その日曜日、男にはありとあらゆるギター的不幸が、一度に押し寄せた。
朝起きると、男は久しぶりに弦を交換することにした。新しい弦をゆるく張り終えると、チューニングする前に、ペグ穴から飛び出した弦の先端部分をニッパーで丁寧に、根元でカットした。
その時、男は気付いた。6弦が、5弦よりも細いことに。6弦と5弦を交互に間違えて張ってしまったのだ。だが、弦を外してペグ穴に先端をあらためて通すことは、もうできなかった。弦の余った先端部分は、チューニングを終えてからカットすべきだったのだ。
男はやむなく新しい弦セットを張り、落ち着いてチューニングに取り掛かった。4弦をボーン、ボーンと弾きながら、ペグを回していった。
しかし、ピッチは一向に上がらない。不思議に思った男はペグをさらに締め上げていった。締めに締め上げて行く。しかしピッチは変わらない。
男はふと、ヘッドを見た。そして自分が回していたのが、弾いていた4弦ではなく、3弦のペグであったことを理解した。その瞬間、3弦は バシィィーン という轟音とともに切れ、男の顔面を激しく鞭打った。
男は5分間深呼吸をしてから、ふたたび新しいセットで弦を交換した。今度はチューニングも無事に終えた。
これでようやく練習を開始することができる。男の心に、安らぎが訪れた。まさにその時だった。
右手の親指と人差指のあいだからピックが滑り落ち、見事としか言いようのない軌跡を(スローモーションで)描きながら、ギターのFホールの中に消えていった。カラン、という嫌な音がした。
男はホロウボディのギターの内部をライトで照らした。ピックは、テールピース付近にあった。
男はギターを揺さぶった。だが、ピックは落ちてこない。内部配線を束ねているビニールテープにくっついてしまったようだ。
男はギターを激しく揺さぶった。左、右。左、右。
その時だった。ギターのヘッドが本棚を直撃し、落ちてきたリアル・ブックが本棚下の軽量なガット・ギターをボーリングのピンのように弾き飛ばした。ガットギターは遠くに飛んでいき、床でバウンドして宙を舞った。サーキットでクラッシュしたF1カーのようだった。本棚にぶつけたセミアコのヘッドの角は、欠けてしまった。
呆然とした男は仰向けに寝そべり、目を開いたまま、10分ほど無言で天井を眺めた。
そして気を取り直し、割り箸の先端にガムテープを両面テープ的に巻いたものを「とりもち」に見立て、Fホールの中に落としてしまったピックをあらためて取り出そうとした。
その時だった。割り箸の先端のガムテープが外れ、テールピース付近に張り付いた。
ミイラ取りがミイラになる、っていうことわざは、こういう時に使うんだな、と、男は他人事のように思った。
男はギターのキャビティからピックやガムテープを取り出すのを諦めた。Fホールの中がゴミだらけでも、ギターは弾ける。そんなことは、大した問題ではない。とにかく一刻も早く、練習を開始しなければならない。
首にストラップを通し、拾い上げたシールドからねじれを取ろうと、ギターから両手を離した、まさにその時だった。
ネック側のストラップがピンから外れ、ゴォォーン という轟音とともに、ヘッドが床に激突した。
ヘッドとネックの接合部が、パックリと割れた。
この日、男は練習をしなかった。ネックの折れたギターをスタンドに戻し、ふらついた足元で、よろめきながら、町に出た。昼間からやっている屋台居酒屋で、夜遅くまで酒を飲んだ。
帰宅すると、ネックの折れたギターには生乾きのTシャツがかけられていた。同居人によると、洗濯用のハンガーが足りなかったのだという。