季節の変わり目のせいか、ぼくは疲れていた。眠い。練習に集中できない。気分転換に、何か食べに行くことにした。早速、こんな店を見つけた。「横浜家系ラーメン」と書いてある。
この看板を見ていると、ぼくの心の奥底から強烈な違和感が立ち上がってきた。次の瞬間、背中に稲妻のような電流が走り、ぼくは白目をむいた。そして我に返ると、隣にマイルスがいた。
横浜家系ラーメン… こいつは何だ? (What the hell is that?)
ええとね… たぶんジャンルのことじゃないかな。「横浜家系」っていうラーメンのジャンルがあるんだよ。
ジャンル… だと…? 「横浜家系ラーメン」という名前の店じゃなく、この店が属するジャンルだというのか…? 何故、ジャンルを強調する必要がある… 例えばお前は… 「これからぼくが演奏するのは、ジャズです」と説明するのか…? そんなバカなことを、お前もやるというのか…?
いや、マイルス、ジャンルを書くとわかりやすいじゃないか。「中華料理」とか「イタリアン」とか「とんこつラーメン」とかと同じだよ。ある程度どんな傾向のお店かわかったほうが、お客さんは入りやすいじゃないか。「横浜家系」のことはよく知らないけど、「横浜家系」が好きな人にはわかりやすいんじゃないかな。
なるほど… お前はお前で、それなりに物事を考えていることは、わかった… だがしかし… 俺が言いたいのは… 「横浜家系ラーメン」の文字が… デカすぎやしないかってことだ… この店の名は、「無骨家」のようだが… その固有名よりも、ジャンル名の「横浜家系ラーメン」の文字がデカすぎる…
いいか… 俺に言わせれば… これはかなりナメている…
例えば俺のアルバムに、”JAZZ MUSIC by Miles Davis” みたいな恥ずかしい表記のものは、1枚もない…
自分に自信がない奴は、自分自身よりも、自分が属するジャンルを強調する… ジャズ、と前置きしておけば、お前がどんなにひどい演奏をしても、それを聴いた客は「ああ、ジャズってこういうもんか」と思うだろう… そしてお前は、安心する…
それではダメだ… いいか、クリエイティブであろうとするなら… ジャンルには帰属するな… そうではなく… お前自身が一つのジャンルであるかのように、振る舞わなければならない… ジャンルに寄りかかった瞬間、お前は負けている… 二軍落ちだ… その瞬間、お前は独立したアーティストであることをやめている…
ぼくは隣にいるマイルスを見た。ぼくの心のマイルスはいつも適切なアドバイスをくれる。ぼくはこの「横浜家系ラーメン」に入るのをやめて、もうしばらく歩いた。そのうちに、こんな看板の店を見つけたのだった。
この店は大丈夫なんじゃないかな、マイルス。とっても自信がありそうだよ! この店なら、大丈夫だよね?
しかし、隣を見るともうマイルスの姿はなかった。かわりに、ぼくの頭の中にマイルスの声が響いた。
自分の頭と心で、判断しろ… 俺はお前じゃない… 最終的には… 自分自身の直観を信じろ… 俺に頼るな… お前はお前だ… 何にも頼らず、自分自身で下した判断なら… 誇りを持っていい… (いい… いい… ←ディレイかかってます)
ぼくはこの蕎麦屋の暖簾をくぐった。そしてたぬきそばを食べてから家に帰って練習した。久しぶりに、集中してフルコースの練習をすることができた。サンキューマイルス!