ジャズとギターを巡る禅問答的な極論の数々には枚挙の暇がない。日々、新しい両極が生まれ、波打ち際の砂に書き込まれては消されてゆく。陰陽。自由と不自由。男と女。長調と短調。今日もまた、私達が差し出した無垢な湯呑みに、師匠たちが熱い茶をドボドボと注いでくれる。私達はいつ火傷の心配をすることなくお茶を飲めるようになるのだろうかー
「弾き終わったら弦をゆるめておくように」
「弾き終わっても弦をゆるめてはいけない」
「考えずに適当に弾いてはいけないと言ったはずだ」
「ちょっと適当に弾いてみたらどうか。何も考えずに」
「どんなレベルのプレイヤーもすぐにセッションに参加したほうがいい」
「セッションにはある程度のレベルになってから参加したほうがいい」
「ギターが持っている制限にメロディを制限させてしまうようなことがあってはならない」
「ギターならではの表現、ギターで弾きやすいメロディを追求しましょう」
「いろいろな曲に着手すべし。可能な限り多くの曲に手を付けなさい」
「ある曲をしっかり覚えるまで、あれこれと他の曲に手を出さないほうがいい」
「D DorianはC Ionianだ」
「僕はDorianはDorianとして覚える」(Nir Felder)
「ドレミファソラシドを上行下行したって音楽にはならない」
「Ionianというスケールは僕にとってメロディだ。テクニックとは関係がない」(Tim Miller)
「今日は間違えないよう演奏しよう。絶対に間違えないぞ」
「間違ったらどうしよう、みたいな雰囲気を出さないミュージシャンと一緒に演奏したい」(Bill Frisell)
「指板を見るな、シェイプに頼るな」
「指板を見て、ボイシングのシェイプからフレーズを作ってみたりするんだよ」(Peter Bernstein)
「バース交換では相手の演奏をよく聴いて反応するように」
「バース交換では相手にあえて反応しないようにしている」(Ben Monder)
「練習(Practice)と本番(Performance)は分けて考えるべきだ」
「練習と本番、みたいに分けて考えては、いけないよ」(Julian Lage)