FIFAワールドカップ、日本対ポーランドの試合は多くの人に複雑な心境をもたらしました。私も例外でなく、試合終了前の約15分、首からギターを下げたまま様々な感情とともにテレビの前に座っていました。
一方で、日本代表の戦い方を酷評している人々がいます。
なんて無様な戦い方をするんだ。行け。失点を恐れるな。攻めろ。点を取りに行け。セネガルとコロンビアの結果なんかどうだっていいだろ。何をやっているんだ。恥ずかしくないのか。パス回しをやめて、攻めに入れ。負けているんだぞ…
一方では、
仕方ない。冷静な判断だ。今日の日本はポーランドに対して勝ち目がない。奴らから点を取るのは完全に無理だ。だが奴らから1点も取れなくとも、これ以上失点しなければ、そしてこれ以上イエローカードをもらわなければ、決勝トーナメントに進出できる。セネガルが得点しない限り。今は耐えろ。恥ずかしくてもいい。耐えろ。
と思っていた人も多かったと思います。
結局、自分はこの「日本対ポーランド」戦に何を求めていたのかを突きつけられたような試合だったと思います。試合の内容の如何に関わらず、勝ちさえすれば良かった試合なのか。それとも、たとえ負けても良いから、ポーランドに対して全力で戦ってどこまでやれるかを証明してほしい試合だったのか。
思うのですが、もし日本代表が後半で仕掛けまくって、もし失点などして負けていたら、観客もネットもワイドショーも「いやあそこは恥を忍んで我慢してパス回ししてもいいから、とにかくベスト16に行ってほしかった。そういう大人の決断をできなかった西野ジャパンは、つまるところ日本の限界を露呈している。だからダメなのだ! なぜ大人の選択ができなかったのか」という論調を張ったに違いありません。
間違いないですよ。もう何十年もこの国で暮らしているから、わかる。間違いない。絶対にそういう主張が出てきたと思います。この国にはそういう妙な論理がある。
私自身は、テレビで観ていて、勿論歯がゆい思いをしました。つまらなかったし、こんなものスポーツじゃないだろう、とも思いました。そして同時に、自分が試されているのを感じました。
お前は何を望んでいたんだ? 全力でポーランドとぶつかる日本か。それとも、恥ずかしくても、つまらない内容でもいいから、とにかくベスト16に進む日本か。
その時、私は気付いたのでした。私はこのワールドカップをどう戦うかという日本代表のビジョンを知らなかったし、自分としてもどう戦ってほしいかについては、ノーアイディアだったのだ、と。だから、文句を付ける筋合もないな、と思ったのでした。彼らが何をやりたかったか、知らなかったのだから。それを知らずに批判するのは、フェアプレーではない、と。
日本が何に優先順位を置いているか。何を得るのが最終的な目標なのか。恥ずかしい試合をしてでもベスト16、ベスト8と勝ち上がることにより希少な経験値を持ち帰ることが目的なのか。何かではっきりと聞いた記憶がありません。テレビでも説明されていなかった。それがあらかじめはっきり伝わっていたら、サッカーを観ていた友達同士で喧嘩になることもなかったでしょう。
あの試合の最後は、もちろんつまらなかった。でも次のベルギー戦では、そういう駆け引きはないので、そこで日本代表がどう戦うかが本当に観るべき価値のある内容ではないかと思います。点を入れようとしたか、しなかったか。必死で防御したか、しなかったか。対ベルギー戦は、評価基準がそれ以外に全くない。それだけちゃんと観ればいいんじゃないか。
それが観られれれば、いいじゃないか。どんな試合になったとしても。と、今では思います。
さて本題。私達は演奏前、自分がこれからやろうとしている演奏について、何を得ようとしているのか、何が目的でそれをやるのか、真剣に考えているでしょうか。これは考えていないとダメなんだろうと思います。そしてその意味において、あの試合の後半でパス回しに徹した日本代表にはブレがなかった。そこは、私は評価したい、評価すべきものだと思いました。
つまらない試合だったけれど、評価すべき。そういう、複雑な試合でした。人生にはこういうややこしいことが、多い。だから、私は簡単に彼らをバカにすることができません。