テニス全米オープンの優勝でお茶の間の話題をさらっている大坂なおみ選手。最近の来日時インタビューにおけるとある質問が大変不躾だとして話題になっていました。
Photo by Peter Menzel / CC BY-SA 2.0
「自身のアイデンティティについてどうお考えですか?」
という、ほとんど「あなたは何人ですか?」という意味の質問に対し、20歳の大坂選手が「私は私。」と答えた、という記事を読み、ひどい目にあったな、それにしっかりした人だな、と思いました。
大坂なおみ選手は大阪生まれ。4歳の頃にアメリカ東海岸に移住。現在はフロリダ州在住。母は北海道出身の日本人。父フランソワ氏はハイチ生まれのアメリカ人。するとおそらく父親の母語はフランス語。これだけ見ても相当ややこしい出自であることがわかります。さらに現在の専属コーチはドイツ人。
こういう人に対して「自身のアイデンティティについてどうお考えですか?」(≒「あなたはアメリカ人ですか、それとも日本人ですか?」というワイドショー的好奇心の婉曲表現)という愚鈍な質問をしてしまう人が信じられない。多分そのインタビュワーさんは、日本以外の外国で異文化に十分触れた経験がない。なら、その人にはインタビューする資質がない。
例えばギタリストのレイル・ミシッチ氏にはじめて会ったとしていきなり「あなたはセルビア出身ですか?」と聞くのは、良い考えだろうか。マイルス・オカザキ氏に、あなたは日本にルーツがあるのですか、とか、カート・ローゼンウィンケル氏にあなたはドイツ語を話しますか、と唐突に聞くのは、良い考えだろうか。
場合によるとは思うのですが、原則としてそういう話題は親密な関係になってはじめて可能になるものであって、見ず知らずの他人がマイクを向けて「あなたは自分が日本人だと思っていますか、それともアメリカ人だと思っていますか」という主旨のことを聞くのは基本的にマナー違反。
アメリカには根深い人種差別・人種問題は存在するものの、アメリカ人という人種は存在しない。アメリカ人とは概念で、今ならアメリカで生まれた人か後に米国籍を望んで取得した人だけがアメリカ人になる(大統領になれるのは米国で出生した人に限るという縛りがあるけれども)。そして人種や出自というバイアスを超えたパフォーマンスの中身で評価されるのがアメリカという国の原則であるはず。
大坂なおみ選手は数年内にアメリカ国籍か日本国籍かのいずれかを選択しなければならないけれど、初対面の人間が「で、あなた何人?」とマイクを向けてくるようなメンタルの国の国籍を選択して彼女にとって良いことがあるだろうか。余程の理由でもない限り、彼女は米国籍を選択するのではないか。
あなたは何ギタリストですか?
ここで音楽の話に戻ると、あなたは「何ギタリストですか?自身のアイデンティティについてどうお考えですか?」などと聞かれたら、それはやっぱり面倒臭いと思う人が多いんじゃないか。この時代(というか本当は昔からだけど)もう「ジャズギタリスト」などという定義が通用しなくなりつつあります。
勿論ジャズというカテゴリーの音楽は大きい価値を持っているし、多様なスタイルを包含してくれるところがあるので、マーケティング的な理由で自らを「ジャズギタリスト」と称されている方はたくさんいると思います。でもそうした方々にも「ジャズギタリストと名乗ってはいるが、特に自分をジャズギタリストとして定義しているわけではない」という人も多いのではないか。
外側から見ても、例えばベン・モンダーのような人を「ジャズギタリスト」と呼ぶのは難しい。ベン・モンダーはベン・モンダーとしか言いようがない。大坂なおみが大坂なおみであるように。ギター・プレイヤー。テニス・プレイヤー。以上。
Photo by Topfive / CC BY-SA 3.0
人はわかりやすい表現を好むので「あなたは何ギタリストですか?」と聞かれた時に「えーとロックに触発されジャズに学びテクノを通じて云々…」と説明されるよりも「ジャズギタリストです。」という答えをスパーンともらったほうが安心する。大坂なおみ選手についても「私は日本で生まれましたが人生の大部分をアメリカで過ごし日本語は云々…」ではなく「ココロハ、ニホンジン。」みたいな答えを求める。
一概に「日本人は〜」という表現はしたくないけれども、日本人は欧米人に比べるとこういう「複雑な現実を複雑なまま受け入れる」ということに慣れていない。複雑な出自と多様な価値観が一人の個人の中で共存していることがある、ということが想像できないことが多い。「要は〜だよね?」とまとめたがる。
特定の何かでないといけない、どれか一つでないといけない、と信じこむ。どこに属しているのかを決めなさい。誰の派閥に与するのか、言いなさい。曖昧な態度は、許さない。それに、そのへんはっきりしてもらわないと、商品として流通させる際のラベリングに困るんだよ、君。はっきりしてもらえないなら、私達の仲間に入れることはできない。
そんな面倒くさいことを言う人が支配的な国の国籍を、彼女は選択するだろうか。それは多分、テニス・プレイヤーとして日本国籍を取得することが職業的に有利に働く場合を別として、多分ないんじゃないかな、と思います。