャズギターを制する。と、そんなことは誰も言っていないのですが(笑)、個人的にこういう基礎的なことが本当に後々まで効いてくることを痛感しています。これが全てではないにしても、これに精通していないと話にならない局面はたくさんあるのではないでしょうか。

そしてたまに耳にするのが、Drop 2は4つの転回形と3つの弦セットの合計で1つのコードタイプにつき12個のフォームがあり、えーとメジャーとマイナーとドミナントセブンスとマイナーセブンフラットファイブとメジャー#5とマイナーメジャーセブンスとかあるから少なくともx6で72個のフォームがあり俺はジャズギターを諦めた。という話です。

いや、確かにいっぱいあるのは事実だとしても、全てを一気に「丸暗記」しようとするからいけないのではないか、と思うのです。

例えばです。これはたぶん誰でも知っているはず。5弦ルートのCΔ7のルートポジション。素敵なサウンドではないかもしれないけれど、絶対に見えないといけないフォームのひとつ。

Drop 2 ヴォイシングの効率的なおぼえかた

次のこれは、4弦ルートのCΔ7。5度からはじまる第2転回形。

Drop 2 ヴォイシングの効率的なおぼえかた

次のこれは、6弦ルートのCΔ7。これも5度からはじまっていて、1オクターブ違いなだけで音名は上と同じ。

Drop 2 ヴォイシングの効率的なおぼえかた

これら3つをバラバラに、やみくもに暗記しようとするから「大変だー」と思うのではないか。というか、私がそうでした。本にいっぱいこういうフォームが書いてあって、一度は挫折しました。でも結局、それは丸暗記しようと思っていたからダメだったんだと思います。

ある時、気付いたのがこういうことでした。いろいろ練習しているうちに、法則を見つけたのです。例えば5弦ルートのCΔ7のルートポジションのうち、黒丸の部分だけを残し、赤丸の部分を1オクターブ上に移動させたらどうか。あら、4弦ルートのCΔ7、第2転回形ができちゃった。

Drop 2 ヴォイシングの効率的なおぼえかた

同じように5弦ルートのCΔ7のルートポジションのうち、黒丸の部分だけを残し、赤丸の部分を1オクターブ下に移動させたらどうか。あら、6弦ルートのCΔ7の第2転回形ができちゃった。

Drop 2 ヴォイシングの効率的なおぼえかた

Cのダイアトニック・セブンス・コードをさらってみよう…(譜面はクリック・タップで拡大します)

Drop 2 ヴォイシングの効率的なおぼえかた

と、こうやって考えながら覚えたほうが効率的で、しかもCΔ7ならCΔ7で一気に周囲のちょっとだけ広い音域で構成音を見られるようになったのでした。

勿論、転回形もやります。他のコードタイプもやります。でも頭カラッポで丸暗記するんじゃなくて、考えながら、音を聞きながら、何らかの法則を発見しながら練習すると、すごく速かった。楽しくなった。この例に限らず、こんな感じで「なるほど!」と自分の頭で考えながら練習をするようになったのが、私のギター人生におけるブレークスルーだったように思います。そしてこういう発見は今でも続いています。

今ではコードが山ほど羅列されているテッド・グリーンの有名なコード本などを楽しく開くこともあるのですが、ジャズギターをはじめた学生の頃、そういうのはもう見るだけで気絶しそうになりました。こんなの覚えられるわけないだろ、と。実際、しばらくギターをやめたこともあります。

覚えないといけないことがいっぱいあっても、一度に全部覚える必要はないのだし、実際に自分の声として使えるようになるのは少しづつだし、山ほどたくさんのことを浅く覚えても全く役に立たない。でも自分の頭で考えて理解したことは、小さいものであっても確実に使いこなせる表現手段になると思います。結局それを積み重ねていくしかないのではないか。

Ted Greene: Chord Chemistry: For Guitar
Alfred Music (2016-02-25)

I fear not the man who has practiced 10000 kicks once, but I fear the man who has practiced one kick 10000 times. – Bruce Lee

私は1万種類のキックを1回だけ練習した男は恐れないが、1種類のキックを1万回練習した男を恐れる。ブルース・リー


スーパーインポーズをわかりやすく説明する試み

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ジャズの入門段階を過ぎた人で、楽曲のアレンジやアドリブ演奏の際に「スーパーインポーズ」というアイディアを駆使して表現の幅を広げている方は多いでしょう。このスーパーインポーズという考え方を、馴染みのない方に平易に説明するのが難しく感じる時があります。なんとかうまく説明できないものか。

例えば下の写真。白い地面(塩ですw)と、空が写っています。譜面に「Cm7」と書いてある時、Cm7のボイシングやコードトーンを中心に考えることは、この写真の中の白い部分だけに着目するような感じでしょうか。Cm7、C minor pentatonic, C Dorian, C Aeorian等々。ごくあたり前の発想。

スーパーインポーズをわかりやすく説明する試み

でも地面の上には、雲や空があります。そこにはEbMaj7やGm7があったりします(アッパーストラクチャー)。スケール的に考えるとG minor pentatonicや、D minor pentatonicもあるかもしれません。これらは、ある意味で初期的に、自動的に与えられている選択肢です(いま自分がいる宇宙がドリアン星雲なのかエオリアン銀河なのかといった問題はあるとしても)。

ではこういうのはどうでしょう。Cm7の上で、誰かが唐突にC#m7の分散を弾いたとする。これは、何処から出てきたんだろう。

スーパーインポーズをわかりやすく説明する試み

Cm7という記号が初期的に与えてくれる世界からは、C#m7はどうも簡単には出てきそうにありません。空を見上げても、地面を掘っても、C#m7は見つからない。

しかし垂直な考えから一旦離れて、時間の中に身を置いてみる。するとこんなことが起こっていたりします。上段がスーパーインポーズ、下段が元々のコード進行。

スーパーインポーズをわかりやすく説明する試み

これは「枯葉」のチェンジに対するカート・ローゼンウィンケルのスーパーインポーズ例らしいのですが(Jazz Guitar Book vol.29収録)、結局最初のC#m7だけを見ていてもわかりません。突如として頭上に登場したC#m7は、実はもっと大きい木の一部なのであった…というお話。Cm7-F7の部分は、F7の2-5分割としてインサイド。C#m7-F#7は自然にそこに下降できる。

さらに同じパターンの下降を繰り返し、この写真の外側ではAm7にたどり着きます。つまり、上下・垂直にではなく、横に、水平に発想しているわけです。そして「この流れを語る」という強力な意志と、それを支えるドライブ感とテクニックがあれば、聴いている人は「わおー」と思ってしまう。

こういう発想法はチャーリー・パーカーやコルトレーンの頃からあり、特に目新しいものではないかもしれませんが、現代でも強力に通用する面白いコンセプトだと思います。ここにあるのは「複数性」の1種であるとも言えるのではないか。1つの宇宙に対して、別の宇宙を重ねる。平面を立体にする。そしてそれを「水平な論理」を使ってやってみる。

これはストーリーテリングが大事だ、という話とも繋がると思います。話の流れ・展開に必然的なロジックがあり、勢いがあるなら、途中は何がどうなろうともサウンドする、とよくパット・メセニーが言っているあれです。

あるコードの自然なアッパーストラクチャーを観察していくことと、横の流れを意識して全体を語り直していくことには、やはり大きい違いがあると思います。

ところで最近話題の「ネガティブ・ハーモニー」と呼ばれるものを使ったアプローチには、「初期的かつ自然的に取得しうる代替的な選択肢」と「水平方向のストーリー性」の両方が備わったような不思議な魅力を覚えます。例えば、元々のメロディが持っている水平方向への推進力に、音程の特殊な鏡像を同居させる。するとすごい効果が生まれる。最近この本を読んでいるのですが、めっちゃ面白いです。

ネガティヴ・ハーモニーをギターで攻略(CD付)
田中 裕一
シンコーミュージック
売り上げランキング: 1,353

スーパーインポーズのための新しい発想法としてかなり刺激的です。お前は何の話をしているんだ、でもなんか面白そうだ、と思われた方は、こういうワークショップに参加してみると発見があるかもしれません。

筆者の田中裕一氏が直接解説して下さるはず。楽曲が持つ元々の構造を活かしつつ先端的なリハモサウンドを得たい、という方はきっと多くのヒントが得られると思います。

ジョン・アバークロンビーのドキュメンタリー Open Land - Meeting John Abercrombie

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ジョン・アバークロンビーのドキュメンタリー映像作品”Open Land – Meeting John Abercrombie”を観ました。ジャズギターフォーラムのアバークロンビースレッドで教えていただいたものです。6月15日ECMからリリース(米国発売は8月3日予定)。90分の作品で、リージョンコード0。日本のDVDプレイヤーでも観られます。英語。字幕は独語・仏語・スペイン語。Full HD 16:9 PCM Stereo DTS 5.1という仕様。

ジョン・アバークロンビーのドキュメンタリー Open Land - Meeting John Abercrombie

YouTubeにトレイラーがあります。アバークロンビー氏と肩を並べて散歩しているような距離感、氏が運転するクルマの助手席に座っているような親密な雰囲気です。アバクロ先生へのインタビュー、ニューヨークやコネチカットの美しい風景に、彼がECMに残した演奏が重なります(トラック数は20)。”Another Ralph’s”はまるごと1曲ライブを収録。冗談交じりのMC付き。コットンクラブでもジョーク飛ばしてたな…

アバクロ先生の死は、もう克服したと思っていたのですが、見ていたら涙が出そうになりました。知らなかったエピソードもたくさんありました。彼の出自や、セロニアス・モンクとの思いがけない接触、火事で行方不明になった猫の話。…

インタビューの継ぎ接ぎではなく、立派な映像作品。映画館での鑑賞に耐える素晴らしい編集。監督がアバークロンビーの音楽世界を本当によく理解しているのだと思います。彼のECMでの録音を映像化したかのような雰囲気で、アバクロ先生が大事にしていた”flow”があります。癒やされます。ニューヨークの雪、機上の雲、海上の蜃気楼…

アバークロンビーファンは必見でしょう。何回でも観られる内容だと思いました。次は練習に疲れた日に酒でも飲みながらまた見よう。

なおこのDVD、日本のamazonはストックする気がないのか、いくら待っても入荷しないので海外のマーケットプレイス出品者から購入しました。到着まで2週間以上かかりましたが、こののんびり加減もまたアバクロ先生らしい気がしました。

Open Land: Meeting John Abercr [DVD]
売り上げランキング: 151,775

スーパーインポーズをわかりやすく説明する試み

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ジャズの入門段階を過ぎた人で、楽曲のアレンジやアドリブ演奏の際に「スーパーインポーズ」というアイディアを駆使して表現の幅を広げている方は多いでしょう。このスーパーインポーズという考え方を、馴染みのない方に平易に説明するのが難しく感じる時があります。なんとかうまく説明できないものか。

例えば下の写真。白い地面(塩ですw)と、空が写っています。譜面に「Cm7」と書いてある時、Cm7のボイシングやコードトーンを中心に考えることは、この写真の中の白い部分だけに着目するような感じでしょうか。Cm7、C minor pentatonic, C Dorian, C Aeorian等々。ごくあたり前の発想。

スーパーインポーズをわかりやすく説明する試み

でも地面の上には、雲や空があります。そこにはEbMaj7やGm7があったりします(アッパーストラクチャー)。スケール的に考えるとG minor pentatonicや、D minor pentatonicもあるかもしれません。これらは、ある意味で初期的に、自動的に与えられている選択肢です(いま自分がいる宇宙がドリアン星雲なのかエオリアン銀河なのかといった問題はあるとしても)。

ではこういうのはどうでしょう。Cm7の上で、誰かが唐突にC#m7の分散を弾いたとする。これは、何処から出てきたんだろう。

スーパーインポーズをわかりやすく説明する試み

Cm7という記号が初期的に与えてくれる世界からは、C#m7はどうも簡単には出てきそうにありません。空を見上げても、地面を掘っても、C#m7は見つからない。

しかし垂直な考えから一旦離れて、時間の中に身を置いてみる。するとこんなことが起こっていたりします。上段がスーパーインポーズ、下段が元々のコード進行。

スーパーインポーズをわかりやすく説明する試み

これは「枯葉」のチェンジに対するカート・ローゼンウィンケルのスーパーインポーズ例らしいのですが(Jazz Guitar Book vol.29収録)、結局最初のC#m7だけを見ていてもわかりません。突如として頭上に登場したC#m7は、実はもっと大きい木の一部なのであった…というお話。Cm7-F7の部分は、F7の2-5分割としてインサイド。C#m7-F#7は自然にそこに下降できる。

さらに同じパターンの下降を繰り返し、この写真の外側ではAm7にたどり着きます。つまり、上下・垂直にではなく、横に、水平に発想しているわけです。そして「この流れを語る」という強力な意志と、それを支えるドライブ感とテクニックがあれば、聴いている人は「わおー」と思ってしまう。

こういう発想法はチャーリー・パーカーやコルトレーンの頃からあり、特に目新しいものではないかもしれませんが、現代でも強力に通用する面白いコンセプトだと思います。ここにあるのは「複数性」の1種であるとも言えるのではないか。1つの宇宙に対して、別の宇宙を重ねる。平面を立体にする。そしてそれを「水平な論理」を使ってやってみる。

これはストーリーテリングが大事だ、という話とも繋がると思います。話の流れ・展開に必然的なロジックがあり、勢いがあるなら、途中は何がどうなろうともサウンドする、とよくパット・メセニーが言っているあれです。

あるコードの自然なアッパーストラクチャーを観察していくことと、横の流れを意識して全体を語り直していくことには、やはり大きい違いがあると思います。

ところで最近話題の「ネガティブ・ハーモニー」と呼ばれるものを使ったアプローチには、「初期的かつ自然的に取得しうる代替的な選択肢」と「水平方向のストーリー性」の両方が備わったような不思議な魅力を覚えます。例えば、元々のメロディが持っている水平方向への推進力に、音程の特殊な鏡像を同居させる。するとすごい効果が生まれる。最近この本を読んでいるのですが、めっちゃ面白いです。

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スーパーインポーズのための新しい発想法としてかなり刺激的です。お前は何の話をしているんだ、でもなんか面白そうだ、と思われた方は、こういうワークショップに参加してみると発見があるかもしれません。

筆者の田中裕一氏が直接解説して下さるはず。楽曲が持つ元々の構造を活かしつつ先端的なリハモサウンドを得たい、という方はきっと多くのヒントが得られると思います。

山根明の魅力

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ここ数日、日本ボクシング連盟の終身会長・山根明氏が話題である。勿論、奈良県の選手を優遇したり、オリンピックの大事な試合に政治的な権力を持ち込むといった行為について、正義を愛する男であるこのジャズギ・タブログは憤っているのだが、それと同時に、この山根明という男の言葉に、得体の知れない不思議な魅力を感じてしまっているのもまた、事実なのである。だから、唾棄する前に向き合っておきたいのだ。

山根明の魅力

ジャズという音楽の文脈で言えば、それは「フレージング」に関係することである。各種インタビューに答える山根氏の言葉を、頭の中で音楽語法的なものに置き換えてみると、この人はかなり独特な個人言語(idiosyncracy)を獲得した人ではないか、と思わされる。彼は、良くも悪くも、自分の言葉で話している人間なのだ。

いちばんわかりやすい例は、私は、歴史に生まれた、歴史の男でございます。という表現である。歴史に生まれた、歴史の男。これを聞いた瞬間、たぶん9割以上の人が、お前何言ってんだww と思ったに違いない。意味わかんねーよ、と。私も、そう思った。だがしかし、山根氏がこの音列…いや、単語を並べる時のフロウ、ドライブ、抑揚は見事なもので、聴くものの心にスッとこのフレーズを届けてきたのである。

私は、歴史に生まれた、歴史の男でございます。

いや、もう何言っているか全然わかんない。でも、それでもいいのである。何の音を弾くかなんて、究極的にはどうでもいいことなんだ、とパット・メセニーは言っていた。大切なのは、正確かつ必然的なポケットに音を落としこむリズムとフロウ、そして「意味の垂直な解釈」を置き去りにするような、ホリゾンタルなドライヴ、駆動力なのである。

山根氏の「歴史に生まれた、歴史の男でございます。」には、それがあった。一体何が言いたいのか。本当のところは、誰もわからない。マイクを向けた人も、カメラで撮っていた人も、恵俊彰も宮根誠司も、彼が何を言いたいのか理解できない。国民も理解できない。私達一般の人間には多分理解できない。というか、山根氏自身もまた、自分のフレーズを理解していない可能性さえ否定できない。

だが、それでもいいのである。「歴史に生まれた、歴史の男でございます。」は、音楽学校の試験では、恐らく100点満点中20点くらいしかもらえないフレーズだろう。なめらかなボイス・リーディングという観念がない。何かうまくつながっていない。音程で言えば、完全5度を3回連続させてみたような、コードで言えばCMaj9(13)omit3,7のような、開かれたオープンなサウンドである。

マイナーなのかメジャーなのかすらわからない。b7なのかM7なのかもわからない。私達は、安心できない。怖い。それでいながら、山根氏は自信たっぷりに、揺るぎなく、何の疑問もなく、言い放つのである。

私は、歴史に生まれた、歴史の男でございます。

これはもう、セロニアス・モンクとか、ジョー・ディオリオとか、ジョン・ゾーンとか、最近で言うとメアリー・ハルヴァーソンのような音楽家の表現に近い。何か本人にしかわからないようなロジックがある(※ない場合もある)。躊躇せず、恥ずかしがらず、もうそれをはっきり言うのだという強力な意思とともに、言う。

歴史に生まれた、歴史の男でございます。

こういう表現は、やはり眩しい。勿論、こういう表現をする人間が集団の中で権力を握ってしまうと誰も逆らえなくなってしまい、この人を含む共同体は「超論理集団」に近づいていくのかもしれない。それはそれで大きい問題なのだが、山根明氏を音楽的な表現者の文脈で捉え直してみると、なんとも魅力的なプレイヤー像が浮き上がってくる。

ジャム・セッションに出かけていって、本当にギターがうまい人、本当に洗練された音楽表現をする人は、1年に1度くらい目撃することがある。しかし、こういう「歴史に生まれた、歴史の男」タイプの表現者に遭遇するのは、決して多くはない。多くて3年、いや5年に1度程度。たまに「こいつは…!」と思うことがあっても、ただのハッタリ野郎であることもある。

山根氏は、本物なのか。それともニセモノなのか。それはこれから判断が下されるものと思われるが、私の中で、この人のフレージングは今のところ、モノホンのコーナーに仕分けされている。

#MeToo の現代から振り返るエミリー・レムラーの人生

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JazzTimesが「エミリー・レムラーの盛衰」という記事を掲載しています。#MeToo とTime’s Up運動の現代から彼女の人生を振り返ってみると、レムラーの死後30年近く経った現代でも女性の立場は何も変わっていない、という内容で、彼女自身や当時のパートナー、批評家との会話、インタビューでの発言などが紹介されています。

エミリー・レムラーは1990年5月、ツアー先のシドニーのホテルにて「心不全」で死去。心不全の原因はドラッグの濫用だったと言われています。では、ドラッグの濫用は何が原因だったのか。記事を読んでいると、それは男性中心主義社会での葛藤、女性差別と大きい関係があったのではないかと思わされます。

プレイしている時、自分が女の子なのか、犬なのか、猫なのか、他の何なのかなんてわからない。私はただ音楽を演奏しているだけ。私が女であることを気付かされるのは、ステージを降りた時です。

(1983年暮れ、カナダ・ラジオのインタビューにて)

(女性として、受け入れられるためにより多くの努力が必要だったかと聞かれて) 今でも頑張っています。まだそれを打ち負かしきれてない。冗談やめてよ。今では、私はちゃんと弾けると思われている。でも毎回毎回、自分の能力を証明しないといけないの。

(1985年5月、ジャズ著述家Julie Coryellとのインタビューにて)

彼女は最初、あまり自分に自信を持っていなかった。また彼女はとても負けず嫌い(comeptitive)な人間だった、彼女があんなに成長していった背後にはそういう駆動力があったと思う。彼女は自分の能力を超えるような演奏をして、自分に何ができるかを証明しなければならないような状況に進んで自分を追い込んでいったものだ。

(当時のパートナー、Steve Masakowski談)

彼女はパーティーライフに弱いところがあった(…) 僕たちの関係がはじまった当初、ライフスタイルは健康的なものだったよ。僕は彼女に禁煙させることに成功さえしたんだ。でもパーティー好きな連中と遊ぶようになって、物事が悪くなってしまったんだ。

(同上)

面と向かって、私が女だからという理由で雇えないと言ってきたバンドリーダーが本当にたくさんいた。本当に多くの場面で、私は音楽的に信頼されなかったし、子供用のグローブで扱われた。

私はニュージャージー出身の可愛い女の子みたいに見えるかもしれない。でも中身は50歳の、ガタイが良くて親指がデカい黒人男だから。ウェス・モンゴメリーみたいなね。

(1982年春、People誌にて)

彼女は多くの男性ミュージシャンの嫉妬を買い、恨まれたんだ。プライドの高い男たちが、この小さい女の子がいつも連中より上手く弾くのが気に入らなくて、彼女の足を引っ張っていた。

(Bob Moses、ドラマー)

(ドラッグがあると)最前列に座っている男が自分のことを嫌いかとか、どうでも良くなるの。ちょっとのあいだは女でないといけないけど、その後すぐに効く。考えられないくらいの違いがあるよ。

(批評家Gene Leesとの会話で)

エミリー・レムラー以後、女性のホーン奏者、ピアニスト、ベーシスト、ドラマーは増えてきたものの、卓越した女性ギタリストはまだ少ない、2018年現在すぐに思い浮かぶ名前はチリ出身のカミラ・メサ、カリフォルニアで活動するミミ・フォックス、メアリー・ハルヴァーソン、レニ・スターン、レムラーをヒーローと崇めるシェリル・ベイリーくらいである、と同記事は締めくくっています。

Wolf Marshallというギタリストは、著書で彼女を次のように評しています。

While certainly a great female guitarist, Emily Remler will always be remembered as a great guitarist, period.

エミリー・レムラーが偉大な女性ギタリストだったのは間違いないが、彼女はずっと1人の偉大なギタリストとして記憶されることになるだろう。以上。

ギブソンがCEOを募集中。勤務地はナッシュヴィル

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ギブソンと思われる企業がExec Threadというサイトに求人広告を打っています。勤務地はナッシュヴィルで、職位はCEOです。

Gibson Flying V

【勤務地】

  • グレーター・ナッシュヴィル・エリア(本部)

【役職】

  • CEO/プレジデント、オペレーションズ、ストラテジー

【要項】

  • 主要なコンシューマー・プロダクトを扱う会社での勤務経験必須
  • 知名度のあるブランドでの経験(デジタル及びソーシャル・エンゲージメント、eコマース含む)必須
  • 補完的ビジネスの買収及び統合に関する経験あればなお可
  • プライベート・エクイティの経験(成功したイクシット含む)あればなお可
  • 音楽産業での経験あればなお可
  • グローバル・プレミアム・ブランドでの損益計算書作成経験あればなお可

 
【ダイレクトレポート】

  • 9名

【出張】

  • 10%以下

私も状況さえ許せばギブソンの再興に力を貸したいところですが、最近忙しいためこの案件は見送ることにします。興味が湧いた方はすぐに履歴書を送ってみましょう。

自分にとって音楽は「生きがい」になりうるか

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海外掲示板Redditで、”Ikigai”(生きがい)という日本的な価値観を説明している面白い図表を見かけました。「音楽と自分」との健全な関係を考える上でも役立つものだと思えたのでご紹介します。

“Ikigai”の図

これがよく出来ている図なのです。まずばっとご覧ください。”Ikigai”という文字の下に、A Japanese concept meaning “A Reason For Being”(「生きている理由のひとつ」を意味する日本的概念)と書かれています。どうもこの”Ikigai”という概念は、欧米の人々にとっては珍しいものらしいです。

自分にとって音楽活動は「生き甲斐」になりうるか
source : Reddit

英語で書かれている部分を解説します。円のいちばん外側の部分から左回りに、次に内側の部分を左回りに、という順番で書き出します。

いちばん外側の領域の説明

What you LOVE あなたが好きなこと(=
What you are GOOD AT あなたが得意なこと(=スキル・才能
What you can be PAID FOR あなたがそれによってお金をもらえること(=報酬
What the world NEEDS 世界が必要としていること(=需要

外側から1つ手前の領域の説明

PASSION 情熱
PROFESSION 職業
VOCATION 天職
MISSION 使命

中心の”Ikigai”に隣接する4つの領域の説明

“Delight and fullness, but no wealth” 喜びと完全性、だが富がない
“Satisfaction but feeling of uselessness” 満足感、だが役に立っていないという感覚
“Comfortable, but feeling of emptiness” 居心地が良い、だが空っぽな気持ち
“Excitement and complacency, but sense of uncertainty” 興奮と充足感、だが不確かな感覚

生きがいとは?

自分にとって音楽活動は「生き甲斐」になりうるか
source : Reddit

この図の見方ですが、いちばん外側の4つの円が全てが重なっていれば”Ikigai”(生きがい)がある状態になるようです。好きなこと(LOVE)をやっていて、それが上手(GOOD AT)で、報酬(PAID)も発生してその仕事が必要(NEEDS)とされている場合。

しかし4つの円すべては重ならないものの、3つだけ重なっているケースもあるはず。例えば、私がフリージャズを志向するギタリストだとします。それをやるのが好きで、しかもそのスキルがあるとします。しかし現代の東京でフリージャズは必要とされておらず、お金ももらえないとします。この場合私は「好きなこと」と「得意なこと」のみが重なる領域、すなわち「情熱」という領域で活動していることになります。

他の例。仮に私が、ホテルのラウンジでBGM的なギターを弾くことを専門にしているギタリストだとします。その音楽は、必要とされている。しかも私はそれを弾ける。そして報酬ももらえる。しかし、それは私が本当にやりたい音楽ではなかったとする。この場合の私が属しているのは「居心地が良い、だが空っぽな気持ち」というエリアです。世の中の役に立って、お金ももらえる。でも何かちょっと寂しい…

こんなふうに、この図からは「現在の自分の状態」を読むことができます。究極の理想は”Ikigai”の領域に至ることだとは思いますが、例えば音楽によって生計を立てる必要はないアマチュア・ミュージシャンにとって「喜びと完全性、だが富がない」領域にいることは、特段悪いことではないでしょう。

この図の中でいちばん辛いのは「天職」と呼ばれる領域であるように見えます。この場合の「天職」(vocation)とは、「運命」に近いものでしょうか。その仕事は世の中に必要とされていて、お金も貰えているが、決して好きなことではなく、それをやるスキルもない(あるいは誰でもできる)場合。

ただそういう状況に置かれた人でも、それを「好きになる」か「自分の得意分野にする」努力をすると、状況が少し変わってくるかもしれない(その結果「生きがい」領域に入ることができる)。

たぶんミュージシャンでいちばん多い悩みは、「愛」と「スキル」は何とかなっても(それは自分のことだから何とか変えられる)、世の中の「需要」や「報酬」はなかなか変えづらいというところでしょうか。

それでも何かに「需要」がない場合でも、それをこれから発生させることは可能なはず。そして需要が発生すれば報酬も発生するでしょう。というふうに、いま自分に何が欠けていて、何をやっていけばより充実した状態、”Ikigai”と呼ばれるものに近付けるのかをこの図から考えることができるように思いました。ミュージシャン、音楽教室の運営者、ミュージックバーの経営者等、多くの人に役立ちはしないでしょうか。


現代ジャズはなぜ大阪をスルーするのか

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コンテンポラリー系ジャズミュージシャンは、あまり大阪で演奏しない傾向があるらしいのですが、これは一体何故なのか。ラーゲ・ルンドやカート・ローゼンウィンケル、ジョナサン・クライスバーグが来日しても、かなりの頻度で大阪はスルー。名古屋や岡山や京都や福岡には行っても、大阪は何故かスルー。

大阪のギタリストの方に、こっちはそういう人が来てもお客さんが入らないんだ、と教えてもらったことがあります。よくよく考えると、不思議です。ブルーノート東京があるなら、ブルーノート大阪があってもいい。でも、ない。

Osaka in Tokyo #串カツ #串カツ田中 #二度漬け禁止 #nodoubledipping

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かわりに、名古屋にブルーノートがあります。

これは、特に驚くようなことではないでしょう。何故なら名古屋は東京から見るとb5 sub、すなわち裏コードのようなものであり、ほぼ対等な機能を有しているからです。東京が壊滅したら、名古屋が首都になります。これはもう、ずっと前からそういうことになっていて、私達に選択権はない。

そのため「ブルーノート名古屋」があっても何もおかしくはないのですが、東京に次ぐ人口を誇る大阪に「ブルーノート大阪」や「コットンクラブ大阪」がないのは少し謎なのです(ビルボードはあるけど…)。

9月にはカートがミスターケリーズで演奏するようですが、それでも現代ジャズはなんとなく大阪をスルーしているような印象があります。ジャズ愛好家人口・プレイヤー人口は東京の次に多いはず。それなのに何故だろう。という素朴な疑問があります。

聴覚と味覚

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音と色彩感覚が結びつく「共感覚」はよくある現象らしく、ロシアの作曲家アレクサンドル・スクリャービン、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンは強い共感覚の持ち主だったとして有名らしいです。特にメシアンの色彩感覚は、常軌を逸するような細かさで驚かされます(下の動画、0:49〜)。

私は凡人なのでここまで細かくはないのですが、#11thの音が暖色系(オレンジっぽい色)、b13thの色が冷たくて暗い水色(藍色)というマッピングが頭の中にできてしまいました。不思議なことにb13thと#5thは違う色で、後者は濃いオレンジ色を想起してしまいます(b13はテンションで#5は7thコードの基礎音の一部なので違って当然ではありますが…)。

ところで「味覚」についてはどうでしょうか。特定の音のタイプと「味」の結びつきについて語っている人は、私の狭い知識では知らないのですが(ご存知の方、教えていただけると幸いです)これもあっても全くおかしくないと思います。

例えばチョコレートケーキ。あれは、私にとってはルートと完全5度が強烈な、重厚な、ドーンとした味わい。ちょっといいチョコレートケーキだと、そこに完全4度も加わる。オレンジ味が少し混じっていたりすると、b7thが入っている感じ。スケールで言うと、ミクソリディアンが近いイメージ。もちろん、これは私の私的な感覚で、個々人によって違ってあたり前、違ったほうが面白いはず。

不思議なのが、タイ料理です。たとえば下は「ヤムママー」というタイの屋台料理。インスタントラーメンにレタスやひき肉やボイルしたエビや様々なハーブが入っていて、ナンプラーの醤油っぽい味もあれば柑橘系の酸っぱさもあり、辛さも砂糖の甘さもある、なんとも不思議な味です。

なんというか、機能がよくわからないコードのようです。例えるなら分数コード、複合トライアドのようです。D on Cのようなリディアン、F# on Cのようなコンディミっぽい組み合わせとか(リディアン系の印象が強い…)。

複雑なら良いというわけでもなく、もっとシンプルな、たとえば鶏の胸肉を、ざく切りにした生姜と塩を少々入れて沸騰させただけの料理などは、識別できる食材は3つしかなくても、とっても深みがあっておいしい。とはいえ、タイ料理やインド料理のようなスパイスの多い料理を食べている時、どれだけの数の食材を識別できるか、それをどう感じるかというのも自分の感受性と向き合う意味では良い経験ではないか。

チョコレートケーキやチョコレートブラウニーも、おいしいのですが、そればかりだと感覚が鈍るような気がしないでもありません。音楽以外の生活で何をどんなふうに感じているかは、やはり最終的に自分の音楽に影響してくるように感じています。

歴史の中にありながら服を脱ぐような演奏をしたい

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サキソフォン奏者の三木俊雄氏のヤマハのブログが終わっていたことを知って寂しい気持ちになっています。三木氏の言説は、これはそういうものなんだから、という「定説」や、偉い人がそう言っているんだから、という「権威」には拠らず、第一線で活躍されている方でありながらご自身の内側で発生する日々の疑問から生まれているように思えることが多く、共感とともに拝読させていただいておりました。

氏の7月8日のソニー・ロリンズに関する記事もまさにそうした共感を持ったところでした。

例えばあらかじめ練習したパターンや代理のコードチェンジをプレーの中に折り込む、というのは僕にとってかなりの不可能に近いほど難しい。いや、正確に言うならそれが自分の中で明確に聴こえてこない状態で吹こうとするとほぼ上手くいかないのを何度も経験している。まさに”I’ve tried”だ。I’ve tried many times.

ごく稀にたまたま失敗せずに吹けたとしても、何と言うか嘘をついているようで、あまりいい気分にはならない。しかしそれがふと自分の中で聴こえてきて、プレー出来たときは天にも昇る心地だ。

この「何と言うか嘘をついているようで、あまりいい気分にはならない。」というくだりは、私個人の長年の苦悩(そこから解脱するために練習を続けている 笑)を1行で表現してもらったような気がしました。

ジャズは本来的に「書かれた言葉」による伝承ではなく、聴覚による(auralな)伝承であるのは間違いないでしょう。平たく言うと、本で学ぶものではない。先人の演奏を、目の前で、あるいは録音で聴き、仲間の演奏を聴きながら、耳で覚えていく音楽。そこにはあるのはまず模倣であり、模倣による伝統の継承がある。好むと好まざるとにかかわらず、歌舞伎や落語のような伝統芸能的な側面がある。

しかし、コピーしたフレーズを実際の演奏で弾いてみても、「嘘をついている」ような気持ちに悩まされたものです。これは、ヘンな話でした。自分はウェスに、グリーンに、メセニーに、カートに感動した。だから彼らのフレーズを練習した。それを本番中に、あてはめてみた。でも、この嘘くささは一体何だ。俺は、これをやり続けたいのか。最初は、これができるようになって嬉しかったのに、この違和感は何だ…

そこで、そういう先人達のフレーズを封印し、アルペジオやボイス・リーディングを地道に研究し、クラシック音楽である程度まで方法論化されている変奏の方法を学んで、インターバルをやったり、色んなパーミューテーションを試したりと、抽象的な練習を開始します。そしてまた、人前に出て再チャレンジ。

でもそれは最初まったくうまく行かない。それは別の意味で「嘘っぽい」演奏でした。「歴史性」を拠り所にしない自分の表現は、無力で、オーラがなく、他人どころか自分でも感動できなかった。

ところが、ウェス風の裏コードを意識したフレーズとか、ジョンスコやヴィトウスからコピーしたコンディミ系のフレーズなどをそのまま弾くと、聞いている人は「やるじゃん、かっこ良いよ、迷いがなくて、キレキレだよ!」と褒めてくれるのでした。それはもう本当に複雑な気持ちでした。褒められるのは嬉しい。でも、あれは俺の中から出てきたフレーズじゃない。あれは、ただのモノマネなんだ…

でももうずーっとその両極を往復するような練習を続けてきました。そして、私の場合それは間違っていなかったと思っています。これからも「伝統と歴史」の求心力と、それに拮抗する自分自身の表現を持つことができるか、そのせめぎあいが続くのでしょう。どちらかだけだと、自分はダメになるし、あまり良い音楽は出てこない。

黙って偉い人の言っていることを聞いておけばいいんだよ、というAさんは論外。かといって反対に、俺は完全無欠のオリジナル人間だ、過去や他人に学ぶものなど何もない、などとドスを振り回すBさんの表現にオリジナリティがあった試しはない(モンクとジャコは珍しい例外だったかもしれないけど)。Aさんの音楽も、Bさんの音楽も、私はあんまり興味がない。

結局のところ、どれだけ過去や伝統を内面化できるか。血肉にできるか。それに尽きるのでしょう。内面化するためには、とにかく弾くしかない。聴くしかない。聴いて弾くしかない。そういえば最近、ラーゲやギラッドをよく聴くのですが、たまにケッセルやジョー・パスみたいなフレーズが出てきて驚きます。そして、それはやっぱり嘘くさい感じがないのです。

と、話がそれてしまいましたが、三木氏のブログはいつも私にこういう音楽の深いところを考えさせてくれました。遠からぬ将来にZ BLOGの再開に期待しております。

ガーシュウィンの「Summertime」はアフリカと東ヨーロッパの融合だった

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この時期に全国のセッションハウスでコールされることも多いに違いないジョージ・ガーシュウィンの名曲”Summertime”。個人的な名演はカート・ローゼンウィンケルの”Inuit”(1998)での演奏。「ポーギーとベス」というかなり悲惨なストーリーのオペラで使われる曲ですが、この曲にはベースとなる2つの歌があったようです。

まず最初は”Sometimes I Feel Like A Motherless Child”(時には母のない子のように)。伝統的な黒人霊歌で、歌詞の内容も「ポーギーとベス」と親和性があります(上の動画でベスが抱いている赤ん坊の両親は、嵐で死んでしまいます)。あと何と言っても出だしの”Sometimes…”という部分。もろに”Summertime…”とかぶります。

“Summertime”と”Sometimes I Feel Like A Motherless Child”は関係があるとは聞いていたのですが、もう1曲、”Summertime”に大きい影響を与えたものがあったようです。それはウクライナのユダヤ人達が歌っていたらしい子守唄です。ガーシュウィンはこの曲をニューヨークで聴いていたそうです。これは知らなった…なるほどなぁ、という感じがします。

アフリカと東ヨーロッパの混合。これがいかにもガーシュウィンらしいし、現代のジャズを考える上でも象徴的な曲だったのではないかと思ったりします。ジョージ・ガーシュウィンはニューヨーク生まれですが、父方の祖先がロシアのユダヤ人。母方の祖先がリトアニアのユダヤ人だそうです。現代ジャズはイスラエルとゆかりの深いミュージシャン達を抜きに語れないところがあるだけに、興味深いと思いました。

ぼんやりとした認識から、具体的な理解へ

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1年前から植物の鑑賞や栽培にハマってしまい、今年の春にはホームセンターで「とうがらし」の苗を買いました。最初はこんな小さな苗でした。いまからちょうど4ヶ月ほど前の姿。

ぼんやりとした認識から、具体的な理解へ

紆余曲折あったのですが、とりあえず順調に成長して…

ぼんやりとした認識から、具体的な理解へ

実が赤く熟してきました。

ぼんやりとした認識から、具体的な理解へ

収穫したものをどうすべか、と悩んでいた頃、好きでよく行く東京新宿歌舞伎町近くの「やんばる」という沖縄料理店で「これだ!」と思いつきました。「コーレーグースがいい」。

コーレーグースは「泡盛」に「とうがらし」を漬け込んだ調味料。「沖縄そば」にちょっと入れると、辛味と深みが出ておいしいのです。私はこれが好きで、ついゴーヤーチャンプルにもかけてしまいます。というわけで、amazonで沖縄産の、ラベルがかわいい感じの泡盛(「時雨」の600ml瓶)を買って、漬け込むこと2週間。時々、瓶を振りました。泡盛はだんだんと黄色く色づいてきます。

ぼんやりとした認識から、具体的な理解へ

これは当然、沖縄そばに入れて試したいので、「インスタントだがかなりうまい」と評判のマルちゃんの「沖縄そば」を買いました。これは前にも食べたことがあって、ベースとなる麺は「赤いたぬき」そのまんまなのですが、スープがかなり沖縄そばに近くて、めっちゃおいしいんです。他のメーカーの沖縄そばよりも断然沖縄そばっぽい味がする。

ぼんやりとした認識から、具体的な理解へ

「そば」とは言うものの、沖縄そばの麺はほとんどうどんに近い感覚ですが… まずはノーマルの状態で試食。これはこれで、このままでもかなりおいしい。スープがかなり沖縄そばっぽいです。麺は「赤いたぬき」そのまんまで笑えますが、マルちゃん、やるな…

ぼんやりとした認識から、具体的な理解へ

ではいよいよ、自分のベランダで育てたとうがらしから作った「コーレーグース」を投下。トポトポと入れてみます。そして実食… うまい! あと新宿の「やんばる」に置いてあるコーレーグースよりも辛い! うまい。やっぱり自分でつくったものは全然違う。

ぼんやりとした認識から、具体的な理解へ

いやー、素晴らしいですね。この記事で何を言いたいかというと、やっぱり自分で実際に試してみてはじめてわかることがたくさんある、ということです。例えばジャズのサウンドがなんとなくいいなと思っていても、具体的なジャズの練習をしなければ、その音の構成要素はわからない。

私達が普段食べているものも、様々な食材からできていて、普段なんとなく「コーレーグースというのはうまい、入れよう」くらいにしか思っていなかったのですが、実際に自分で作ってみると、「コーレーグース」という調味料の存在感が全く違ってきました。

 

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紅の新世界:X JAPANとドヴォルザークの空耳アワー

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ドコモのiPhone XのCMで高畑充希氏がX JAPANの「紅」(くれない)を熱唱しています。このCMは賛否両論あるようですが、私は好き。歌うますぎ!うまいけどいやらしさを感じない。ロングバージョン最後のあたりの、フェイド・インしてくる16分音符のビートと歪んだ「ぎゃぁあああああーーーー」という絶叫も素晴らしい。海辺で歌っているだけという超低予算でこのクオリティ。

「紅」のこの部分のメロディは下のような感じだと思います。批評研究目的で、部分を採譜。キーはG#mのようです。このメロディを聴いてまず思うのは、リズムがジャズとは全く違うなぁということです。頭からドンドンと入る。お祭りの太鼓のような、すごく日本的なグルーヴを感じます。※譜面は拡大できます。

X JAPAN 紅のメロディ

ところで「紅」のメロディに、チェコの作曲家ドヴォルザークの作品、交響曲第9番「新世界」第2楽章Largoに似た何かを感じるのは私だけでしょうか。ネットで検索してみたのですが誰もそんなことは言っていないので、個人的な感覚かもしれません。このメロディを「遠き山に日は落ちて」という歌詞付きで子供の頃に歌ったことがある方もいると思います。小学校の帰校時のチャイムだったような気も。

ドヴォルザークのメロディはDbなのですが、「紅」と同じキー(G#mの平行調であるB)に移調して書いてみるとこんな感じです。ほとんどメジャーペンタトニック。2度6度を足している感じで、セロニアス・モンクが弾きそうな牧歌的な雰囲気。ブルーノートは入ってないけどブルージー。

ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界」第2楽章Largo

せっかくなので同時に鳴らしてみます。私の頭の中でずっとこういうことが発生していたのですが、ほとんどこのまま成立してしまいそうだ… リズムもよく似ています。

紅の新世界

GuitarProのMIDI音源で出力してみました。紅の最初のメロディ→新世界→同時プレイ、という順番で再生します。


 

「紅」はマイナーで、新世界第2楽章はメジャーですが、どちらも「夕方」を強く感じさせるのも面白い。ひょっとすると「紅」がこれほど人気の曲となったのは、子供の頃のドヴォルザークの記憶と何か関係があるのだろうか…んなわけないかw

ElixirのPOLYWEBという弦を試してみた。ハーフラウンド好きにはオススメです

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あまり褒められたことではないのですが、すっかり弦を交換しなくなりました。メインギターの弦に至っては、たぶん1年くらい換えていません。昔は2週間に1度換えることさえあったのですが、この変わりようは何だ(笑)。ここ1〜2年、練習時間が増えているせいもあるのですが、さすがに音程が悪くなってきたのでお盆休みに交換しました。

普段はダダリオのハーフラウンド

普段メインギターに張るのはダダリオのハーフラウンド・EHR370。ゲージはミディアムの.011-.049で、これは私の定番弦になっています。.011, .014, .018, .028, .038, .049という構成。ラウンドワウンドとフラットワウンドのいいとこ取りをしたような製品で、迷ったらこれ。セミアコもフルアコもこのゲージが好き。ストラトやテレキャスだとロングスケールなので.010からの弦を使うことが多いです。

これ、すっごいいい弦です。使用人口が少ないせいか、お店であまり売っていなかったりするのですが、これがなくなったら困る。そのくらいお世話になっています。

Elixir POLYWEB Medium .011-.049

しかし今回は、以前にJazz Guitar Forumでお友達に紹介していただいたエリクサーの「POLYWEB」と呼ばれる弦を張ってみました。半年前に注文していたのですが、ようやく登場。これ、ダダリオのEHR370と各弦のゲージが全く同じなのでオクターブチューニングの心配もなさそうなのも嬉しい。

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エリクサーにはOptiweb, Nanoweb, Polywebという3つの製品ラインナップがあり、それぞれの特徴がパッケージの裏に書かれていました。

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こんな感じです。日本語訳はエリクサーの公式サイトから。

POLYWEB NANOWEB OPTIWEB
トーン 温かみのある音色 くっきりとした音色 クリスピーサウンド
フィール 極めて滑らかな弾き心地 滑らかな弾き心地 自然な弾き心地

つまりPOLYWEBは、多くの方が使われているであろうNANOWEBに比べると音色は少しハイがカットされていて、運指もより滑らかなのだろうなと予感させます。これ、ハーフラウンドの特徴そのまんまじゃないのかな…つまり私にはドンピシャな仕様。ダダリオより耐久性が良いのは間違いないでしょうから、これが良ければ乗り換えることになるかも(ダダリオさえ1年は錆びずに持ったのですが…)。

ゲージは普段のEHR370と同じですが、BOSS TU-12EXで一応オクターブチューニングをします。このチューナーは優秀で、最近はオクターブを合わせる時だけ登場する特別なやつ(笑)。開放弦と12Fの押弦音を合わせます。アナログな針の動きがわかりやすいのですごい便利です。

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お値段はちょっとするんですが、とても良いものです。たぶん一生使えそう。
 

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さて、POLYWEBを実際に数日弾いてみましたが、指に伝わってくる感じはダダリオのハーフラウンドEHR370とはだいぶ違います。EHR370はさすがに巻き弦がもっと滑らかで、フラットワウンドに近い感じ。エリクサーのポリウェブは、滑らかではあるもののナノウェブのラウンドっぽい感じもちょっと残っています。

ただ、音色は好み! ナノウェブだと私はちょっとトーンを絞りたいのですが、これはそのまま使える感じでした。難点があるとすれば、まだユーザーが少ないのか楽器店ではほとんど見かけないことです。通販だと買えますが、入手性の悪さはハーフラウンドと同じかもしれません。

 

手汗と指の油分の話

最後にちょっと手汗や油分の話。人によって掌や指からかく汗の量や油分が多かったり少なかったりするようです。私は多分、手汗がかなり少ないらしく、家にあるギターの弦が錆びたという記憶がありません。ただ、これはデメリットもあります。例えば、スーパーで買い物すると、白いビニール袋をもらうじゃないですか。あれがぴったりくっついている時、どうにも開くことができないのです。

指に油分があれば、それが摩擦力を高めて袋を開くことができるのですが、できません。そういう人を想定しているスーパーがあり、濡れた雑巾などを置いているところがあるのですが、私は濡れ雑巾を触る気になれません(雑菌が発生していて臭ったら嫌だから)。そのため、30秒〜1分くらい、ビニール袋を開くために格闘することがあります。あれは本当につらい…


おはぎの歌、だんごの歌

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某所にてエンドレス再生されていたとある歌が印象に残ったので、記録してみました。何かすごいんですよ。歌詞を検索してもヒットしないので、知名度はあまりないのかもしれませんが、「おはぎ」について歌っている「おはぎのテーマソング」のようなものかと思われます。キメの部分で歌われている「イッ、キュー、ルッ!!」という部分など、私には意味がわかりません。ご存知の方、ぜひ教えてください。

色んな意味で#キレッキレ

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「オッハギハギハギ、オッハギハギハギ、オッ・ハッ・ギッ」という部分のやりすぎなリズム遊びにギラッド・ヘクセルマンを感じるのは私だけでしょうか。この曲、映像の中のラジカセで他の数曲と一緒にエンドレス再生されていたのですが、中の食べ物屋さんで働いている方がこれをずっと聴き続けて精神に変調を来してしまわないのかとても心配です。

このラジカセを観察していたところ、今度は「だんごの歌」が聞こえてきました。これもすごい。これのどこがどうすごいかは、長年ジャズギターを弾かれてきたモニター前のあなたからすぐにわかっていただけるはずです。これ、やばいでしょう。簡単に脳から消えてくれません。

ダン、ダン、ダダンガダンゴダヨー。ダン、ダン、ダダンガダンゴダヨー。
ニッポンゼンコク、ダンゴオンドデ、ヒトオドォーリィ〜

この曲を24時間聞かされたら全て白状してしまいそうだ…

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たぶん演歌にルーツがあるような気がしますが、この独特すぎる歌い回しはどこから来ているんだろう。これは、作曲した人もすごいし、歌っている歌手の人も只者ではないという感じがします。歌詞を検索しましたが、この「だんごの歌」も知名度はないらしく、出自が全く不明でした。

「合いの手」で挿入される言葉は、オブリガートの参考になるかもしれ…いや、ならないかもしれません。

はっとするような表現はどうやって生まれるのだろう

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Jazz Guitar Forum(の一部の人しか見られない場所)にて「ギターにおけるソロ中の一撃必殺系な技というか、飛び道具的な技って何があるでしょうか」という興味深いご投稿があり、これはとても面白い話題だなぁと思いました(ご投稿ありがとうございました!)。場面転換を計る際にこれは絶対に考えないといけないワザだと思います。

はっとするような表現はどうやって生まれるのだろう

これは「はっとする」ような表現とも言えると思うのですが、そもそも人はどんな時にはっとするのか。それは「意外性」と関係があると思うのです。

それは主に2つのアプローチで考えられるような気がします(他にもあると思います。記事を書きながら私がすぐに想起したのがこの2つというだけのことです)。

  • ギター的な、本当にギター的な表現をやる
  • 逆にギター的ではない表現、ギターだと難しそうな表現をやる

前者について言うなら、例えばダブルストップのような表現(ダイアド=2音で重音を、特にブルージなフレーズで使う時に用いられることが多いと思います)。これに限らず「ギターならではの表現」はあると思います。これが出ると、オーディエンスはやっぱり「おっ」とか「おおおっ!!!」と思われる方が多いのではないか。ギター、カッコいい!! と。チョーキングのような奏法もそれに入るでしょう。アーミングも。

後者の「ギター的ではない表現」は、それとは反対の面白さがあります。どの楽器にも内在的な制限があるはずで、ギターだと前後5フレットくらいの領域で、6弦から1弦までが大体2オクターブくらいに収まるのが多い。そして、これは弾きやすい。

でもこれが3オクターブになると、続けてアルペジオを弾く場合など、運指にはストレッチが発生する場合があるので頑張って弾かないといけない。それに3オクターブの表現自体がどの楽器でもそんなに簡単なことではないはず。だから訴求力はあると思います。あとは完全4度を続けて弾こうとすると1弦1音になりかなり弾きにくい…

でもそういう派手なことをやる必要は、たぶん必ずしもないのでしょう。例えばジム・ホールの演奏などを聴いていると、ものすごく印象的な#11thの音が出たりします。それは、音価はちょっとだけ長い。8分休符の後に、付点4分音符という感じ出てきたりする。でも、ものすごくドキッとするようなリディアンの表現で、巨匠ジム・ホールの偉大さを噛み締めたりします。

自分が弾いている楽器が、ギターである。そこに立ち戻る。あるいは、自分が弾いている楽器の制限を超えるような表現をしてみる。逆説的ですが、このいずれかが「はっとするような表現」につながるのではないかという気がしています。

あとはやはり「コントラスト」でしょうか。例えば狭い音域でメロディが動くような密集した表現をしていたら、大きいインターバルを取り入れる。あるいはその逆。大きいリズムを使っていたら、細かいリズムを使う。頭から入る安定したリズムを多用していたら、裏から入るものを多用する。等々。「コントラスト」という概念は、音楽表現を考える上でもかなり大事ではないかと思います。

明と暗。密集と乖離。弱と強。短と長。などなど。楽しいですね! マイク・スターンがディストーション・ペダルを踏むのも、あれは「コントラスト」を欲している瞬間ではないでしょうか。

食べ物で私が経験した「はっとするような表現」

中華料理の「酢豚」にはパイナップルが入っていることが多いですが、これは個人的に「はっとした表現」です。果物を肉と一緒に炒めるという発想が自分にはなかった。塩気と甘さのある肉に対して、酸味のある果物を投入する。中華料理は偉大だなぁ、と思った瞬間でした。

あとは西ヨーロッパに滞在中、デザートのアイスクリームにミントの葉が載っていたものを食べた時。これも驚きました。そもそも日本ではミントの葉を使う料理がないということもありますが、甘いバニラのアイスクリームに、ちょっとツンとしたミントの葉が載るだけで、ものすごいコントラストが生まれていました(コントラストと言うか、アクセントかな)。

こういう意味でも、外国で一定期間を過ごすのは表現の幅を広げるためにかなりいいと思います。インターネットが便利な時代なので、見聞を広めるために外国に行く人は少なくなりましたが、これはやはり大きい違いが出ると思います。

アティテュードが80パーセントだ - Miles Davis

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ロバート・グラスパーがインスタでマイルスの名言を紹介しているのですが、多くの人の心を打ったらしく、大量のコメントが付いています。それはこんな言葉。

100%

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Anybody can play. The note is only 20 percent. The attitude of the mo********er who plays it is 80 percent.

誰でもプレイできる。音は、せいぜい20パーセントだ。それを吹く奴のアティテュードが80パーセントだ。

“note”というのは、なかなか日本語になりにくいです。音程、音の選び方、どの音を吹くかという場合の「音」。

そして”attitude”という言葉はさらに日本語になりにくい。態度、姿勢、心構え、という訳語はあるとしても、それぞれ1語では伝わらない感じです。それら全部が入っている感じでしょうか。

アティテュードが80パーセントだ - Miles Davis

こういうのを単なる精神論だ、と言って受け付けない人もいるかもしれませんが、仮にこれが精神論だとして、この精神を深く理解して実践することのほうが、やはり何の音を吹くか、弾くかよりもずっと難しい。

例えばブルースで何かやれ、と言われたら、テーマとブルーススケールとコードトーンだけ弾ければいい。それが20%。コードトーンさえ弾けなくてもいいかもしれない。残りの80%のアティテュード。これが難しい。そして難しいからといって、その80%を他の何かで埋めようとしても、うまく行かない。技術でうまく隠せたとしても、バレる。

それに、どんなアティテュードならいいんだろう。

お前のアティテュードのことを、俺に聞くのか?

そんな返事が返ってきそうです。

ホーンプレイヤーは頭を使わず、フィーリングもなく音を出すことはできない - Pat Metheny

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1981年のGuitar Player誌のインタビューで、当時27歳だったパット・メセニーが「速く弾くこと」について面白いことを言っています。

Q: 現代のギタリストは速く弾くことを重要視しすぎていると思いますか?

A: ギターはある種の人々にとっては簡単に速く、たくさんの音を弾けるようになってしまう楽器の1つなんだ。でもそれに欺かれてしまうこともある、自分が弾いているものが本当は聞こえていないプレイヤーがいるからね。彼らはただ指が動くにまかせているだけで、頭やフィーリングをちゃんと使っていない。

ホーンではそういうことが絶対にできない。なぜなら音は自分の内側から出てくるからだ。ホーンプレイヤーは実際に息を使って音を外に出さないといけないし、そのおかげで彼らはギタリストやドラマー、ピアニストが時には持てないような集中を持てている。

こういうことはベースの世界にも少々あてはまって、今ではエレクトリック・ベースでもアコースティック・ベースでも、1秒間ではとても消化できないような数の音を弾くミュージシャンがいる。でも一方ではチャーリー・ヘイデンのような人々もいる。彼はとてもシンプルにプレイできる、それでいて多くを語るんだ。こういう人はギターにもいるよ。ジム・ホールはとてもエコノミカルなプレイヤーだ、でも彼は本当に表現豊かだ。

ホーンプレイヤーは頭を使わず、フィーリングもなく音を出すことはできない - Pat Metheny
Image source : Pat Metheny Facebook

そんなに指が速く動くわけでもなく、かといって豊かな表現を持っているわけでもない人間には耳の痛い話ですが、ホーンプレイヤーについて彼が言っていることには学ぶべきことが多いです。ギタリストはそれが何の音がわからなくても、いろんな音を押さえられて、弾けてしまう。

ホーン奏者はそうではないでしょう。また、フレットのないウッドベースからベースの世界に入った人も、まず最初に特定の音をいいピッチで弾く訓練をするでしょうから、ギタリストよりも「音を出す意識」と実際の出力との結びつきはより強固なのではないかという印象があります。

この音を出すんだ、こういうふうに出すんだ、というイメージを強く持つ力は、ギタリストはホーンプレイヤーに比べるともともと弱くなってしまうところがあるのかもしれません。「内側から音を出す」ような練習を意識的にやり続けると、新しい発見がありそうですね。

マイルスへの手紙 2018年夏

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拝啓

親愛なるマイルス・デイヴィス様

マイルスへの手紙 2018年夏

マイルス、元気にしているだろうか。今年はお盆になっても、あんたは降ってこなかった。あんたが降臨しなくなってからだいぶ経つ。いま何をやっているんだ? そっちでは元気にしているのか? もう、俗世間に興味はないのかな。僕は、最高の調子ではないけれど、まあまあ元気にやっている。

ギターの練習と音楽の追求は、続けている。いろんな練習をしているが、何かうまく行かない時はあんたの”Kind of Blue”を聴くと大体、解決する。あのアルバムは、本当に偉大だ。

そうそう、最近こちらの世界では「AIスピーカー」と呼ばれるものが流行中だ。僕は「Amazon Echo」という製品を買った。これが、わりと便利なんだ。「アレクサ、『ブルー・イン・グリーン』は誰の曲?」と聴くと、ちゃんと「マイルス・デイヴィスです。」と答えてくれる。ビル・エヴァンスかもしれません、とか言わないんだ。きっとマイルスも気に入ると思う。

良くなかった出来事といえば、仮想通貨への投資だ。マイルス、あんたに頼まれてビットフライヤーに突っ込んだ15万円は、いま49,626円まで目減りした。いっそのこと0円になるまで放置しておくつもりだ。ひと山当てたら仕事をやめて音楽に集中する、という淡い期待を持った僕がバカだった。

マイルス、最近よく思うのは、何事にもピークがあるんだっていうことだ。あんたがあれほど絶賛したセルフ海鮮焼き居酒屋「磯丸水産」もピークをすぎた印象がある。僕たちが一緒に行った磯丸、いや、アイソマールのうちいくつかは、「いち五郎」という餃子屋になったり、「鳥良商店」という焼き鳥の店に変わってしまった。もう人々は自分でホタテやエビを焼くことに飽きたのかもしれない。

店で酔っ払った客が喧嘩する風景も増えてきた。たぶん不景気と政治不信が根底にあるのかもしれない。いまの日本は景気がいいと言う。国内総生産も伸びていて、給料やボーナスも増えているという。勿論、それは全部嘘だ。僕も、僕のまわりの人間も、みんな貧しい。僕たちはみんな、政治に騙されている。

僕は現在の日本の政治に不満だ。というか、日本の政治に満足だったことがない。実は政治に興味を持ったことは一度もないんだが、それでは国民として良くないと思うから、選挙があれば投票所には行く。でも、この現状を打破すべく与党以外に投票しようと思っても、投票できる野党がひとつもない。だからいつも何も書かない紙を投票箱に入れて、帰ってくる。こんなに虚しいことはない。

マイルス、暗いニュースは他にもある。それは「いきなりステーキ」がすっかりダメな店になってしまったことだ。「肉マイレージゴールドカード」所持者なら無料で注文することができたサントリーの黒烏龍茶が、「いきなりステーキオリジナルブランドの黒烏龍茶」へと変わってしまったんだ。成分表を見ると、そこに「難消化性デキストリン」の文字はない。コストカット、シュリンクフレーションの一形態だ。

マイルスへの手紙 2018年夏

難消化性デキストリンの入っていない黒烏龍茶のどこが黒烏龍茶なのか、理解に苦しむ。マイルス、あんたならきっと暴れて店を破壊していたと思う。「いきなりステーキ」もピークを過ぎたように思う。

本当に儚い世の中だ。僕が細々と続けているギターとジャズのブログも昔ほどの勢いはもうない。「いいね」もすっかり減った。人々は疲れている。僕はクオリティの高い記事を提供し続けてきたつもりだが、人々は疲れすぎて「いいね」ボタンを押す気力さえ失いかけているんだ。これも全部、政治のせいだ。

変わらないのは、マイルス、あんたの音楽の魅力、その真実だけだ。

そうだ。相変わらずいろいろとダメになってきている世の中だけれど、マイルス、一人だけあんたが興味を持ちそうな人間がいる。その男はテレビで話題だ。山根明という日本ボクシング連盟の元終身会長で、論理を超えた力強さがある。少しだけマイルスを感じた。マイルス、あんたもボクシングが好きだったよな。今度降りてきた時は、会いに行って、酒でも飲んでみるといい。

ただ、僕は遠慮しておく。僕はいま、なるべく酒を飲まないようにしている。ビールのかわりに、炭酸水を飲んでいる。そのほうが練習が捗ることに気付いたんだ。そうか、あんたが降りてこなくなったのは、僕が深酒をしないようになったことと、関係があるのかな。

じゃあ、今夜は飲んでみようか。僕の夏休みも、もう終わりだ。マイルス、たまには降りてきてくれ。僕はまだあんたに聞きたいことが、山程あるんだーー

 

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