この記事で紹介した大江千里さんの「9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学」という本を読んでいて、意外に思うと同時に、あらためて確信したことがあります。
大江氏は10代の頃からジャズが好きで、その時からずっと憧れを持って聴いて来た。その後、47歳になって意を決してニューヨークの音楽学校にジャズを学びに行くのですが、そのあいだ20年ほどは一流のポップ・ミュージシャンとして活躍されていたのは周知の事実です。
当然、音感も音楽的センスも抜群です。音楽の素人では全くない。しかし著者は入学後、ジャズという音楽の和声的な複雑さ(恐らくポップスではあまり使用しない域の拡張音やクロマティシズム)を痛感し、ジャズの人が何をやっているのかわからない、どうすればジャズっぽい演奏になるのかわからない、と悩むことが多かったことが著作から読み取れます。
えっ大江さんでもそうだったの、と意外に思ったのでした。だって長年ビル・エヴァンスを聴いて来られたのだし、ポップスのキャリアも長い、だからすぐには弾けないとしても「ジャズの耳」はある程度できているのではないか、と思ったのです。どうもそうではなかったらしい。
ジャズが好きで、何十年も聴いてきた。しかしいざ自分もやってみようとしたら、どうもジャズっぽくならないし、やはり何がどうなっているのかわからない。紐解けない。そうしたことが度々書かれているのを読んで、「やっぱり実際にやってみなければわからない世界なんだ」と思ったのでした。
それは音楽でも、絵画でも、小説でも同じだと思うのですが、それがどんな仕組みでできているかは、どんなにそれらに心酔して長年鑑賞してきたとしても、実際に自分の手でもそれを生み出そうと試してみない限り、それがどんなふうにできているのかはわからないんだ、と改めて思ったのでした。鑑賞するだけ、観たり聴いたりしているだけではわからない。
私はむかし、いまの自分にとってこれは高度過ぎる、これをやるのは数年後でいい、今はもっと初歩的で基礎的なことに集中しよう、という考えで練習していた時期があります。あれこれ手を出さず基礎的なことに集中することも多分間違ってはいないと思うのですが、その後、新しい方法論やサウンドに接触しておくのは早ければ早いほうが良いと思うようになりました。
例えばトライアドのカップリングやシンメトリック・オーグメンテッドといったモダンな音使いはジャズ入門者にとって、複雑で難しいものに思えることが多いのかもしれない。でもそれに魅力を感じたなら、実際にギターやピアノでその音を鳴らしてみる。実体験してみる。そういう経験は、早いうちにやっておいたほうが良いのではないか。
それらのアプローチを使って即興演奏ができるようになるまで数年かかるとしても、そういうアプローチが存在すること、そういうサウンドが存在すること自体は、早目に知っておいたほうがずっと有利ではないか。
何故ならそれを知ったあと数年間はそのアプローチやサウンドを使いこなせないとしても、脳はその数年間、それらをゆっくりと内面化し、定着させていくのではないかと思うのです。だとしたら、自分が興味を持っているものに実際に着手するのは、早ければ早いほうがいい。「さわりだけでも」やっておく、触れておくのはメリットが大きいと感じています。
イントロやエンディングで使うコード進行は複雑で何をやっているかわからない、あれは来年再来年やろう、と後回しにするより、解説書があればとりあえず何度か一通り弾いてみる。いま自分はセッションに行ってもまともに弾けないかもしれない。でもマイナーペンタでブルースが弾けるのならとりあえず行って1曲やってみる。テーマはC Jam Bluesだっていい。
私達の頭と身体は、寝ているあいだも時間をかけてゆっくりとそうした体験を分解・消化して、無意識の深いところに刻んでくれると思っています。だから何事も着手するのは早ければ早いほうがいいのだ、というのが最近の私の考えです。
そして勿論、何事も遅すぎるということもないはずです。
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